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ライターというフィルター越しの言葉は事実と言えるのか?

長年テレビで編集をしていると必ず思う事がある

『あ〜あ、紙だったら楽なのに』


もちろん番組内のインタビューや
インタビュー番組の編集もした

番組には必ず制作意図がある
インタビューに対しても『こう言って欲しい』は
実際にあるわけですよ

もちろん、事実を曲げるわけにはいかない

でも、編集はできるんですよ

ただ〝幅〟があるんですよ。できる事の。
映像より音声のみ
音声より紙媒体の方が自由に編集できる

まず、音声ではトーンと言うものがある
音の強弱、嬉しそうに言う悲しそうに言う
バカにして言う、ふざけてからかって言う

心にない事を言えば声には出るんです

語尾の強弱もある

〝間〟というものもある
間に『えぇ。。。』とか
悩んでたり言葉を選んだりしている
とわかってしまうんですよ音声だと

でも、同じインタビューでも
紙で間を詰めてしまったら
全く別の印象をあたえられる
読んだ人にその印象は委ねられるのです

フラットに受け取る人もいれば
怒っていると受け取る
自慢しているように受け取る
全て受け取る側の自由なんですよ

制作側としては大事なのは文字面でなく
制作意図が伝わるかです

インタビューを編集するときに
〝書き起こし〟と呼ばれる
音声を全部、文字にしたものを使うのですが

その文字を眺めて
『これ使えるんじゃない?』と
その部分を見ると思った印象と違うな
って言う事が多くあり落胆します
しかし妥協はできません

言ってる人の声のトーンや強弱
表情まで含めてインタビューなのです

でも、紙媒体ならここで大丈夫なんですよ

語尾の弱さなんて気にしなくていい

自信が無いから語尾が弱くなる
迷いがあるから弱くなる
でも語尾の弱さなんて文字にしてしまえば
表面には出てこない
で、次に言い換えたとして
そこをカットしてしまえばいい

言い換えた方が自分の本当の意見でも
その前の迷っている方の意見が
一人歩きする可能性があるんですよ

言った事は事実は事実ですよね?と…

もちろんテレビ編集にも
〝音編〟なるものもあります

しかし

音声だけより映像がついている方が
編集はしづらいんです
カットすれば映像もカットされてしまう
そうそう口パクなんてできない
全く違う画をかぶせるというインサートという
手法はあるけど。。。
ずっとインサートの画ばっかりのインタビューに
信憑性があるとはいえない

つまり、紙はライターの自由度が高い
良心さえ許せば簡単に捏造できるんですよ活字は

自筆はむずかしいんだけどね。。。

だからこそ思うんですよ

小山田が自慢げに武勇伝として
いじめを話している映像がみたい

せめて取材音声をリークして欲しい

小山田が話しているその場にいた人間以外に
誰が〝いじめを自慢していた〟
〝いじめを武勇伝として語ってた〟と
わかったのだろうか?

あくまで、紙面から受けた印象であれば
それはライターのフィルターを通したものだ

そして、その色眼鏡でみれば
紙面はそのように見えるだろう

小山田圭吾を実はわたしは良く知らない
名前と〝コーネリアス〟と
小沢健二とフリッパーズ・ギターくらい
しかも、小沢と小山田でフリッパーズ・ギター
である事を知らなかったw

でも、今回の報道というか時流が
おかしいように思うのですよ

上の記事でも書いたように
オリンピックの名のもとに異様な論調が
世界を駆け巡っていると

同じ危機感を爆笑問題の太田さんがラジオで語っています
爆笑問題の番組は何回か担当させてもらった事がありますが
太田さんはクレバーな人だなぁと感じています
80分と長いので時間が無い方は40:00ぐらいを聞いて下さい

どんな問題も時代背景とは少なからずあるものだと思います

小山田が実際にいじめをしたという80年代初頭
※『クイックジャパン』の中で本人が意識的にいじめをしていたと言うのは
小学校のころで中高も周りにはいじめはあったが、被害者の一人沢田くん
とは仲良くなり沢田のファンになっていたと語っている

小山田のいじめが雑誌に掲載された90年代半ば

どんな世の中だったのでしょうか?
もう少しリサーチが必要ですね