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家事の分担と「普通は」という呪い

先日、小さな子供がいる後輩とランチをする機会があった。
GWの連休が明けたタイミングで妻は職場に復帰、子供は保育園に通いはじめたらしい。

経験者なら分かるだろうけれど、人生でも一二を争う忙しい時期だ。カンの戻らない仕事に緊張し、家事もして、保育園の準備をする。(これが結構めんどくさい)。心身ともに頑健なわたしでも、仕事復帰から1ヶ月したところで胃炎を起こし入院しかけた。

案の定、彼の家庭でも家事育児の分担、特に保育園への送り迎えで揉めているそうだ。在宅勤務が基本の彼がお迎えを担当しているらしいのだが、予定外の打ち合わせや仕事が入ったりして、時間通りに仕事を切り上げることが難しいとの事。当然、その後の夕飯の支度やお風呂も思い通りに進まないらしい。

彼が求めているのは助言ではないと分かっていたので、とりあえずふんふんとうなづきながら話を聞いていたのだけれど、言葉の端々に「普通は」「普通だったら」とやたら言うのが気になった。

ちなみに我が家はほぼ完全なワンオペ育児だった。
子供が生まれた頃の夫は出張や残業が多かったし、わたしもあまり期待していなかった。でも次第に夜寝るのが遅い夫が洗濯機を回し、洗濯物を干してくれるようになった。いまはトイレ掃除とエアコンのフィルター掃除、洗剤やシャンプー類の詰め替えもやってくれている。部屋の掃除(週1回)はまずわたしがハタキをし、夫が掃除機をかけ、床モップ&建具の雑巾がけは私、という作業分担で進めている。ちなみに保育園や小学校の行事にはほぼノータッチだった。でもそれで特に不満はない。

思えば一緒に暮らし始めた頃は、夫のシャツのアイロン掛けや下着や靴下の買い置きといった事もやっていた。なぜかと言えば、そういうものだと思っていたから。で、何かのタイミングで揉めたとき、自分のことは自分でやるという事になったのだ。

掃除だって、以前は子供が邪魔しないよう公園や買い物に連れ出すのが夫の分担だった。今の形になったのは、子供が学校に行き出して子供不在の時間に掃除をするようになってからだ。つまり家事のやり方は常に変わるし「普通」なんてない。

とはいえとなりの芝は青く見える。保育園のお迎えで会う他の保護者がみんなお母さんだったら、自分の妻は楽をしているのでは、と疑ってしまいたくなるのだろう。たった一つの正解はないから、良く話し合って柔軟に対応するのが良いよとアドバイスしてみたけれど、どう思っただろう。

この年になって思うけれど「普通」っては呪いの言葉だ。だからなるべく家庭に持ち込まない方が良い。目の前の個人と向き合い、自分たちなりの最適解を探す方がルールとして長続きするし、逃げずに一緒に探してくれる人こそ、自分にとっての真のパートナーなのかもしれない。

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