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別々のものを見ている

みうらじゅんさんが「親孝行はプレイ」説を唱えていたが、まさにそうだ。こじらせツンデレの私がミッションを遂行するには、素直さが足りない。プレイを始めようじゃないか。小学生の頃以来、20数年ぶりの家族旅行。スポンサーは私だ。

地元再発見!ではないが、行き先は岩室温泉に決めた。山もあるし、海も近い。1時間に1本あるかないかの電車を乗り継ぐよりも、移動は車が断然早い。
問題は運転手だった。プロ級ペーパードライバーの私、絶賛事故処理中の叔母。消去法でハンドルを握るのは母に決まった。幸いドライブ大好きっ子である母が張り切って引き受けてくれ、ありがたかった。

日程を前乗りして実家に寄り、翌朝みんなで出発した。雨予報が出ていたけれど、くもりながらも晴れ間がのぞき、不思議なくらいお天気はもった。日頃の行いが良いからだろう(母と叔母の)。お天気ついでにまるで梅雨時期のように蒸し暑く、お茶しに寄ったりトイレに寄ったり、寄り道ばかりの珍道中。

知らん間にイングリッシュガーデンなんてものが出来ていた。しかも広くてどの花も木々も元気で綺麗。田んぼの真ん中に突如現れたおしゃれ空間。やるな。

夕方にチェックインしたのは、弥彦山に程近い宿、純和風の老舗旅館。広々とした和室、いかにも温泉旅館な風情。各々颯爽と作務衣に着替え、用意されていたお茶と花豆を一気に平らげた後、ロビーに降りてサービスの甘酒とおやつをかっくらう。酒蔵からわけてもらっているという甘酒、ほんのり甘い滋味がしみわたる美味しさ。苔に包まれた上品な深緑の庭園を眺めながら、無言で甘酒を啜る。わたしたち家族は、外の世界に出たときは口数が少なくなる。

わたしたちは、仲が悪いわけでは決してないが、仲が良いように見えないのかもしれない。いつでもどこへ行くにも一緒、同じ空間でゆったり家族団らん、という要素が薄い家族だ。普段から、同じ家の中にいてもそれぞれの部屋で好きなことを好きなだけしている。たまに自分の世界から出てきては、そこから持ち帰った土産物を披露しあうのが好きなタイプの集まりだ。この性質は、私自身の交友関係のベースともなっている。これ、家族から引き継いできた距離感だったのか、と今回気づいたんだけれど。

旅行は少し心配だった。自室のような逃げ場がなく、旅行の間中はずっと一緒にいることになるのだ。窮屈だなぁとお互い思うのだろうか。懸念はあったけれど、だったらどうなるか見てみればいいさ、と踏み切ってみた。

結果、自由人たちはどこにいても自由に過ごすのだった。

夕食をすませ、温泉に入って寝るだけ。満腹でも早くさっぱりして床に入りたい母、おなかが落ち着くまでは風呂に入らない派の叔母、なんでもかまわないからのんびり長風呂したい私。
部屋の鍵はひとつなので、一緒に出て一緒に戻ればいいがタイミングを合わせるのが煩わしい。結局、ひとりずつ温泉に行き、帰ってきて交代する流れに。

温泉はすばらしかった。自家源泉だという硫黄泉、少しとろみと匂いのあるやわらかくてしょっぱいお湯。オフシーズンで平日夜ということもあり、夜8時の温泉の利用者は自分のみ。だだっぴろい天然温泉独り占め。最高か!と露天風呂で何度も小さく叫んだ。予報どおり雨が降り始め、露天の屋根の下をぬるく湿気た風が吹きぬけていく。暗闇の中、視界の向こうにはずどんと大きな山のシルエットがみえた。濃い緑と土の匂い。怖さもあったが心地よさが勝った。のぼせかけては縁に腰かけ、また湯につかり、悠々と長風呂を楽しんだ。
入れ替わりで叔母が来たが、あまりに他の客がいなさすぎて怖かったらしく、カラスの行水で上がってきた。部屋に帰ったら母が寝ていた。

その日は夜になっても蒸し暑く、布団の足元にある扇風機をまわしていたのだけれど、叔母から風に当たりながら寝るなんて言語道断、寝る前に消せと言われ、湯にのぼせていた私は絶対嫌だと言い張り、小競り合いになった。首振り機能を止めて自分に向け、風量を最弱にし、私は風を浴びながら寝た。

朝、ひとっ風呂浴びて朝食をとり、再度露天風呂を堪能して宿を後にした。ゆっくりしたかったが、翌日は駅伝が控えていたので、夕方には帰らなくてはいけない。野菜を買って帰りたいという私の願いで、帰路は道の駅を渡り歩く道の駅ツアーとなった。

小さな車麩をお菓子に仕立てた「麩ろランタン」なるものを見つけ、車中でのおやつとして配った。例の如く、道の駅でもばらばらに行動していたのだが、母と叔母はそのお菓子には気づかなかったらしい。
「見るものは違うもんだねぇ」と叔母がつぶやいた言葉が、なんだか心に残った。

見るものが違う同士、ちぐはぐでちょっと窮屈だけれど代わりはいない家族。違うものを見ていても、同じ場所にいる。振り返れば姿が見える距離、近くに居るな、とわかるだけで安心する。
私が子を持つ気配がないので世代交代は訪れず、未だ子供扱いで、為すことすべてに小言をこぼされる役回り。
だいぶ小言は減ったけれど。浴場で泳いでいたことに「泳いでたよね」と後で言われたものの、その場で「泳ぐのやめなさい」とは言われなかったけれど。

母孝行・叔母孝行したいんだってばと思いながら、結局もてなされ気遣われ、山ほどのお土産と帰りの新幹線代を握らされ、見送られて帰ってきた。孝行はプレイだのとのたまったくせに、スポンサー気取りでいたくせに、やっぱり私は彼らの中ではまだまだ子供なのだ。そのことが多少悔しく、少しだけ安心した旅だった。


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