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ルーベラの思い出

生まれ育った家は、せますぎず広すぎない庭と畑に囲まれていた。祖母はからだを動かすことが大好きな働きものだったので、雪が積もる季節以外は毎日せっせと外仕事をしていた。時計も見ず、水も飲まず、日が暮れるまでしゃがみこんで草をむしり、野菜を丹精している丸い背中を覚えている。

保育園のお迎えは、いつも祖母だった。他の子たちはお母さんがお迎えにきていて、自転車の荷台にのせてもらったり、おんぶしてもらったりしながら帰っていた。祖母が自転車に乗ることはなかったし、おんぶしてほしいと言ったらたぶんしてくれただろう。でも、祖母はやせていたから怪我させたらいやだと思い、お願いすることはなかった。ひそかに、他の子たちはいいなぁと思いながら、いつも祖母と手をつないで帰った。

一度だけ、お迎えを忘れられたことがある。帰る時間になっても祖母が迎えに来てくれず、先生が家に電話をしても誰も出ないという。他の子たちはどんどん帰っていき、昇降口には私だけが残った。外は少しずつ日が暮れていき、いつもだったら家にいる時間なのにまだ保育園にいることが心細くて、誰も来ないことが悲しくて、私はめそめそと泣いた。大の泣き虫だったのに、いつものように大声で豪快には泣けなかった。

教員室で泣いている私に、園長先生がルーベラをくれた。ラングドシャを筒状に丸めて焼いたお菓子。おやつの時間じゃないのに保育園で出されたその焼き菓子をすごく覚えている。
結局、祖母が迎えにきてくれて帰ったのだが、そのときのことは覚えていない。畑仕事に夢中になりすぎてお迎えを忘れ、外にいたため電話がかかってきたこともわからなかったらしい。

私が中学生のときに引越しをし、生家は取り壊され、庭も畑もなくなった。新しい家にも庭はあったけど狭かった。祖母は怪我をして外仕事をすることができなくなった。私は成人して上京した。入院と退院をくりかえし、祖母はいなくなった。

みんな過去になったのに、ルーベラは今もかわらず売っている。スーパーマーケットで見かけるとなんとなくほっとする。懐かしくて胸がつまる、おいしいけど自分では買えないお菓子。


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