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きみの記憶ってなにと結び付いているの?|ゲームボーイライトとポケモン赤緑

幼い頃の記憶というものは曖昧である。
しかし、その曖昧さをはっきりさせてくれるのが、世の中で起きた事実。史実と言ってもいい。

当時の記憶を遡るために必要なもの。それはポケットモンスターだった。
しかし、その記憶に奇妙さを感じ出していた。


ポケモン赤緑が出たのが1996年2月27日。
俺が生まれたのが1993年だから、当時まだ3歳といったところ。当然、ゲームなど出来もしないだろう。
ここは、おかしいところはない。

次に、ポケモンのアニメの放送時期だ。
それは1997年の4月。俺が4歳の頃だ。
俺は、第一話を間違いなく見た。それは覚えている。
再放送という可能性もあるけどな。

そうそう、ポケモンが流行って、アニメを見て、ゲームを遊び出すという流れだよな。
ゲームを遊んでからアニメが放送されるという流れではないことは確か。
遊んだあとのアニメだったらニビジムのタケシにもっと反応したはず。
ここもあまりおかしいとは感じない。

おかしいと感じたのは、ポケモン赤緑を実際に遊んだ時期の事だ。
ポケモンを遊ぶためには、ゲームボーイが必要になる。
俺は『ゲームボーイライト』を与えられ、それを使って遊んでいたはずだ。

この洗練されたデザインと光る機能が好きだった。

そして、ゲームボーイライトを調べる。
これが、1998年の4月なのだ。その時、5歳である。
うん?
おいおい。
アニメが放送され始めてから一年も経ってるじゃないか。そんなことがあるのか?

もっと早い内から遊び、親しんでいたような感覚があった。
しかし、ゲームボーイライトを使って遊んでいたのは事実だ。
実はゲームボーイポケットだったのでは?という可能性も考えたが、それはないだろう。あの特徴的な緑色に光るライトを間違えるわけがない。それに、ゲームボーイライトの背面を調べたとき、電池入れカバーの波打った形が記憶と符合した。
俺は、あれで遊んだことがある。指の感覚まではっきりと覚えている。

そこまで考えて、じゃあ真実は一体どれか。
アニメを見てから、一年間もゲームはしてこなかったのか。
1998年の4月といえば、かの有名なポリゴンショックの謹慎明けで『39話 ピカチュウのもり』や『40話 イーブイ4きょうだい』が放送されていた頃だ。

特に、イーブイ4きょうだいは記憶に残っている。イーブイが進化をしない選択をしつつも、イーブイのままでも戦えるんだ! というメッセージ性が当時5歳の子供の心にもしっかりと響いたものだった。

ゲームボーイライトの発売を考えれば、アニメがちょうどこの辺りでゲームを始めたことになる。

しかしここまで書いて、ようやくもやもやしていた記憶が少しずつ晴れてきた。
俺の頭の中にあったのは
①アニメ ポケットモンスターが始まってから無印が終わるまで(正確にはポケモン金銀に移り変わるまで)の、比較的早いうちにゲームを始めた
②ポケモンブームの真っ只中にゲームを遊んだ
この二つであった。

ようやく気づいたことがある。それは、
"当時、ポケモンブームはめちゃくちゃ長く続いた"ということだ。

アニメ ポケットモンスター無印はポケモンリーグ編までで82話、オレンジ諸島を含めると118話もある。(1997年4月~1999年10月)

1998年7月に映画『ミュウツーの逆襲』が公開され、同年9月にはピカチュウバージョンも発売されたり、ポケモンジェットがテレビで話題になったりと、まさに第一次最盛期といった盛り上がりであった。
関連番組の『64マリオスタジアム』といったバラエティ番組でポケモン対戦が行われていたり、漫画も『ギエピー』がコロコロで連載していたり、攻略本絵本も出ていて関連商品としてのガシャポンやシールつきガム(最強シール烈伝)などなどそれはもう多岐という多岐にわたってポケモンというものが遍在していた、まさに大ポケモン時代の最初の大波の中に自分はいたのであった。


そうか、そうだったな。
人格が形成されてきて、記憶が完全に定着しているのは、まさに5歳の頃からだ。4歳や3歳の頃の記憶は断片的にはあるけれど、しっかりとアイデンティティーを主張するのは難しい。
自分の頭で考える、という人が人として生きていくための力を身に付けていったのはまさに5歳くらいの時だったんだ。
そして、そんなときに初めて遊んだRPGが『ポケットモンスター赤』だったんだね。
文字が読めたり、数字を計算したり、技の名前を記憶したり、道を覚えたり。そういった、当たり前のようで『はじめて』の体験を、きっとキミは4歳までに済ませたんだ。だから、5歳になってゲームが出来るようになったんだね。


画像はきっと6~9歳を想定されているだろうけれども。


5歳児って、ちゃんと感情がある。
当時、俺はRPGをほんとうの主人公のように遊んでいたし、ハナダシティで戦うライバルのピジョンLv18にボコボコにやられて悔しくて何度も再戦したっけね。
65Lvのフシギバナだったりカメックスだったりを繰り出すライバルを打ち倒して、何度もエンディングを見たね。そうしてゲームをクリアしたからかな、アニメでサトシがポケモンリーグでヒロシに負けたことが本当に悔しくて。

それからもポケモンというシリーズは続いていくし、俺もポケモンと一緒に歳を重ねた。
さらにもっと幼い頃からゲームを遊んでいたような感覚は、記憶違いだったのだろう。ゲームをせずともポケモンは幼い子供のかなり身近なところに溢れていて、良い友達であり、その頃からコミュニケーションツールでもあった。
そして、俺自身がゲームが出来るようになってから、ついにゲームを与えられたんだ。ゲームが出来るという当たり前は、人が育っていく過程の中で生まれていくもの。

記憶違いという違和感をたどってきて。
その結果として、人が人になっていくその瞬間を思い出せたような感覚があった。
ただ一人で育ってきた、そんなわけなんてなかったその当たり前を再認識できて本当に良かったな。

これからも、よろしくね。


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