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インティマシー・コーディネート研修を受けました。

記事の終盤では、性行為や暴力を伴うシーンのインティマシー・コーディネートについて説明する為に、性暴力やハラスメントに関する詳細な描写があります。ただし、その箇所の直前に、改めて注意書きをしておりますので、ご安心ください。また、その箇所までは、性暴力やハラスメントに関する詳細な描写はありません。

先日、ロンドンで受講した『インティマシー・コーディネート研修』の内容を纏めました。この研修は、イギリスが拠点の『インティマシー・フォー・ステージ・アンド・スクリーン(Intimacy for Stage & Screen)』という団体が主催のイベントでした。内容は、インティマシー・コーディネートの歴史から、必要性、方法論、具体例などです。今回は、「入門編」ということで、この仕事の基本的な部分を知ることができました。

この記事は、研修の内容を纏めた物であり、僕個人の意見ではありません。それから僕は、インティマシー・コーディネーターの資格は持っていませんし、専門家でもありません。この記事で初めて僕を知って下さった方は、下の記事や、その他の記事も読んで下さい。小さな劇団の主宰です。台本を書いたり、演出をしたりしていて、今はロンドンに留学しています。


全体の印象

今回の研修は、4時間の座学でした。というのも、インティマシー・コーディネートの特性上、性行為や暴力との結びつきが強いので、実技のワークショップを受ける為には、まず、座学を受ける必要があるからです。参加者は多国籍で、イギリス、アイルランド、ニューヨーク、カナダ、チリ、イタリア、ラトビアなど。ただし、ジェンダーギャップは大きく、全部で25人の参加者のうち、男性は僕を含めて3人だけでした。より正確に説明すると、イギリスでは自己紹介の時に、プロナウン(pronoun)を言い合う文化があります。日本語では「代名詞」という意味ですが、この場合は、いわゆる文法的な意味ではなく、各々のジェンダーを示します。例えば、僕のプロナウンは、he / himです。これによって、初対面の段階から、誤解の無い形で、それぞれのジェンダーを伝え合う事が出来ます。そして、今回の研修で『男性』を名乗っていた参加者が、僕を含めて3人だけでした。

今回は入門編でしたが、実技研修では、具体的なシーン作りの手法や、より専門的な知識などを教わるそうなので、タイミングが合えば受けたいです。

インティマシー・コーディネーターって?

「インティマシー・コーディネーターは、常に孤独。」
今回の研修で、最初に紹介された言葉です。シンプルな話、創作現場で仲間を作れないそうです。なぜなら、インティマシー・コーディネーターは、『中立的な第三者』であるべきだからです。例えば、関わっている現場に友人がいて、その友人が関係するハラスメント問題が発生した場合、中立では居られなくなるので、そのようなケースは避けるべきです。また、インティマシー・コーディネーターは、関係者の『個人情報』を管理する場合が多いので、それらの秘密を守る為にも、現場関係者との関わりは、最小限に抑える必要があります。この点、個人的に、これはインティマシー・コーディネーターに限らず、演出家やプロデューサーなど「決定権」を持つ人間には、重要な意識だと感じました。

それから、インティマシー・コーディネーターを名乗る為に資格が必要であるなら、演出家や、映画監督の資格があっても良いだろうと思いました。その点、イギリスでは、『大学の演劇学部 / 映像学部を卒業した。』『アクティングスクールで、演技 / 演出を学んだ。』というのが、ある種の資格として機能している側面はあるかもしれません。

ハラスメントが起きない環境を作る

インティマシー・コーディネーターは、『ハラスメントが起きない環境を作る仕事である』と説明されていました。つまり、インティマシー・コーディネーターは、全ての関係者が対等に、それぞれの心身を守りながら創作活動に専念できる環境を作る仕事です。だから、この仕事は、フェアな創作環境を作ることで、『間接的に』ハラスメントから役者を守る仕事だと言えます。反対に、『直接的に』ハラスメントから役者を守るのは、所属事務所や弁護士、あるいは、相談機関などです。それから、インティマシー・コーディネーターはセラピストではないので、ハラスメント被害者のケアは仕事ではありません。これらの違いは、小さいようで、とても大きいように感じました。

具体的には、性行為や暴力を伴うシーン、あるいはトラウマに触れる可能性があるシーンなどを、役者や関係者に事前に伝え、各セクションの希望を擦り合わせて同意を固め、実際の創作現場に立ち会い、それらの同意内容が守られている事を確認するそうです。基本的に、本番の40時間前まで、今回の講師は、長い時には3、4週間前に、関係者間の同意を固めているそうです。また、ほぼ全てのケースで、役者は、一度同意した後でも、規定時間内であれば、後から拒否する権利が守られているそうです。

