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年輪を重ねるとは、自己創造そのもの

「年輪」とは何か

 年輪を重ねるとは実にうまい例えだと思います。人は年を重ねるごとに、年輪が増えていく。
 ということは生まれてから今までの自分が年輪のように重なって、今も新しい自分が外側に生まれているわけです。
 この発想でいけば、年をとるとは、自分は増え続けて、けっして失われるわけではないということ。

過去の自分を解放する

 若いころの時代は終わったと思ったり失われたと思っている人は、同窓会に出たり、旧友に会ったりした時のことを、思いだしてみてください。
 つい昔に戻って、皆と盛り上がったりしているのではありませんか。
 これは年輪の奥の昔の自分を解放しているわけです。それでいて、今の分別も働いていて、制御しながら自分を開放しているわけですね。
 時には忘れていた自分を再発見したり、旧友が教えてくれることもあるでしょう。それは折り重なった年輪の下に、昔の自分が隠れていたにすぎません。

嫌な自分を忘れられるか

 では昔の嫌な自分を忘れることが、できるのでしょうか。
 たしかに、すべての自我は年輪の中に重なって残ります。忘れることはできないかもしれません。意識の底に沈んでいることもあるでしょう。
 たとえ嫌な自分であっても、自分そのものであり、自分を支えている一部であることに変わりはありません。
 嫌な自分も、自分が細胞分裂していくときの、一つの細胞ではあるのです。

自我の免疫ができていく

 ところが、人は新しい自我創造により、過去に対して免疫を作り、今の自我をガードするための仕組みを作り、視野を広げ視点を変えたり、人生観を高めたりと、半ば本能的に克服する努力をし続けています。
 自分の裏面史を否定することは、自分を否定すること。
 若い頃は自分が未熟で脆弱なため、自分の裏面に嫌気がさして、死にたくなることもあるでしょう。このときのアドバイスは、『ただ生き続けよ』だけです。
 なぜなら、時間がたつとともに、新しい自我が生まれていくからです。いつの間にか、色々な柱ができていくのです。この柱こそが逞しさであり長生きしてきた人の財産でもあります。
 それが生き様の土台かもしれません。

新しい自分が生まれ続ける

 新しい自分は過去を踏まえているものの、常に可能性に向かって生まれ続けています。未来に向かって生まれ続けています。
 多様な現実の変化に反応し続け、いつの間にか、自分の嫌な裏面史を受け止め受け入れ肥やしにしていきます。
 新しい自分を作る畑にしているのですね。
 日々、語り、文を書き、知りたがる。それは自分が細胞分裂していくこと。自部というネットワークの延長で、新しい自分を創造していくことではないでしょうか。
 あとは方向を間違わないことですね。争いを起こさないように。


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