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忘れたくないこと


11.26

とあるものに心が触れて、朝からたまらない気持ちになった。いい意味で。忘れたいような忘れたくないような気持ちは、たぶん忘れたくない記憶だから、持てるうちは持っていていいと思うのです。


結婚4年目。最近どうも喧嘩が多い。年に3回するかどうかの喧嘩が週に3回起こったのだから異常事態と言えるかもしれない。あまり悲観的には捉えていないのだけど。それぞれ発端は別のことだったとはいえ、ひとつひとつが独立しているように見えて、実際は連なっていたんだろうなぁと思う。


1つ目の喧嘩(というより険悪な空気になった)の気持ちを引きずったままで、私の地盤が緩んでいた。ぬかるみの上で考えるようなことは暗い気持ちしか呼び込まない。気付いたら先々の不安も色々取り込んで、暗雲を払いのけられなくなっていた。こういう性質はふたりの問題というより自分自身の問題。ひとつの不安はすぐに別の不安を引き連れてくるし、不安と不安の親和性はすこぶる高い。気分転換に一人で好きなカフェに行ってパンナコッタとほうじ茶を頼んでみたけれど、根本的に物事が解決していないのだからどうしたって気持ちは晴れなくて、胃はもたれた。心配事があると食べ物が喉を通らないタイプの私だった。



2つ目と3つ目はほとんど似たようなことで、お互いに思いやりが足りなかった。自分の物差しで相手の行動を計って咎めるような発言をしてしまった。普段ならもっと優しい言い方ができたかもしれない。もっと寛容な心で受け止めていられたかもしれない。それでもこういうときってドミノ倒しみたいで、一つ前のドミノが倒れると修正って難しいんだよなぁ。


3つ目の出来事は、ふたりで散歩がてらカフェに向かう直前に起きた。でも踵は返さなかった。お互いに落ち着いて状況を分析しながら歩いた。つまり喧嘩しながら歩いた。季節の風に当たりながら、目の端にひんやりしたものを感じながら、同じゴールを目指してひたすら歩いた。曖昧にしがちなことを曖昧にしない時間になったから、たぶんそれがよかった。自分はこう思ったからこう言った。それについては確かにそうだけど、自分はこういう視点で物事を見ていた。できるだけ相手を否定せずに、冷静に言葉を交わして。少しずつ解けていく。


相手の意図が分かりはじめて安心感かむくむくと育ってくると、いつもより広めにとった距離感がもどかしくなる。でもこういうとき、素直でない私はすぐには距離を詰められない。コーヒーに落としたミルクのように、相手から少しでもアクションがあればすぐに馴染んでしまうのだけど。そんなこんなで、ちょうどお目当てのカフェに着く頃、お馴染みの距離感に戻っていた。ときには喧嘩したっていいけれど、できればやっぱりまろやかに過ごしたいなぁ。


家に帰って、シフォンケーキを焼いた。2回目の手作りシフォン。初めてのときはハンドミキサーがなくてぺしゃんこシフォンになったので、実家からミキサーをもらって挑んだ。メレンゲを立てて、オーブンに入れるところまではとても調子がよかったのに、結果膨らみきらずに蒸しケーキのような仕上がりになった(これはこれで美味しかった)。お菓子作りとは縁がなかった私だけれど、シフォンケーキを焼けるようになりたい。理由はまたいつか。


日が変わって月曜日。繁忙期に差し掛かる中で、もどかしい想いがゆっくり身体の中を循環した。病院から帰ると昨日のシフォンが迎えてくれた。口に入れると、生地は少し縮んでいたけれどふんわり優しかった。仕事帰りの夫の手にはミスドの袋が下がっていた。私のシフォンケーキのこと忘れたのかなとは思いつつも、駅での出張販売を見て思わず買ったんだろうなと想像できた。袋の中にはふたりの好きなオールドファッションがあった。食後に甘いものを並べて分け合う。日常ってこういうことだったか。言葉にしないと分からないことだって勿論あるけれど、言葉にしなくても伝わることがあることも事実。なんてことない忘れたくない夜に、栞を挟みたくなった。

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眠れない夜に

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