重要な点は、そのようにして作られた『フェアな創作環境』の中で、自分自身をどう守るかについては、個々人の問題だと言うことです。例えば、「何の情報も入れず、相手役と何のコミュニケーションも取らず、とりあえず演じたい役者」も居るわけです。そして、その考えは、尊重されるべきです。ただし、それは『当事者が、主体的にその状況を選択できる環境であった』という前提があった上での話です。このように、インティマシー・コーディネーターの仕事は、「本当は先に知っておきたかったけど、本当はこうしたかったけど、それが許されなかった。」という環境を作らない事だと説明されていました。

権力構造についての理解を深める

研修の中盤では、創作現場での権力構造について、下記の5つに分けて解説されました。

・役職の権力 (作家、演出家、プロデューサーなど)
・専門家の権力(時代考証、所作指導など)
・引用先の権力 (誰々が言っていた〜、誰々によると〜、など)
・見返りの権力(このシーンをやってくれたら、〇〇してあげる。)
・その他の権力(年齢、経験、人脈、など)

ここで重要なのは、一人の人物が、同時に多数の権力を保持する事が可能であるという事です。例えば、演出家 / 映画監督とプロデューサーを兼ねている人物が、見返りを提示しながら圧力をかけるケースなどです。そして、当然ですが、その場合の権力は強くなります。

この点、複数の権力を同時に保持している人物が、それらの権力を、状況によって使い分ける事は困難であるという解説からは、現在の日本が学ぶべき事が多いと思いました。イメージしやすい例として、ある人物が、普段は、演出家 / 映画監督としても活動しており、自作品のプロデュース権を持っているが、今回の現場には役者として参加しているとします。しかし、その人物が、今回は役者として参加しているとはいえ、『まるで、プロデュース権を保持していないかのように振る舞う事は難しい』わけです。より噛み砕いて言うと、「この現場では役者だから、」と言われても、「いや、実際にはあなた、演出家 / 映画監督だし、普段はキャスティング権も持ってますよね。ってことは?」と、想像を膨らませてしまう事は当然です。この通り、多数の権力を同時に保持している当事者が、どれだけ気を付けていたとしても、現実問題として、それらの権力を使い分けることは、権力構造的に、不可能です。

しかし、大前提として、自分が持っている権力を高圧的に行使するかどうかは、モラルの問題です。それから、『役職の権力』や『専門家の権利』など、属性に関する権力を同時に保持しない為の対策は簡単です。複数の役職を兼ねない / 兼ねさせない事です。つまり、作家は作家だけ、演出家は演出家だけ、役者は役者だけにキャスティングをする事を徹底すれば良いわけです。これは、全てのセクションにおいても同じ事が言えると思います。この点、確かにイギリス演劇界では、作家と演出家が同じ人物である公演は少なく、同じ人物が兼ねる場合は、第三者としてドラマターグが参加している事が多いです。

この仕事の難しさ

インティマシー・コーディネーターは、ヨーロッパにおいても新しい職業である為、まだまだ体系化されていない部分が多いです。だからこそ、研修の終盤では、それ故の困難について解説されました。印象的だった例は、下記の3つです。

・必要性は認知されているのに、資金と時間がない
いくら芸術先進国のイギリスと言えども、この仕事が完全に浸透しているわけではなく、この仕事を円滑に行う為の資金作りや時間配分は、まだまだ後回しにされがちだそうです。また、インティマシー・コーディネーターは、創作現場で起きた問題の『消火役』として利用されてしまうケースも少なくないそうです。

今後、この仕事を広く浸透させる為には、「インティマシー・コーディネーターが参加した事で、関係者の心身が守られ、かつ、良いシーンに仕上がった、という実績を重ねる必要がある」と説明されていました。これは、インティマシー・コーディネーターは、『性行為や暴力が描かれているシーンを、無難に収める仕事ではない』という宣言だと感じました。今回の講師の方は、「だからこそ、関係者の心身を守りつつ、ダイナミックなシーンを作る為に、演出、振付、スタントなどに関する知識と技術が必要な場合がある」と話されていました。

・子役に対するインティマシー・コーディネート
子役を、『プロの役者』として扱うべき場合と、『子供』として扱うべき場合の明確なラインについて、十分な議論は尽くされていません。この問題を解消する為に、様々な撮影方法や、演出方法が試されていますが、これらの手法の具体的な効果については、その手法を試された子役が大人になって、当時の状況を客観的に考えられる時が来てから、詳しく検証されるべきだろう、と話されていました。

また、子役に対するインティマシー・コーディネートでは、『性行為や暴力を目撃してしまったシーン』など、間接的に関与するシーンについても考えるべきなので、より繊細な対応が必要だそうです。

