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#すずめの戸締まり =日本におけるアニメ史の「要石」になりえる、という話


「天気の子」から3年

「すずめの戸締まり」を観てきた件

新海誠監督の新作長編アニメ映画「すずめの戸締まり」を観てきました。
(早いもので前回の「天気の子」から3年も経ったんですね)
自分が3年前に「天気の子」を劇場で見たときと奇遇にも、全く同じ新海ファン&エロゲマニアの友人と、上映前に「もうやんカレー」を食べたあとに歌舞伎町のTOHOシネマズ、しかも7番シアターで観るという完全に同じルートをなぞっていました。

作品自体への感想

あまりネタバレがないようにしつつ、感想を言うならば「普通に日本の長編アニメ作品としてとても良かった」です。劇場で観て損はないと自信を持って言えます。
ネタバレを避けつつ、個人的に感じたことをまとめると

・例のボロいオープンカー、モデルになったのはアルファロメオなんだろうけど、メーカーに配慮してちょっとデザイン変えて架空の車種としたのかな?と思った。
・イケメンに一目惚れしてホイホイついてくJKなんかいるのか?という疑問を当初感じた→ちゃんと理由がラストで明示されていたので納得
・◯◯◯石のところなど、やや説明不足で少しモヤッとしたとこもあるが、自分なりに考えれば「こういうことなのかな?」と一定の納得はできそう→もっと他の人の考察とか読みたい

参考までに、Twitterで見かけた「めっちゃわかるー!」と共感してしまった感想をいくつかシェアさせていただきます(※ネタバレ注意)

新海誠監督と、ポスト宮崎駿という呪い

「君の名は。」と「天気の子」

作品についての感想や考察は、素晴らしい記事やツイートをされている人がたくさんいらっしゃるのでおまかせするとして。
それよりも、新海誠監督の前2作「君の名は。」「天気の子」を踏まえて本作を考えたときに、新海誠監督の心境の変化が読み取れる気がして、そちらのほうが個人的に大いに興味があります。

新海誠監督の前2作「君の名は。」「天気の子」については以前note記事を書いているのですが

・「君の名は。」は万人受けする素晴らしいストーリー・演出に、これまでどおりマニアックな層をうならせる圧倒的な映像美の組み合わせで社会現象となる名作となり、新海誠はポスト宮崎駿を担う国民的アニメ監督となるkとを期待された。
・なのに「天気の子」は「君の名は。」以前の新海誠に戻ってしまい、「君の名は。」でつかんだ一般客に「エロゲみたいな童貞向けストーリー」を見せつけてしまった→これはもはや詐欺なのでは?
・新海誠は、クリエイターとしてのエゴと、プロとしてのビジネスと、うまく折り合いをつけて「オトナ」になれるのだろうか?

という、かなり厳しめの考察をした次第です。
そしてそれから3年たち、自分が「天気の子」で感じた疑問について、ほぼ100点満点の回答を「すずめの戸締まり」で見せつけられたように感じます。

日本のアニメ映画の「トリビュート・アルバム」

「すずめの戸締まり」の公式ツイッターによると、これは「新海誠 集大成にして最高傑作!」なんだそうですが、個人的にはそれにとどまらず「2022年現在の、日本のアニメ映画の集大成」を目指して作られたのではないか?と思っています。

基本的な物語のテーマや骨子は「天気の子」と同じ方向で、「君の名は。」の大衆&マニアを両方カバーする方向に「焼き直し」ながら、新海誠作品だけではなく、これまでの日本の名作アニメ映画の ―― もっと明確に言えば「スタジオジブリ作品」の  ―― エッセンスも明確かつ貪欲に取り入れて作られた、「日本のアニメ映画」に対するトリビュート・アルバムのようにも感じました。
登場するロン毛の超美形イケメンや星が飛び交う「あの世」の描き方、ユーミンの名曲といった「記号」を取り込みつつ、日本人が避けては通れないテーマ※にしっかりと向き合いつつエンタメとしてしっかり成立させるところもしっかりと取り入れられていたと思います。
(※宮崎駿監督・高畑勲監督は戦争や環境を、新海誠監督は災害や人の記憶を)

