日和見堂(ひよりみどう)明子
小学生のころ学校が嫌いだったので、義務教育である中学までは我慢するしかないが、高校からは自由なんだから行かないで済まそうと思っていた。 なんやかんやあって最終的には四年生大学を卒業し、社会人経験後さらに美術系専門学校に入学し卒業した。 まさかこんなにたくさん学校を卒業することになるとは想像もしなかった10歳の私。 小学校四年生で転校、転校先の小学校が楽しくて「学校も悪いもんじゃないな」と初めて思った。 中学に進学して、多少のいじめに遭ったりもしつつ、クラブ活動でできた
白杖のお爺さんと出会った駅は自宅最寄駅から5つほど挟んだ駅だった。※前記事参照 あの日はアクシデント続きだった。 百貨店でも、お目当てのショップに行くと店員不在。買うものは最初から決まっていたのでさっさと商品を買って済ましたかったのに。トイレか事務所か知らんがどこぞから店員が戻ってくるのを待つしかない。ようやく戻ってきたので欲しい品を包んでもらうも今度はクレジットの機械の調子が悪く何度も再起動。 5分で済ますつもりの買い物に20分くらいかかった。 来たついでに百貨店内
不登校中2息子の三者懇談会があった翌日、気分転換を兼ねて百貨店へ出かけた。 百貨店の最寄り駅に開店時刻よりも早く到着してしまい、時間つぶしに駅前の広場やら、百貨店とは別のテナントビルやらこれまで通ったことがない辺りをぶらぶら歩いていた。 テナントビルの2階から1階へエスカレーターで下りた時、上りエスカレーターに乗ろうとしている老人2人組がすれ違い様に目に入った。 杖をついたかなりのお爺さん(推定90歳代)と、お爺さんからみたら親子ほどは若そうなお婆さん(推定70歳代)が
紅茶に凝る人、珈琲に凝る人、自分の周囲を見回していると紅茶派と珈琲派で、意外と男女比に差がある気がする。 ものすごく大雑把なイメージなんだけれど、紅茶派は女性が多く、珈琲派は男性が多い気がするのだ。 ふだんの飲み物や外食時の食後などなら、缶やペットボトル、インスタントまで含めると、紅茶派も珈琲派も男女比に偏りがあるようには見えないのだけど、 もう少しこだわって、茶葉から豆から、専門的な道具を使い、家でも自分で丁寧に淹れる…という趣味の範疇に入ってくると男女比に差が現れて
母の死後アレコレ実家がらみの手続きがようやく全て完了。残すは日曜日婚家側の納骨。今夏は母と義母と49日差で連続の見送りをしたから正月はダブル喪中wそもそもここ数年年賀状はごく限られた少数の方にしか差し上げてないのだが、喪中ハガキに1枚に母二人の名前を書いて出したらウケるかな?
日和見堂は来たる10月9日、50歳の誕生日を迎えます。 法律的には10月9日に生まれた場合、前日10月8日をもって満50歳と計上されますが(4月1日生まれの子が早生まれとして前学年になるのはこれが原因)、世間一般の感覚としては誕生日当日が新しい年齢を迎える日であろうと思います。 人生、日々を生きていく上で年齢というものが大きな意味を持つのは、運転免許証が取れるようになるとか、選挙権を得るとか、年金の支払いが生じるとか、飲酒が公に許されるとか、正式な婚姻が可能になるとか、老
無香を求めてヤシノミ洗剤シリーズを愛用しております。ふだんは詰替用を購入しますが、衣類用のキャップに書かれている目盛りが消えてしまったので、衣類洗剤の容器を新調しようと買い物に行ったところ、柔軟剤と台所用も買うしかない感じになってしまいました。
実母の四十九日に義母死亡。親世代伯父伯母など含めて3年間で四人目。この世代あと5人存命。世代的なラッシュがいずれ来るのは予想の範疇だが2ヶ月空かずとは。せめて年1にしてくれ。
母の葬儀がすべて終わり、取り急ぎ済ましておくべき手続きもひと通り済ませて、まだ仕事は残っているけれどもあとは急がずにいいものだけになってやれやれと少しおちついたタイミングに、まだ訃報を知らせていない母方の親戚に順繰りに電話をかけたりメールをした。 そのなかの一人に母の従姉妹がいる。年齢差でいえば私と8歳しか変わらないので、気分的には母の従姉妹というよりも私自身の従姉妹のような感覚がある。 母の従姉妹とは子供のころは度々会っていたものの、あちらが大人になり国際結婚をして海外
父は長年ずっと細身で、高校生の頃の体重をずっと維持していた。特に努力していた訳ではない。そういう体質らしい。 とはいえ、私が子供のころは逆三角形の細マッチョだったのが、私がすっかり大人になったころには加齢により肩の筋肉はそれなりに衰え、体重こそ変わらなくても腰周りも弛んで、逆三角細マッチョからただの細い人になっていた。 それが還暦を越えてから徐々に太り出し、太り始めた矢先は家族も親戚も「ミッちゃん(父のこと)でも太るんやなぁ」と好意的に受け取られていた。 ところが、定年
台所のテーブルに置いてある醤油差し。使い切って空にして一度洗おうと思い、蓋を外したところ味噌と間違いそうな匂い。無闇に発酵進んでるー!!
朝8時に干し始めて夕方4時の時点で塩が吹き出した。通常ここまでくるのに三日三晩かかるんだがなあ。危険な暑さすげえな。 ちなみに通常1日2〜3回ひっくり返すくらいでいいのだが、本日は1時間毎にひっくり返してちょうどよかったです。
料理してます。流水で冷やしたいんだが蛇口から湯しか出てこない。
ぜんざい(おしるこ)には塩昆布という定番があるが、バニラアイスにはこれというベストな口直しはないのだろうか? (カップアイスよりどり3個のセールに便乗して食べ比べしたのはいいがあとくちが甘ったるいよぅ喉の奥まで甘いよぅ)
通夜の夜、葬儀屋のスタッフからの思いがけない提案に笑うしかなかった①に続いて、翌日の葬儀でも笑うしかない事件がありました。 葬儀を終え出棺、火葬場に到着して、母を炉に入れた時のこと。 母の葬儀はごく内輪の身内だけで、お坊さんも呼ばずに無宗教で行いました。 通夜については父、私、私の夫、私の息子の四人だけ。なんとなく仏式の雰囲気で司会進行に則り焼香だけはしましたが、ものの5分とかからず通夜式終了。 翌日告別式にはこの4人に加えて、父の弟夫妻と、父と母の共通の友人がおひとり
六月半ば、母が身罷りまして通夜と葬儀をしました。享年74です。 非社交的な人間で友人つきあいもとても少なく三十代の若さでリウマチを発症した母は、人生の半分以上をリウマチ生活の中で過ごしました。持病を盾に親戚づきあいや近所つきあいも体良く放棄した母でしたので、なんの迷いもなく家族だけで昨今流行りの家族葬にしました。 家族葬とはいえ、お願いした葬儀屋さんの会場は50〜100人くらいのキャパシティがある葬儀専用会館でした。 間取りは1階に入口、霊安室、警備員室など、2階に斎壇を