・どのシーンに抵抗を感じるかについて、文化的な差があるかもしれない
現状、この分野は『欧米女性の価値観』に基づいています。つまり、現状の方法論を、その他の文化圏で暮らす人に適用する事が、どこまで適切だろうか、という問題があります。

例えば、欧米にはハグの文化があります。僕はイギリスで暮らし始めて3年になりますが、性別、年齢を問わず、様々なシチュエーションでハグをします。しかし、日本の文化圏に暮らす中で、ハグという行為のハードルは高く、親しい仲でしかやりません。このように、『文化の違いによる認識のズレ』は、性行為や暴力行為など、様々なケースに当てはまるでしょう。しかし現状、それらを表現するシーンに関する研究や検証は、高いレベルでは行われていません。つまり、日本の文化圏で作られる作品のインティマシー・コーディネートは、日本文化に精通した人が担当するべきで、今後は、それぞれの文化圏に適した方法論を作っていく必要があるでしょう。

直近の対応策として、当事者間での話し合いを重ねて、各々の文化的 / 日常的なバックグラウンドの相異を理解し合うことで、お互いの心身面での不安を解消するのは当然です。この点、今回の講師は、このようなケースでは、ダンスシーンを作るように、身体面からのアプローチを重視する事が有益ではないか、と話していました。例えば、先ほどのハグの例であれば、「日本では、なぜハグをしないのか?ハグをするならどのような状況か?」という問題について、言葉で説明をして理解を共有する事は、重要ではあるものの、難しいかもしれません。しかし、「どの範囲まで近づいて / 近づかれて、どこの部分に触れる / 触れられるなら、抵抗が無いか」について、まるでダンスシーンを作るように、明らかにしていく事で、文化の違いによる『認識のズレ』を解消できるのではないか、という提案です。

個人的には、この考え方が下手に浸透すると「違う文化圏に暮らす役者同士は、話し合うよりも、とりあえず演じさせた方が良い」と、粗悪な形で定着しうる危険性を感じつつも、今後、様々なシーンに適用できる方法論として確立される可能性は高いと思いました。

※これ以降、性行為や暴力を伴うシーンのインティマシー・コーディネートについて説明する為に、性暴力やハラスメントに関する詳細に述べています。


ディスカッション

この研修の終盤では、具体的な事例について、「では、自分ならどうするか?」という点からディスカッションをしました。まず共通のテーマが与えられ、それから、3、4人の小さなグループに分かれて話し合った後、全体でその内容を共有する、という形で進められました。僕のグループは、イギリスで暮らすCMディレクターの男性と、ニューヨークで暮らすサイコセラピストの女性と、僕の3人でした。違う分野で活動する方々の考えが聞けて、とても有意義でした。いくつかテーマはありましたが、印象的だった2つを紹介します。

・裏で何が起きたか?を想像する。
まず、「性行為のシーンを撮影する日、それまで同意していた女優が、当日になって、急に拒否した。」というケースを例にして、その裏側で何が起きたかを想像します。例えば、「考え直したら、やっぱりイヤになった」というのは想像しやすいでしょう。他に、「家族や恋人から止めて欲しいと言われた」「関係者との信頼関係が崩れる出来事があった」など、本人以外の要因も想像できます。

次に、これを発展させて、「性行為のシーンを撮影する日、それまで拒否していた女優が、本番当日、その演出に同意した。」というケースについて、その裏側で何が起きていたかを想像します。例えば、「撮影が進むにつれて、関係者との信頼関係が築けたので、監督の希望通りにシーンを撮りたいと思うようになった。」というサクセスストーリーかもしれない。しかし、誰かが彼女に、「次の作品の主役にするから、このシーンをやって欲しい」と、根拠のない約束をしたり、あるいは「このシーンを拒否して、作品が失敗したら君のせいだ」という脅迫があったかもしれない。つまり、この『サクセスストーリー』の裏に、本当の問題が隠れているかもしれないわけです。だから、このような問題を解消する為に、インティマシー・コーディネーターがいると言っても過言ではありません。

以上の議論を踏まえて、今回の研修のテーマは『契約書の大切さ』に繋がっていきました。つまり、インティマシー・コーディネータの仕事は、心情的/肉体的に、「難しい」シーンの演出を、契約書通りに進行させる重要性があるわけです。つまり、だからこそ、インティマシー・コーディネーターは、本当に、この役者が『当初の希望通りにシーンを撮りたいと思うようになったと言った』のだとしても、契約書の内容通りに進行させる必要があります。

今回の研修では、映像の現場がモデルケースとして多く挙げられていましたが、個人的には、ほぼ全てのケースが演劇に適用できると思いました。例えば、ここで挙げた例であれば「ある女優が、演出家が希望する演技を稽古最終日まで拒否していたけど、公演初日になってそれに同意した。」などです。

