ハエに好かれりゃ万々歳

私、立花緋和子、22歳。
花も羨むいい女。黒髪の似合う大和撫子。
立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿はセイタカアワダチソウ。
道を歩けば誰もが二度見し、カラスも上から贈り物を落とす。

このとおり、どこからどう見てもいい女のはずなのだが、それに似つかわしくない大きな悩みを抱えている。生まれてこのかた、いまだに背負い続けている深刻な悩みである。
口に出すのも恥ずかしい。これを言ったら、いよいよ嫁のもらい手がなくなるのではないか。華の22歳女性が打ち明けてよい悩みだとは到底思えぬが、盛大にタイトルオチしてしまっているので、思い切って言ってしまおう。

私、立花緋和子は、ハエに異常な好意を寄せられて困っているのである。

7月中旬。私の家には今年もわんさかハエがわいている。台所に置いてあるゴミ袋をマイホームにしたり、部屋の灯りをつけるヒモに優雅に止まったり、思い思いに過ごされているようである。
この光景を目にすると、「あぁ、夏がきたなぁ」と思わずしみじみしてしまう。
私にとっての夏の風物詩が、海でも花火でもなく「ハエ」なのであるから、情けなくて涙が止まらない(どうやら、夏の季語に「蝿(ハエ)」があるようなので、私の夏を感じる心も間違っていなかったと安堵している)。

ハエたちが、ゴミ袋の中に潜り込んだり、そこらを飛んでいる分にはまだ問題ない。ハエという生き物にとっては幾分普通な行動であろう。

が、しかしだ。そのうちの何匹かが、毎回必ず私の腕やら髪やらにピトリと止まってくるのである。
しかも、追い払っても追い払っても懲りずに寄ってくるのだから、たまったものではない。こちらはさっきからハエの命を脅かすような敵対行動を繰り返しとっているというのに、学習能力がないのだろうか。それとも、私にハエをぐちゃりと手で潰す勇気はないと舐めてかかっているのだろうか(どうみても後者である)。

そうこう思いながら観察していると、ハエのやつ、サワサワと腕を這いながら、カメレオンのような舌で私の腕をぺたぺたと舐め始める。その仕草、腐った野菜の皮に群がる時にしか見せない仕草ではないか。
あぁ、私は生ゴミと同じなのか。と愕然して、追い払う気も失せてしまった。あとはもう、ハエのなすがままである。

ハエに好かれるのは今に始まったことではない。ずっと昔から、それこそ小学生の時から、教室に入り込んできたハエが毎度私の机にやってきて、追い払うのに苦心した。

一番殺意が湧いたのは、高校時代である。思春期真っ只中の時だ。
”周りから自分はどう見られているのか”
自意識過剰に苛まれ、教室でお弁当を食べるという俗な姿すら見せたくなくて、こっそりトイレで食べていた私にとって、授業中に自分だけハエにたかられているというのは耐え難い屈辱だった。
「あの人、小汚いんじゃないの?」
クラスのみんなにそう思われるに決まっているからだ。花も羨むいい女の私が、だ。
机に止まったハエを手で払いのける仕草をするだけでも、授業中には不似合いな行為であり、変に目立っていないかと心配してしまう。だが、払いのけても払いのけてもやつは小生の机に止まるのである。たちまち、顔がカァッと赤くなり、額に浮いた汗に扇風機の風が当たって冷たくなった。
(早くいなくなれ、早く!)
焦って無心で、でも、それを周りに気づかれたくなくて、ペンの先で何気なくチョンと突いてみたり、ふぅーと吹いて風圧で飛ばそうとしてみたり。
あれやこれや試行錯誤するが、ハエのやつ、「はいはい、一応逃げますよ」と一旦は退くがまた私の元に舞い戻って、ご自慢の長い舌でぺたぺたとそこらを舐める。

もう万策尽きた。ふつふつとわくハエへの殺意をどうにも消化できず、そのくせ自意識に苦しめられ、高校時代の夏をどうにもやるせない気持ちで過ごした。

他にも、山の上の神社に参詣するために1000段ほどの階段を登っている時に、終始ハエにブンブンたかられたり(”穢れ”を持った存在だと認識されていたのだろうか)、家族が一堂に会する時に私にばかりハエが寄ってきたり、苦い思い出はたくさんある。

もちろん、やられてばかりではない。時には殺意を実行に移した時もある。
小・中学生の7年間、バドミントンをやっていた私は「きぃえええええ!」と奇声を発しながら、お得意のバックハンドでハエをバンバカ叩きつけ、その存在を闇に葬り去る。
腕を這うハエがいたなら、しばらく這わせて警戒心を解いたところで、その細い足を爪の先で押さえつけて、ジタバタさせる(その感触が気持ち悪くて最後には解放した)。
ハエへの憎しみは時に狂気に走ることもあった。
あるハエがコップに入れた水の中で溺れていた。もがいて、何度も手足で水を掻いている。箸の先でハエを救ってやることもできたが、私はその時、何に毒されていたのか、その光景を好奇心でもってじっとりと見ていた。
やがて、ハエはやけに大きく手足をバタバタと開き、そうした後で、急に手足を閉じて動かなくなった。死んだのだ。
さすがに申し訳なく思った。

今こうしてくだらない”ハエ談義”を書いている間も、ハエはパソコンの縁をそろそろと歩いている。
ここまでくると、私の人生に最も長く最もそばに寄り添っているのは親でも友人でも恋人でもなく、ハエなのではないかという気さえしてくる。
なぜだかわからなが、ハエのやつ、暇さえあれば私にちょっかいを出してくるのだ。

好きなんだな。
さては、私のことが好きなんだな。

元来、人にあまり好かれたわけでもなく、家でひとり佇むことも多い私には、腕をサワサワとこそばゆく這っていくハエは、一周回ってかわいらしくも思えてくるのだ。ハエだけが唯一私のそばに寄り添ってくれる存在かもしれない、と、すがるような気持ちに浸ることもある。

そもそも、ハエを汚らしい存在と決めつけていた私にも問題があるだろう。
勝手に嫌悪感を感じていただけで、やつもまた同じ生き物なのである。
そのやつが、他の人間を差し置いて私を好きになってくれた。ずっとそばにいてくれるようになった。
そう考えると、たとえ周りの人に好かれなくても、ハエに好かれりゃ、万々歳なのである。

晩御飯の回鍋肉にハエが止まっていた。
ハエに好かれりゃ、万々歳。そんな優しい気持ちに浸りながら、私は静かにハエたたきを手に取った。




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