見出し画像

妻に出会うまでの軌跡。

今日は筆者が妻に出会う前、なぜ日本を出て中国に行くことになったのか? そしてどんな場所で妻となる女性に出会ったのか。懐かしい思い出話でもしてみます。少し長くなるけどお付き合いください。

1.中国に行くことになったきっかけは

人生何があるかわからない

日本という国もまた敗戦の失意から高度成長期を経てバブルを経験し、失われた何十年かを過ぎたのかまだその途中なのかわからないけど。まあ景気回復なされているらしい。一般市民は全然そんなこと感じませんが。

盛者必衰のことわりみたいなものですね。

いま国は就職超氷河期時代を生きた人々をサポートしようと右往左往しているが…いまさら何をしてくれるのか。そういう自分もその時代を享受した一人だった。

大学3回生から就職活動を始めて自分の能力不足といえばそこまでだけど、何社受けても就職などできそうにもない雰囲気。友達だろうと就職説明会で同席した他人であろうとそこから感じるものは絶望感にも似た諦めムード。

そんな時、親戚から受けた一つの誘いが今の自分を作り上げることになろうとは当時は知る由もない。まさに神のお告げなるものだったのです。

親戚「知り合いが中国で仕事してるんだけど、どうせいま日本に居ても景気悪いし、外国にでも行っていろいろ勉強してくれば?」

筆者「えっ?そんな事出来るんですか?」

未来に夢も希望も持たない当時の筆者に断る理由などなかったのです。

2.海外渡航の準備から中国到着まで

思いもよらぬ親戚の一言に戸惑いながらもこれから始まる波乱万丈の海外生活に胸躍らせる日々。

その時まで海外旅行はおろか国内旅行さえ満足に行ったことのない筆者は海外渡航の準備といっても何を用意していいかわからない。まだインターネットも創世記。TwitterもInstagramもFacebookも無い。持っている携帯は知る人ぞ知る懐かしいdocomoのiモード。となればやはり頼みの綱は「地球の歩き方」を買いに本屋さんへ。

画像1

なんというこの絵の適当さ・・。完全な手書きやん。

向こうで世話をしてくれる親戚の友人は香港の方。香港まで行ければなんとかなると自分に言い聞かせ早速準備を始める。

スーツケースは叔父ちゃんが古い馬鹿でかいやつをくれた。着替え大量、お金はこれまた懐かしいトラベラーズチェックとやら50万円分。相手方へのお土産、電圧変換器、などなど色々詰め込んで親族一同に見送られながら空港へ出発。

まず空港の広さに面食らう。飛行機と呼ばれるものもこんな間近で見たことない。手続きの仕方もわからず自分は日本人かと自問する。

係員の人に色々教えてもらいながら無事搭乗したのも束の間、次の不安が心を覆う。「この飛行機墜落しないかしら…」いよいよ離陸だ🛫!!手に汗握る!心臓バクバク!

機上での記憶はほぼない。日本から香港まで約4時間。気がつけば無事着陸しイミグレーションを潜り抜け香港空港のA出口へ。  めっちゃでかい字で<A>と書いてたのを覚えている。こんなでかいAを見たのも人生初。香港はまさに異世界。 白人黒人ヒスパニック人種ごちゃ混ぜの空港内はカオス状態。人も多いが空港がまた更にでかい。

井の中の蛙大海を知らずとはまさに自分のこと。唖然と立ち尽くす筆者の前に親戚の友人が迎えにきてくれた。「初めましてXXです。」互いに挨拶を交わし初めて尽くしの海外渡航が終わった。

3.香港から中国本土へ そして家具工場で運命の出会い

香港について最初に連れて行ってもらったのはこれからお世話になる家具工場の社長さん宅。

香港は清水湾のほとりにある別荘地1階が半地下になってる4階建て。めっちゃすごい。海側はオールガラス張り。床は大理石っぽい石が貼ってある・・ベランダは海側に大きくせり出し、BBQセットが置いてある。

俺も社長になる!

社長さんは筋肉隆々の気さくな人だった。その夜はご家族一同でBBQパーティーをしていただいた。聞くところによるとその社長さんのお父さんの代からうちの親戚の会社と取引関係にあったらしい。社長さんの家具工場は広東省の東莞市というところにある、当時は東莞といえば世界の工場と呼ばれ、中国人の出稼ぎの聖地とも言おうか、様々な工場が立ち並び、まさに不夜城のごとき様相だった。ホテルに行けばあちら系の女性もたくさんいたわけで、まっそっちの話は割愛。

翌日すぐにその家具工場へ連れて行ってもらった。社長さんの車で香港、深センのイミグレーションを通る。一国二制度だから、国が違うのと同じで同じ中国でもイミグレーションも二つある。 今えらいことになっとるね香港

そこから走ること1時間余り、安っぽい作りの高速道路を駆け抜け、レンガむき出しの住宅街??を横目についに到着した家具工場。総員670名の大工場でした。木材のにおいと塗装場から漏れるシンナー系の匂いで鼻がひん曲がりそうになるのを堪えて事務所へ。

事務所には数人がちょっと古いPCに向かって作業をしている。社長が彼らに筆者を紹介してくれた。中国語だから何を言ってるのか全くわからない。そりゃそうだ。中国語の予習をする時間もなくここに送り込まれたのだ。赤ちゃんになった気分。

社長が筆者の座る席を用意してくれていた。家具工場だけあ無垢で作ったなかなか素晴らしいデスクだ。

周りの従業員がもの珍しそうにこちらを見ながらヒソヒソと何か話をしている。これからここで仕事をしながら生きていかなければならない。言葉、食べ物、生活習慣、全てが日本と違う。歴史問題なんて厄介な問題も抱えつつここの人たちと関わっていかなければならない。と不意に後ろから声をかけてきた。後ろの席に座ってる女性だ。この女性こそがのちに妻となるのだがそれはまだまだ先のお話。そして多々の出来事が起こりどう乗り越えていったのか今後ゆっくり語っていくことにします。

何はともあれ、無職の危機を脱しなおかつ外国生活なんて想像だにしない展開になった訳だけど。とりあえず今日はここまで。







この記事が参加している募集

自己紹介

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?