言葉とつながり
自己紹介の投稿とは分割して書きたかったnoteを始めた理由です。誰かの「言葉」を考えるきっかけになったらこんなにうれしいことはありません。
言葉を紡ぐこと
言葉とはなんと脆く、儚く、頼りないものだろうか、と思います。おなじ「ありがとう」でも、ある人には感謝に、ある人には嫌味になりうる。発言者の意図を受け取る側は必ずしも正確に受け取らない。そこには固定観念や偏見がフィルターとなって立ちはだかる。しかし現代を生きる私達を結び付けるのはいつだって言葉です。
世界にはたくさんの「誰かが伝えたかった言葉」が落っこちていて、きっとそれらはきらきらと輝いていると思うのです。涙のかけらみたいに。しかし、「相手に届く言葉」も確かに存在しています。美しく、優しい柔らかな言葉は今もきっとどこかで誰かのこころを癒していることでしょう。
私が思うに、誰かに届く言葉も、届かずに落っこちる言葉も、どちらも同じくらい尊く大切で、かけがえのないものなのです。
言葉はこころです。1000年前の人々が和歌に想いを託したことと同じように、私達はこころを言葉に託して発信します。誰にも気付かれなかったとしても、その言葉は本物のこころに違いないと思うのです。それがたとえ嘘だとしても。
だから私は文章を書こうと思った。言葉を紡いでいようと思った。
今しか書けない言葉が頭の中にはたくさんあって、手で掬っても指の間から零れ落ちてしまいそうなそれをきちんと見える形に残しておきたいと思った。
いや、そう思おうとしてるだけなのかもしれませんね。自分が凡人であることを認めたくないだけかもしれません。
でも、少なくとも私にとって、言葉を紡ぐことは一種の救いで、今しかできないことで。
これから先の人生でも大事にしていきたいことには違いない、大切なことなのです。
言葉を介してつながる
現代人のつながり、それはほとんど言葉による希薄なものではないでしょうか。Twitterの匿名アカウントなどを考えてみると、多少の画像や動画があったりしても、人々をつなぐ大部分は言葉です。
人々は言葉に共感し、言葉に怒りを覚え、言葉に感動して涙を流します。
言霊、とか言ったりしますよね。言葉には確かにおおきな力があるのです。
ここで少し考えてみてほしいことがあります。
「愛してる」という言葉があります。これを三人の人から言われました。一人は恋人。一人は親。一人はストーカー。想像してみてください。(ストーカーの想像は難しいですね)
さて、全てに同じ感情を抱きましたか?
おそらくそれぞれ違う受け取り方をしたでしょう。恋人と親には好意を、ストーカーには嫌悪や恐怖を。恋人と親に対する好意もそれぞれ微妙に違ってくるはずです。
要するに、誰がその言葉を使うか、ということなんです。それによってまったく意味が変わってしまう。
そう考えると、言葉って不安定なものだと思いませんか?
そんな不安定なものに私達のつながりは支えられているのです。
ふうっと吹いたら飛んでしまいそうな関係。SNSのハートの数で可視化されてしまう関係。本名も素顔も知らない仮面に隠された画面越しの関係。それらは全部、全部大切で、すがらないと生きていけなくて。
だからこそ私は言葉を大切にしていきたいのです。
暮らしている環境によっても語彙は全く変わってくるし、年齢によっても性別によっても扱う言葉は変化します。同じ語彙を持つ人間はこの世に二人といない…だからこそ互いに理解しあうことは難しく、すれ違いが起きてしまうし、自分が発する言葉には責任を持たないといけない。
ちょっとだけ、言葉を大事にしてみようって気持ちになりませんか?
人間は一日に履いて捨てるほどの言葉を使います。
少しずつでも大切にしてみたら、きっとあなたの生活はほんの少しだけ鮮やかになることでしょう。
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