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桂小五郎、吉田松陰、対照的なアイデンティティの危機

 この二人の内面を解き明かすためには、「青春のアイデンティティの危機」を分析することが必要だと思っています。
 ざっと、比較してみると、実に対照的です。

1 成育歴

① 桂小五郎は、自由な環境下で育ちました。
 幼児の時は、体が弱く七歳まで死ぬかもしれないと、むしろ過保護に育ったようです。
 少年時代は自然の中で腕白もし、友達も多かったことでしょう。海や川で泳ぎを覚え磯遊びもしたとのこと。
 生まれは、藩医でありながら身分を越えた診療をしている医師の家でもあり、跡継ぎでもない。実質的には次男坊です。
 父昌景は、二十石でありながら、経営力により財を成しました。
 小五郎は寺子屋の塾生から藩校明倫館の生徒へと、順調に階段を登り成長していきます。
② 対して、吉田松陰(通称名、青少年時代は大次郎)には、自由はありませんでした。
 幼年期は、疱瘡にはかかったものの、小五郎よりは体は強かったのではないでしょうか。教育熱心な父の元、手伝いをしながら学びます。
 少年時代は腕白をしていません。泥遊び程度で、友達もいないようです。 叔父である吉田大助亡き後、兵学の家柄である吉田家の家督を継ぎます。六歳の時です。この時より、玉木叔父の過酷な体罰ありの特訓を受けることになります。
 九歳にして、兵学の家柄のため、いきなり明倫館の教授の見習いとなります。抑圧的な教育環境と過度な大人たちの期待の中で、なかば強制的に「教授」という社会的な自我を演じ役割を背負うことになります。
 知能指数の高い少年が、飛び級で進学するのとはまったく違うのです。これは厳しいですね。少年時代がないも同然です。孤独だったでしょう。
 この環境で、耐えて学び続けたのですから、尋常な精神力ではありません。

2 青春時代の危機

① 桂小五郎の危機は、連続的な家族の死からです。
 養父母、義理の姉二人、実父母。最も多感な時期に六人もの家族が相次いで亡くなります。
 自分を社会的に育ててくれる家族の多くが亡くなりました。
 小五郎は引きこもり、「坊さんになりたい」という逸話は、まさにアイデンティティの喪失の証であると考えます。
② 対して、吉田松陰は家族には恵まれています。
 幼少期から鋳型にはめられて教授としての自我を身に着けても、思春期の目覚めから、今までの自分を大人たちの作った「人形」のように感じたことでしょう。
 自分とは何か。自分ら探すように歩き始めます。海防調査で全国を旅していきます。
 ついに東北行で、今までの明倫館の教授の職を投げうって脱藩してしまいます。宮部(みやべ)鼎蔵(ていぞう)との待ち合わせが理由というより、もっと本質的な内面的な理由があったと考えます。
 過去のすべてを捨てて、独自の生き方を開始します。一方、脱藩後、家族はむしろ吉田松陰を支え保護し続けます。 

3 自ら歩く二人

 二人のアイデンティの危機克服行動は、ある意味、どちらも外に向かい、国際情勢の認識や国内の体制の限界など、維新のもとになる認識で方向が合っていきます。
① 桂小五郎は、江戸遊学にアイデンティティー確立の道を見出します。
 生まれ育った萩からの旅立ちが出発点です。
 萩で自分のアイデンティを自覚したからこそ、自分の足で自分の全身で、江戸を中心に国内外の情勢を学ぼうとします。
 藩においては大組士というインサイダーでありながら、多角的な視点で、自分の活躍の可能性を開いていきます。
② 一方、吉田松陰は、脱藩により、藩体制のアウトサイダーになります。
 アメリカ船への密航事件など、過激になっていきます。
 新しい自分を意識しつつ、意識は外に飛翔します。
 しかしながら、環境は逆に幽閉蟄居の身となり、松下村塾にエネルギーを注ぐようになります。
 自分の行動が原因でも、閉鎖的な環境下で、ストレスを募らせていきます。ついには自ら悲劇的な死に向かって進み始めます。

4 死生観の違い

① 桂小五郎は、生命の危機に関しては、保身に徹します。
 維新の大目標を達成するために、生き続けます。
 武士道教育の浅い医者の家系で育ち、腕白や武術体験で養った身体の感性を生かして、ひたすら目標に向かって生き抜きます。病気などで培った身体感覚は、全身で生命感を鋭敏に感じとる神経質さがあります。
 これは一流のアスリートに通ずる繊細さだと思っています。
② 吉田松陰は、自ら死地に進んでいきます。
 身体の死について、恐れることなく、思想に正直に生きようとします。
 わんぱく時代も、十分な武道経験もなく、大病もしなかった松陰は、生命を観念的に哲学的に武士道的に、割り切ろうとしているように思えます。
 身体感覚は、桂小五郎と対照的ではないかと思えるのです。

5 二人のギフテッド

 こうして二人の突出したギフテッドは、幕末に光を放ちながら活躍するわけです。
 方向性のベクトルは合いながら、行動は対照的なほどに異なります。そこに魅力を感じる次第です。
 様々な見方があると思いますので、自分の体験に根差した分析をしてみた次第です。
 歴史は深いものなので、一見解として、お読みいただければ幸いです。

追記ーもう一人のギフテッド。
 もし桂小五郎と吉田松陰を対照的な個性のギフテッドだとすると、そう、もう一人魅力的な人物がいますね。
 それは高杉晋作です。
 ただし高杉晋作は、桂小五郎より六歳も年下です。
 桂小五郎が十代の時には歳が離れすぎて、ドラマ上、同じ土俵には乗らないというのが私の考えです。
 



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