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「なんとなく行きたくない。」コロナ禍で急増した不登校理由の考察とゼロ高を推す理由。

おはようございます。『SALON DESING Vol9』ライター國貞です。この雑誌でゼロ高についての記事をのせています。やっぱり、ゼロ高に関する記事を書こうと思うくらいですから、個人的にもゼロ高はおすすめする高校です。

今回はコロナ禍での不登校理由と絡めておすすめする理由を述べます。

コロナで禍増えてきた不登校のある原因

不登校の原因はご存じでしょうか。いじめ、勉強がわからない、家庭環境などです。これらも決して看過できない問題ですが、コロナの騒動で増えてきた不登校理由もあるのです。何だと思いますか?

それは「なんとなくいく気がしない。」です。この理由はコロナ前からありましたが、コロナによる休校が明けてから、この「なんとなくいく気がしない。」という理由が増えてきたのです。

「なんとなく行く気がしない。」理由を捉える2つの視点

1つ目の視点は、怠惰です。脳は基本的にサボりたがる器官です。家で無意味にSNSを眺めている生活に慣れると、行きたくなくなるかもしれませんね。しかし、この怠惰の場合は、放課後に登校したり好きな教科から出たりするということを繰り返すことで登校できるようになります。

しかし、それすらも渋る事例もあります。いじめを受けているわけでも、なにか学校に不満があるわけでもないのにもかかわらず、行きたくないと主張する子です。

ここで、2つ目の視点です。自宅でも多くのことを学ぶ機会を得ることができる現代社会で、学校に行く意味が薄れてきていると感じている子が出てきたのかなとぼくは捉えています。

公教育による一斉授業のスタイルでは、器用な子はすぐにできるので、他人を待つ時間が出てきます。不器用な子は、ついていけず学んだことにして周りに合わせようとします。どちらにせよ、有意義な学校生活とは言えません。

学校行事は万能な教育ではない

また学校行事もそうです。学校が用意できる行事の中で一人一人が能力を伸ばしたり、発揮できるかと問われるとやっぱり限界があるんですよね。

一部の外向的な子にとっては、学校行事でたくさん学べるけれども、全く学べない子ももちろん出てくる訳です。しかも、興味がないけれど参加する必要があるというのも問題です。

ゼロ高でも文化祭がありますが、参加不参加は自由です。文化祭に積極的に参加する子が行動できる子で、参加しない子が行動できない子かというとそうではありません。必要ないと判断し、参加しないと決めた子はその分、他のことに時間を使っています。

目的は学ぶこと。学校に通うことではない。

ここで不登校の話しに戻ると、なんとなく行く気がしない子っていうのは、つまるところ、学校のシステムと自分の求める成長が噛み合わないということに気づき始めている子なのかなとふっと思いました。

もし、この捉え方が当てはまるのなら、やりたいことを見つけて、そこに時間をつぎ込めるゼロ高の仕組みは、多くの不登校をネガティブに捉えてしまっている子どもたちの価値観を転換できるのではと思います。

不登校支援などを利用して、「どうすれば学校に通うことができるようになるか。」という議論ではなく、ゼロ高のように自分のやりたいことを見つけられるようにしていく方がよっぽど有意義だと思うのです。



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