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柳田國男の「橋姫」を脱線する#3 婦人が手紙を託す『遠野物語』『雪の出羽路』

はじめに

柳田國男「橋姫」の出典をたどりながら読んでいきます。
 今回は、前回までに提示された伝承をもとに、要素分解していく一つ目になります。

初回↓

前回↓


04.手紙を託すこと(幸福譚)

さてどうしてこのやうな話が始まつたかといふことは、我々の力ではまだ明白にすることはむつかしいが、これとよく似た話が、眞似も運搬も出來ぬやうな遠國に、分布してゐることだけは事實である。

「橋姫」本文08

不思議の婦人が手紙を託したといふ話は、先年自分の聞き書きをした「遠野物語」の中にもある。陸中遠野の某家の主人が、宮古へ往つて歸りに閉伊川の原臺の淵の脇を通ると、若い女が來て一通の手紙を託し、遠野の物見山の沼に行き手を叩けば名宛の人が出て來るから渡してくれといつた。請け合ひはしたものゝ氣に掛つてどうしようかと思ひながら來ると、道でまた一人の六部に出逢つた。六部はその手紙を開いて見て、これを持つて行けばきつと汝の身に大きな災難がある。私がよいやうに書き直してやらうといつて別の手紙をくれた。それを携へて沼へ行き手を叩くと、果して若い女が出て書狀を受取り、その禮にごく小さな石臼を一つ與れた。この臼に米を一粒入れてまはすと下から黄金が出る。それで後々は富裕の身代になつたといふ話である。

「橋姫」本文09

又今一つ、羽後の平鹿郡大松川の奧に、黑沼といふ景色の好い沼がある。沼尻に小さい橋があつて月夜などに美しい女神が出ることが折々あつた。昔この邊の農夫が伊勢參りの歸りに、奧州の赤沼の脇に休んでゐたら、氣高い御姫樣が出て來て手紙を預け、出羽へ歸つたらこれを黑沼へ屆けて下さい。その御禮にはこれをと紙に包んだ握り飯のやうな重いものをくれた。この男は黑沼の近くまで來た時に、大きな聲で赤沼から手紙をことづけられたと呼ぶと、振袖を着た美しい女が出てこれを受け取り、大姉君の音信は嬉しいと、これも同じやうな紙包をくれたので、後にこの二包を市に持ち出して錢に代へようとすると、汝一人の力ではとても錢では持つて還られまい。金で持つて還るがよいといつて山のやうな黄金をくれたので、たちまちにして萬福長者になつたといふ。この話は「雪の出羽路」といふ紀行の卷十四に出てゐる。

「橋姫」本文10

08遠國に分布

 「眞似も運搬も出來ぬやうな遠國に、分布してゐる」とありますが、どの時代のことを念頭にしているのでしょうか。
 思っている以上に往来はあるもんだと、歩き巫女なんかを知ったときに考えたことがありました。
 後に国男さんも『蝸牛考』を著すわけですが、情報の伝播に対する理解って、現状どんな感じなんでしょうか。


09『遠野物語』

 『遠野物語』は説明するまでもありませんが、遠野出身の佐々木喜善が語った内容を、柳田国男が聞き書きしてまとめたものです。
 これの二七に該当する話があります。

早池峯より出でて東北の方宮古の海に流れ入る川を閉伊川と云ふ。其流域は即ち下閉伊郡なり。遠野の町の中にて今は池の端と云ふ家の先代の主人、宮古に行きての歸るさ、此川の原臺の淵と云ふあたりを通りしに、若き女ありて一封の手紙を托す。遠野の町の後なる物見山の中腹にある沼に行きて、手を叩けば宛名の人出で來べしとなり。此人請け合ひはしたれども路々心に掛りてとつおいつせしに、一人の六部に行き逢へり。此手紙を聞きよみて曰く。此を持ち行かば汝の身に大なるあるべし。書き替へて取らすべしとて更に別の手紙を與へたり。これを持ちて沼に行き敎の如く手を叩きしに、果して若き女出でて手紙を受け取り、其禮なりとて極めて小さき石臼を呉れたり。米を一粒入れて囘せば下より黄金出づ。此寶物の力にてその家稍〻富有になりしに、妻なる者慾深いくして、一度に澤山の米をつかみ入れしかば、石臼は頻に自ら囘りて、終には朝毎に主人が此石臼に供へたりし水の、小さき窪みの中に留りてありし中へ滑り入りて見えずなりたり。その水溜りは後に小さき池になりて、今も家の旁に在り。家の名を池の端と云ふも其爲なりと云ふ。

