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消息をたったオランウータンの赤ちゃんの裏にあった闇

前回の記事を書いていて気づいた事
それは、消息をたったオランウータンの存在
因に、前回の記事はこちら

オランウータンが初めて日本に来たのは
なんと江戸時代に遡り
1792年、寛政4年だったと言う
長崎の出島に到着するがすぐに死亡してしまう

唐蘭船持渡鳥獣之図

その次に記録があるのが
1800年(寛政12年)こちらも
長崎の出島に到着している

こちらのオランウータンは死後
剥製が作られたらしい

そして、1898年に上野動物園で初めて
オランウータンが飼育される
(4が月後に死亡しているが。。。)

他の大型類人猿
チンパンジーは、
1927年に天王寺動物園で飼育されており

ゴリラは、
1954年に、移動動物園が3頭輸入したのが
初めてだという

やはり、同じアジアにいる類人猿だけに
オランウータンの方が歴史が長い

以降、飼育方法が確立しないまま
多くのオランウータンの赤ちゃんが
やって来ては、その命を落としてきた

上の記事を書くにあたり
GAIN(大型類人猿情報ネットワーク)の
モリー以前に上野動物園で飼育された
オランウータンを表にまとめていて
ある事に気づいた


上野動物園で飼育されていたオランウータン(GAINより)

注目して欲しいのが15〜17の個体だ
それまで正確に日付まで書かれていた死亡年
いきなり〝不明〟となっている
オランウータンが来園した日付は
それまで通り、記録されているのに。。。

1936年と1938年に来園した3頭

当時の歴史を見てみると
考えられるのが第二次世界大戦だ

1939年8月23日の独ソ不可侵条約と
付属の秘密議定書に基き
1939年9月1日に始まったドイツ軍による
ポーランド侵攻と
同年9月17日のソビエト連邦による
ポーランド侵攻を
発端とする人類史上最大の戦争

日本も1941年12月8日のマレー戦
そして同日に行われた真珠湾攻撃によって
いわゆる太平洋戦争(大東亜戦争)が開戦した

1936年と1938年に来園した
3頭のオラウータンの赤ちゃん
それまでの生存年数を考えると
丁度、日本が太平洋戦争へと向かって行く
時代にリンクする

1943年8月16日
大達茂雄東京都長官(当時の東京都知事)に
よって上野動物園などの都内の動物園に
猛獣殺処分が発令された

これを皮切りにこの〝戦時猛獣処分〟は
全国の動物園に普及して行くこととなる

おそらく、まだ子どもだったオランウータンは
この対象では、なかったと思うし
そこまで生きていた可能性も低いが
オランウータンの死亡日時を
記録している場合ではない状況が
戦争によりもたらされたのだろう