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クズ男の話

スズメバチと対峙した時ほどではありませんが、彼が隣に座った瞬間、シュンッと酔いが覚め、
「この人と仲良くなるのは危険だ」
と、直感が告げたのです。
(ワインをしこたま飲んでいたのに)

結果、それは当たっていました。
悪い直感は当たるのです。

あの直感が働いて1ヶ月、色々と彼の噂を聞きました。

「ああ、やっぱりあの時の直感は当たっていたのだ」
「あの時、誘いに乗らなくて本当に良かった」
そっと独り言のようにほっとして。
 
数ヶ月後。

「でも、そんなに悪い人だとは思わない」

それが油断。
様々な偶然が重なり、不可抗力。
あの時、酔っていなければ、二人きりになんてならなかった。

なんとか終電で帰ったけれど、

うっかり足を滑らせ、転んでしまったのです。
すっかり俗塵に塗れてしまいました。
元より無知蒙昧な女です。

普通に生活していたら決して交わることのない種類の人間。
昔の私だったら、きっと近寄らなかった。

刺激的で魅力的だったのです。
奔放なところも、どこか羨ましく感じました。

こんなに頻繁に夜の街へ出るようになるなんて。
必ず終電か、終電一つ前の電車で帰るようにしていたのに。
そう、彼と会えるのは、たいてい、夜なのです。

朱に交われば赤くなるとは、このことか。

彼と出会う前の私にすっかり戻るのは、無理でしょう。

純真な、真面目な、身持ちの固い、
ああ、あの頃の私を返してよ。

この人と仲良くなるのは危険だ。
避けていたのに。
なのにどうして、こうなってしまったのか。

それを選んだのは、他でもない、私自身なのです。

彼を責めるのはお門違いです。
責めるつもりは元からありません。
怨んでもいません。

彼の周りの女たちも厄介です。

泣いて、消えていく子もいれば、
決して幸せになれない人にいつまでも執着しているせいか、見かけるたびに疲れた顔をしています。
(それは私も同じです)

それでも彼の元を離れない彼女は、彼にとってのさしずめ陋巷(ろうこう)のマリア。
ミケランジェロやダ・ヴィンチの聖母マリアには決してなれない、貪瞋痴にまみれた陋巷のマリア。

それでもマリア様のうちはまだ良い。
思い詰めた女の情念はそのうち、泥眼、生成と変化していくものです。
鬼女になった女は、哀れです。
つくづく、罪な男です。

きっと彼が絡まなかったら、彼女たちとも仲良くなれたのでしょう。
彼に出会わなければ、平穏だったのでしょう。

女の敵であるのは間違いないけれど、
憎みきれないのです。

このままでは、以前からの友人達からも見放されてしまいそうです。

何度か警告されました。
彼はおかしい、と。
もう彼に関わるのはよしなさい、と。

彼の心には、ぽっかり穴が空いているのです。
満たされることのない何かを埋めるために、方法を間違い続けているのです。
自分でそれに気がついていないのです。

いくら言葉をかけても、愛情を注いでも、流れていってしまいます。

底の抜けたグラス。

何度も何度も離れようとしたけれど、弱いところを見せられると、つい可哀想になってしまいます。

彼には誰の言葉も届きません。
誰の言葉も響きません。

昔の自分を見ているようで辛いのです。

「やっぱり、何かある人どうし分かりますよね」

素面の彼から言われた言葉。
あの時、ようやく、彼の素顔を見たのです。
嬉しかった。

いつもいつも、取ってつけたような仮面の笑顔で。
けたたましく響かせる笑い声は、私には、悲しい寂しいと叫んでいるように聞こえました。

業を背負っている。

そんな彼の、本心がやっと見えたと、自惚れてしまいました。

生まれも育ちも、価値観も。
私とは全く違う彼との唯一の共通点を見つけて、ますます惹かれていきました。

私は、彼に近づきすぎました。
心の奥に潜り込みたいと、欲を出してしまいました。
でも、そうすればするほど、心を閉ざすのは当たり前です。

最近は、すっかり軽んじられています。

適当にうそをつかれ、守る気のない口約束。
寂しい時だけ寄ってきて。
構われたくない時は無視されます。

かつて甘く優しい言葉をくれた同じ口から、ぞんざいな言葉を聞かされて。

本当だったら、私を雑に扱う人なんて、すぐに離れたほうがいいに決まっています。

もう、決めました。
本当の本当に、
本気の本気で、

彼から離れる決意をしました。

今回こそは、決して翻意にはしません。

友人が本気で叱ってくれるうちに。

「彼と同類の女だったら、何も言わない。でもあなたは違うでしょう。違うから言ってるの」

私も、どこか一本ネジが外れていたら、
ほんの少しズレていたら、

きっと彼と同じになっていたと思います。

求めているのは、親からの無償の愛なのです。
でも、親とはセックスしないのです。
これは求めていた愛とは違う、と、絶望する。
それを繰り返している。

子供の頃の寂しかった満たされない思いは、いつまでも消えません。
でも、あの頃欲しかった親からの愛は、今更手に入れることはできないのです。

それに気付かないで、今夜も彼は満たされることのない愛を求めるのでしょう。

あんな生活が、いつまでも続くはずがありません。

このままでは一生苦しみます。
彼が哀れです。

彼は、自分のことは好きだと言いました。
ところが、その行動は、自分のことが好きな者のそれとは全く違います。

奔放に好き勝手やっているようで、自傷行為に近い。

もっと自分を大切にしてほしい。
あなたは、良い子です。
幸せになっていいのです。

これは、私も自分自身に向けて語りかけています。

彼が、彼の周りの女たちが、哀れです。
見ていられない。

だから、もう本当に、本当に。

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