あなたは私の光系カプについて考えよう〜「メシスト」というCP概念〜
オタクなら"救済のあるカップリング"好きだよなぁ?
分かりやすく言おう。イメソンがアゲハ蝶やアイネクライネのカップリング、みんな好きですよね?
片割れに出会ったことで世界に光が満ちるような、消えない悲しみも綻びもそれで良かったと笑えてしまうような……..。
つまり「あなたは私の光系CP」。イメソン界の帝王Lemonの影響かこの呼び方は最近救済オタクの間でちらほらと目にするが、これをさらに発展させたCP概念が存在する。
それがメシストもしくはストメシである。
☆メシストとは?
メシア(救世主)×ストレイシープ(迷える子羊)の略。何らかの迷いや葛藤を抱えていた人間が光属性の人間に救われたり導かれたりするカップリングのこと。救済オタクのくちさん(@SSRIs_ )が提唱した概念。
(※毎回両方書くと煩くなるので便宜上これ以降はメシスト表記を用いますが、迷える子羊×救世主の場合はストメシになります。逆が性癖の方もご理解ください。)
具体的なカプ名を挙げると争いを呼ぶので一つだけ紹介します。
鹿目まどかと暁美ほむら(魔法少女まどか☆マギカ)
分かってもらえたかな〜〜。
これ、メシストとかストメシって表記できたら便利じゃないですか?広まってくれ。なんならもうこの時点でメシスト概念使っていこう!と思った方はこの先読まなくていいです。
そして今回の本題はこれらのCPにおける構図と救済についての考察です。
1.救済と巨大感情
身内の中で、スポーツもののジャンルではメシスト現象が起こりやすいのではないかという説がある。これは、
「悩み、葛藤しながら強くなっていく後輩」
「チームを導き、教える立場の先輩」
という構図がそのままストレイシープとメシアに当てはまるからだと考えられる。もしくは天才/凡人という構図。また、戦闘もののジャンルでも導く存在、司令官としてのメシアが発生しやすい。
メシストにおける救済とは簡単に言えば人生観の転換だ。ストレイシープは、本人がそれを自覚しているか否かは別として暗闇の中にいて迷っている状態である。実際に具体的な事柄について葛藤している場合もあるし、人格に根ざすレベルでぼんやりと厭世的になっている場合もある。
特に後者の場合、救済は圧倒的な質量を持つ。キリスト教には「メタノイア」という言葉がある。一般的には「悔い改め」と呼ばれるが、悔恨と改心というふうに捉えると少し語弊があり、本来は心のありようが変わることによるものを見る視点の転換という意味になる。
何が言いたいかというと、「メシアに出会ったことで世界に光が射した」という人生観の変容はこれに当たるのではないかということだ。そうすると、当然のように信仰が生まれる。認知度の高い用語を使うと「巨大感情」「クソデカ感情」の発生である。
ただし、宗教の教義上の生粋の神に向けられるのと同じほどの熱量の信仰が生身の人間に向けられることになるため、巨大感情はぐちゃぐちゃに歪んでいくケースも多い。
2.メシアのパターン
メシアは大きく4つのタイプに分けられる。
①無自覚型メシア
楽観的で健全な光属性の人間。
このパターンに救われやすいのは、長期に渡って厭世的だったり、人格に根ざす闇を抱えているストレイシープである。
無自覚型メシアの救済は自由で健全な生き方の体現にある。「この人のようにあれたらいいのに」「この人のようにはなれない」という希望と絶望を同時にもたらす。
そして本人は救ったことにも信仰を向けられていることにも基本的に自覚が薄く、ストレイシープを放置して先に行ってしまったりすることも多い一番タチの悪いメシア。この現象を育児放棄と呼ぶ。
②自覚型メシア
強く正しく導く父性の存在。
先輩や司令官に多い。多くの場合、何らかの形で戒律を与える、監視する、裁くという役割を担う。「この人について行けば大丈夫」という絶対的な信頼を寄せられることによって生きる指標の提示という救済をもたらす。
ストレイシープにはメシアの戒律に従うための一定の強さが求められるため、二者の関係により成長が見られやすい人間関係としては比較的健全なタイプ。
自覚型メシアは自分が導く存在であることを知っているため、弱音や信仰が揺らぐような側面を極力他人に見せない。さらに行き過ぎるとその側面を隠すのではなく自分の中から排除してしまおうとする。
③破壊型メシア
天真爛漫かつ狂暴、未熟なメシア。
一言でいうと「期待の新人」タイプ。勝ちや争いに対して貪欲で執着が強く、戦好き。
