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光GENJI→西武→阪神。この地域に生まれた故のサガ。【四十路の日常】

子供の頃は西武ライオンズのファンだったのだ。



小学校1年生の時、光GENJIが大ブームで私も流行りに乗るべくファンだと言っていた。

幼稚園の頃初めて好きになった芸能人は細川たかしである。
細川たかしが本当に好きだった。

その後小学校に入学して世間の同世代は細川たかしではなく光GENJIだと知り、私も光GENJIだと乗っかっていたのである。

1番人気のかーくんが好きだとみんなに話し、家族にもそう伝えていた。

すると家族が「西武の工藤って似てるんちゃう?」と言い出し、私はそのまま工藤公康選手のファンとなった。その流れで西武ファンだったのである。

しかしなんせ始まりが流行りに乗りたくて好きだと言い出した光GENJI。
気持ちが長続きすることはなかった。

そのうちに光GENJI自体を好きだと言い続けることにも無理が生じ、友人に「もうファン辞めるねん」とはっきり伝えた。
友人は驚き、「え!ほんまに?次の新曲も聴いてないの?『よ』から始まる歌詞のやつやで!?」と言われたことをはっきりと覚えている。
謎のクイズ形式。そして正解は「パラダイス銀河」。

そんなこんなで私はすっかり光GENJIにも西武にも興味がなくなり、3年生になる頃にはAMラジオばかり聴いて大阪によくいるお笑い好きの小学生となってゆく。

そんなお笑い一色だった私にも、日常でプロ野球に触れる機会はたくさんあった。

両親は巨人ファン。

父は鹿児島出身で子供の頃にはまだホークスも九州におらず、テレビ中継は巨人が多くて必然的に巨人ファンになったそうだ。
母は父が好きだと言う理由で巨人を応援していた。

親族にはやはり阪神ファンが多かった。母方の祖父は阪神が負けると機嫌が悪くなりテレビを消すタイプ。
よく泊まりにいっていたが「そら負けることもあるやろ…何故そこまで怒るのか」と不思議で仕方なかった。

家ではもちろん父の権限で巨人戦を観戦することが多かったが、巨人戦の中継がない時はとりあえず野球を見る、ということで頻繁に放送されている阪神をぼんやりと見ていた。

私とプロ野球の距離感はそんな程度だったが、ある時ふと気付き、なんの気無し口にした言葉がある。

「なんか阪神負けたら腹立つわー。」
と。

ほんとになんの気無しに。

すると父が
「それはここに住んでる限り仕方ないねん」と答えた。
私はハッとした。

両親は巨人ファンだが特にその英才教育を受けることもなく、ただこの地域で野球を見ていた、それだけで私は阪神ファンに仕上がってしまったのだ。
この地域特有である阪神贔屓の放送のせいだろうか…
衝撃だった。

そこから私はその気持ちに抵抗する事なく、特に激しく追いかけるわけでもなく、中継を楽しみ、日々阪神の結果を新聞のスポーツ欄確認するようになった。

超ライトに楽しませていただく阪神ファン。

友人の計らいで星野監督時代の日本シリーズであの「3つも勝っちゃった!」を甲子園で聞くことができたりした。

リーグ優勝すれば喜び、しかしその先の日本シリーズで負けては悔しく思い…


そして今回の日本一。
想像以上に嬉しくて胴上げを見ては泣き、岡田コール、そしてコンバットマーチの映像を見ては泣き。

各局の優勝特番を梯子して夜更かしして。
ビールかけに混ざりたいと強く思いながら本当に楽しい一晩を過ごさせて頂いた。

初めて楽しんだ阪神タイガースの日本一。


落ち着いた頃にチラッと阪神百貨店に寄って優勝記念グッズ少しだけ買おう。

これからも日常の楽しみのひとつとしてふんわりと応援していきたい。

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