・問題が起きる前兆は?
研修の終盤では、創作現場における、「トリガー・ワード」について、また、その対処法は何か、についてディスカッションをしました。トリガー・ワード(Trigger Word)とは、まるで銃の引き金(トリガー)のように、様々な問題のトリガーになる単語のことです。印象的だった例を、日本語に直訳して一言でまとめると、『「とりあえず」って言われたら、危ない』です。例えば、「とりあえず、笑ってくれない?」「とりあえず、ピースしてくれない?」などです。講師によると、子役が出演しているシーンが問題なった際、関係者に説明するタイミングで、「とりあえず、保護者のフリしてくれない?」と言われたなんて酷いケースもあるそうです。

<例>
・「とりあえず、〇〇してくれない?」「とりえあず、〇〇にしよう。」
・「(後から変更すれば良いから、)とりあえず、試してみよう。」
・「(後から編集すれば良いから、)とりあえず、撮影しよう。」

他には、「だから、」と言うのが挙げられていて、これは、日本語にも通じる点があると思いました。例えば、「だから、言ったじゃん。」「だから、君は、〇〇じゃないか」などです。

これらは、銃のトリガーが指一本で引けるのと同じように、「些細な事」ばかりだからこそ見逃される事が多く、気付いた時には、取り返せないくらいに、大きな問題になっています。だから、これらを『些細な事』だ、と見逃さない事が肝心です。また、これらに対する問題意識は、個々人の倫理観に任せるのではなく、関係者全体で共有するべきです。

研修では、身体的なトリガーや、時間的なトリガーなど、「言葉以外のトリガー」についてもディスカッションしました。例えば、「身体的なトリガー」として、言葉に詰まる、目が泳ぐ、汗が止まらない、など。「時間的なトリガー」として、本番間近、締め切り間近、など。このように、様々なトリガーに関する見識を深める事で、問題の芽を事前に摘む事ができるかもしれません。

研修で使われていた英単語

英語での活動に興味がある方に向けて、今回の研修で、辞書的な意味とは違う使われ方をしていた英単語を紹介します。

'Just〜' 'For now〜' 'That's why〜'
先述の「トリガー・ワード」の説明で出てきた表現。'Just' と 'For now'を、「とりあえず、」と訳し、'That's why'を「だから」と訳した。

physical indication:
「身体的なトリガー」と訳した。辞書的な意味よりも、含みが大きいように感じた。具体的には、言葉に詰まる、目が泳ぐ、汗が止まらない、など。

contact level:
身体的接触のレベル。例えば、性行為や暴力を伴うシーンのcontact levelは高く、手を繋ぐシーンのcontact levelは低い。重要な点は、これらは『身体的接触』だけの話で、そこに『精神的な抵抗のレベル』は含まれない事。

the male gaze:
直訳すると「男性のまなざし」となるが、この場合は、フェミニスト理論の用語を指す。演劇や映画、文学において、異性愛者の男性目線から、女性を性的対象として描く事。またそれを鑑賞する、異性愛者の男性の態度。

Position Power / Expert Power / Referent Power / Reward Power:
権力構造ついての説明で出てきた「役職の権力」「専門家の権力」「引用先の権力」「見返りの権力」の英訳。この使われ方を知っていないと、意味が取りづらいと思う。

neuro diversity:
自閉スペクトラム症、ADHDなどの発達障害を「神経や脳の違いによる個性」だ、とする考え方。辞書通りだが、よく出てきた単語。

最後に

ここ最近、『被害者じゃなかった自分』と『加害者だったかもしれない自分』の間を行きつ戻りつ、固まらない、湿度の高い、生温かい思考を、どう扱って良いのか分からずに暮らしています。見て見ぬふりをしておけば、いま感じている事は全て、いずれ脳みその片隅で乾いていってしまうのでしょうが、それは悔しいので、この記事を書く事にしました。

それから僕は、どれだけ日本の演劇界が腐っていようと、どうにも演劇を嫌いになることが出来なさそうです。だから、どうしたら心と体を守りながら、演劇を続けていくことが出来るか考えました。そこで、まずは僕が、加害者にも、被害者にもなっちゃダメなんだと言うことを、決して忘れないようにすること。あとは、この記事を最後まで読んで下さったあなたに、僕が持っている情報を渡すことで、あなたが、被害者にも加害者にもならない為の役に立つこと。この二つは、コツコツと続けていきたいです。

この記事に興味を持ってくださった方は、少し前に書いた『ロンドン演劇界のハラスメント対策に関する記事』にも、ご興味を持って頂けるかもしれません。ロンドン演劇界におけるLGBT問題、フェミニズム、ハラスメント対策について触れています。この記事と合わせてご覧いただくと、より広い情報をお渡しできるかもしれません。

以上です。



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