明るくひたむきな姿によって周囲の希望となり、かつ勝利に導くという2つの点で救済を与える。つまり光と父性という両方のメシアタイプの要素を併せ持つ。
戦好き=行動に破壊を伴い、その発展途上さを補うためにコントロールやアドバイスが必要となる。ストレイシープはメシアに救われつつもメシアを制御していくため、貢献度の高い世話焼きタイプが多い。
④マリア型メシア
慈愛と受容、赦しを与える母性の存在。
メシアに加えはしたが、上記の3つとはかなり異なり、その性質上カップリングの主流はストレイシープ×マリア(ストマリ)になりやすい傾向がある。
いわゆる「聖母受け」だが、ただ優しいというだけではなく、救済をもたらすことがマリア型メシアの基準。
マリアの与える救済の本質は赦しである。幼少期に母親の存在が欠如していたり、罪の意識が強かったりするストレイシープが救われがち。
しかし無条件の受容に甘えてしまったストレイシープは堕落するため、心中と親和性が高い。メシアは強い神だからあんまり一緒に死んでくれない。
ことわざ「芋虫にも慈愛」……桜の下でお弁当を食べているときそこに落ちてきた芋虫に対しても、騒ぎ立てることなく「おや」とか「あら」などと言ってそっと安全な場所に下ろしてあげるマリアの様子から。素で人間だけでなく虫にも深い愛を注ぐ、人外レベルの慈愛を持つ者のこと。
3.ストレイシープの傲慢さ
ここでは、先ほど巨大感情や自覚型メシアの項でも少し触れたように、「生身の人間に信仰を向ける」ことの問題について考えていきたい。
まず想像して欲しいのは、あなた自身が誰かにとってのメシアにされてしまったらどうなるか?ということだ。
「あなたの考えることは全て正しい」
「あなたほど美しい人間は他にいない」
「私の命を投げ打ってでもあなたのために尽くしたい」…………。
どう考えても重すぎる。当然だ。
まともにこの巨大感情を受け止めてしまうメシアには、まず、ストレイシープの見ているメシアの像と、メシア自身が持っている自分の像に明らかな乖離が生じる。多くのまともな人間はこの乖離には耐えられない。「自分はそんな綺麗なものじゃない」という強烈な葛藤が生まれる。
それに耐えるためのパターンとして2つが挙げられる。
①ストレイシープの見ている像を自覚しない
これは初めから信仰に気づいていないケースだ。うっすらと悟っているにしても、自分がどう見られているかということを考えない。無自覚型メシアが育児放棄をしやすいのは、この重量を背負うべきではないと本能的に察するからかもしれない。
②ストレイシープの見ている像に自分を寄せていく
自覚してしまったメシアは、理想のメシア像にそぐわない部分を排除するという形を取る。この寄せていくという行為自体は多くは無自覚的に行われる。こうして、一部のメシアは信仰によって本当に神様になっていく。
メタ的に言えば、二次創作の中でキャラクター本来の人格よりもメシア性が強い作品が多く描かれるようになる。
こういう現象を挙げたのは、ストレイシープの傲慢さを浮き彫りにするためだ。
言葉を選ばずにいえば、ストレイシープはメシアに勝手に救われて、勝手に信仰している。その過程にはメシアの意思は存在しない。人が宗教を信じるとき、神がその個人に呼びかける必要は無いのと同じように。信仰は対話を必要としない。
「憧憬は理解から最も遠い」という有名な台詞があるが、ストレイシープの最大の罪はここにある。メシアがそれを許しても、やはりストレイシープは生身の人間の神格化という傲慢を隠すことはできない。私はその傲慢さこそがメシストの良さのひとつだと思いますが。
4.一緒に死体を埋めてくれる
あの……どうしてもこの話だけしたいからしてもいいですか。ストレイシープはメシアが人を殺したとき一緒に死体を埋めてくれる。最高だ。もうどれだけ傲慢でもいい。
メシアとストレイシープにおける救済について、いくらかは言いたいことが伝わったでしょうか。これを機にカップリングにおける救済について少しでも考えていただけたら幸いです。相互救済とかいうのもあるし、考え始めたらキリがないド沼です。
それで良かったら「〇〇はメシスト」とか「〇〇はメシア」とかツイートしてください。救済オタクはいつでも救済のあるカップリングを探しています。
最後に、メシストの概念を提唱し、本記事の作成を手伝ってくださったくちさん(@SSRIs_ )本当にありがとうございます。これからも救済オタクとして救いを探しもとめて生きていきましょう。
とても頑張って生きているので、誰か愛してくれませんか?