とくに「現実世界と、別の世界」「正体不明の強大な敵」の要素は(過去の新海作品でも取り上げられてきたものの)とくに細田守監督作品へのオマージュを感じました。
ただしこれは、どちらかというとオマージュというよりも「俺ならもっといい作品が作れるんだぜ!!!!」という、新海誠から細田守への挑戦状、っもしくは世間・アニメ業界へのアピールなのかもしれません。

「ポスト宮崎駿」という強烈な重圧

いまの日本のアニメ映画について考える時、どうしても避けて通れないのがポスト宮崎駿=次に「日本のアニメ映画を背負う」という役割を、どのアニメ監督が担うのか?という点です。

そして2022年現在、ポスト宮崎駿として、新海誠監督・細田守監督の2人がツートップとして名前が上がっているかと思います。

細田守監督と、スタジオジブリ(というか宮崎駿監督)との間に様々なエピソードがあることはアニメファンの間では有名ですし、細田守監督のどの作品からも宮崎駿への愛(もしかするとコンプレックス)を感じてしまいます。

一方、新海誠監督はそこまでの「ジブリ愛」エピソードはないし、これまでの作品から「ジブリコンプレックス」を感じないし、粛々と自分の作りたい作品を作ってこられた人だと思っています。
(その証拠に、2014年のアンケートでは「ポスト宮崎駿」としての期待はそこまで高くなかったことがわかります)
それが「君の名は。」の成功によって、一気に「ポスト宮崎駿」のトップランカーに躍り出て「しまった」のかな、と感じています。

ここからはあくまでも自分の妄想・お気持ちでしかないのですが「バケモノの子」「君の名は。」で両監督が「ポスト宮崎駿に最も近い」ことが世間に知れ渡り、その強烈なプレッシャーにさらされることになったのでは?と考えています。
今思えば(自分がnote記事でも書いた)「なんで天気の子は昔の新海にもどっちゃったの?」という疑問は、この「日本のアニメ映画を背負う」というプレッシャーからの「逃げ」だった、と考えると個人的に納得できる気がします。

「俺たちの新海誠」はもういない、けどきっと大丈夫。

新海誠監督の「吹っ切れ」

その「天気の子」から3年経ち、「すずめの戸締まり」から感じ取れたのは「おう!!俺が宮崎駿になってやらぁ!!!」というような、新海誠監督の「吹っ切れ」だったように思います。
自身の過去作品だけでなく、超巨大な先駆者「スタジオジブリ≒宮崎駿」の「記号」「テーマ・メッセージ性」「万人受けしつつマニアもうならせる商品性」を貪欲に取り入れ、ライバルである細田守監督に挑戦状を突きつけるかのような「余裕」をすら感じました。

エロゲ業界出身で「女子慣れしてない童貞の成長物語」「結局成就しない甘酸っぱい初恋」ばかりを作り続けてきた「俺たちの新海誠監督」はいま、「ポスト宮崎駿」として日本のアニメを背負っていくことを受け入れ、そのプレッシャーを「楽しめる」レベルに到達した、いま日本でダントツ最強のアニメ映画監督になったのだと思います。

きっとこれからも、人間として避けられない大事なテーマをエンタメ要素満載のストーリーに組み込みながら、暴力的に美しい映像を組み合わせ、そしてほんのちょっぴり「わかる人だけにわかるように」フェティシズム要素をひつとつまみ。
そんな万人が楽しめる素晴らしい国民的アニメ作品を新海誠監督は作り続けていくのだと思います。

血の道標(口噛酒、女装ショタ、ゲーミング風呂、椅子になってJKに座られたり踏まれるNew!)

すずめの戸締まり=日本におけるアニメ史の「要石」

「すずめの戸締まり」は、確かに「アラ探し」をすることはできる作品だし、完成度でいうと「君の名は。」のほうが高かった、という意見がある理由もわかる気がします。

そんなことよりも、一度「君の名は。」で「ポスト宮崎駿」という呪いをかけられかけ、「天気の子」で一度はそこから逃げ出そうとしたように見えた新海誠監督がその呪いを覚悟を持って受け入れ、それを楽しんでいるようにすら見える「吹っ切れ」を感じ取れた…
というところに、この「すずめの戸締まり」の作品に強烈な存在価値があるように自分は思いました。

例えば20年先、日本のアニメ史を振り返った時に「すずめの戸締まり」という作品は避けて語ることができないマイルストーン(要石)になっているのではないか?

そんなことを思いました。

最後までご覧いただき、ありがとうございました☺

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