神女 二七 p19
「遠野物語」柳田國男『定本柳田國男集第四卷』(昭和43年9月)筑摩書房
青空文庫

「池の端」という名前の家の主人が、手紙を託される話です。
途中で手紙を差し替えてくれる六部は、全国66ヶ所の霊場に法華経を納めて回る行脚僧のことです。こういう問題を解決してくれるのは、宗教的な知識人なんですね。

「橋姫」では必要な部分、すなわち黄金が出て富裕になるところまでしか説明されていませんが、『遠野物語』の方ではまだ続きがありますね。

妻が欲深く、沢山黄金に変えようと欲をかいたので、石臼の回転が止まらず、窪みの中に滑り込んでいって、小さい池になったと言います。
正直どういう状況なのかちょっとよくわからないのですが、この小さい池から名前をとって、「池の端」という命名譚になっています。

ちなみに、『遠野物語』の題目では「神女」となっています。
「神女」の話は二七ともう一つ、五四があるので、これもついでに見ておきましょう。

閉伊川《へいがわ》の流《なが》れには淵《ふち》多く恐ろしき伝説少なからず。小国川との落合に近きところに、川井《かわい》という村あり。その村の長者の奉公人、ある淵の上なる山にて樹を伐るとて、《おの》を水中に取《と》り落《おと》したり。主人の物なれば淵に入りてこれを探《さぐ》りしに、水の底に入るままに物音聞ゆ。これを求めて行くに岩の陰に家あり。奥の方に美しき娘はたを織りていたり。そのハタシに彼の斧は立てかけてありたり。これを返したまわらんという時、振り返りたる女の顔を見れば、二三年前に身まかりたる我が主人の娘なり。斧は返すべければ我がこの所《ところ》にあることを人にいうな。その礼としてはその方身上しんしょう良《よ》くなり、奉公をせずともすむようにして遣《や》らんといいたり。そのためなるか否かは知らず、その後胴引どうびきなどいう博奕《ばくち》に不思議に勝ち続《つづ》けて金《かね》溜《たま》り、ほどなく奉公をやめ家に引き込みて中《ちゅう》ぐらいの農民になりたれど、この男は疾《と》くに物忘れして、この娘のいいしことも心づかずしてありしに、或る日同じ淵の辺《ほとり》を過《す》ぎて町へ行くとて、ふと前の事を思い出し、伴《とも》なえる者に以前かかることありきと語りしかば、やがてその噂《うわさ》は近郷に伝わりぬ。その頃より男は家産再び傾《かたむ》き、また昔の主人に奉公して年を経たり。家の主人は何と思いしにや、その淵に何荷《なんが》ともなく熱湯を注《そそ》ぎ入れなどしたりしが、何の効もなかりしとのことなり。
○下閉伊郡川井村大字川井、川井はもちろん川合の義なるべし。

青空文庫

同じ、閉伊川での伝説ですが、イソップ寓話の「金の斧」みたいな導入ですね。
淵に落とした斧を探すと、2、3年前に亡くなった主人の娘が機織りをしていて、斧を返しくてくれます。
この事を黙っている代わりに、裕福になりますが、すぐに忘れてしまって、つい人に話してしまい、もとの貧乏に戻ってしまうという流れになっています。

「言うな」と言われているのに、喋ってしまう、見るなの禁止ではありませんが、この類型も沢山ありますね。

私がすぐに思いつくのは、『宇治拾遺物語』巻第七ノ一、五色鹿ノ事です。
命の恩人である五色の鹿のことを、黙っているように言われますが、欲をかいて大王に教えてしまったがために、男は首を切られることになってしまいます。

なんだかすごく印象に残っているんですよね。


10『雪の出羽路』

『雪の出羽路』は菅江真澄が文政7(1824)年に著した、秋田の平鹿郡の地誌です。

○黒沼とていと大キなる池あり、沼長根といふ処より見おろしたる眺望ことにおもしろし。なかむかしの事にやありけむ、身は貧乏にて、いせまうでせまくおもひ立て、野にふし山に明して行ほどに、みちのくの赤沼といふ処に来てしばし休らふほどに、うらわか(き=脱)女のみめことがらよきが出来て此男(に=脱)むかひて、やよ旅人よ、出羽ノ国にいたり給はゞ平鹿ノ郡ノ福万といふ処に黒沼あり、此をもて、みちのくの赤沼に住む姉がもとよりとて其黒沼に伝へさふらへてよ。かまへて〳〵人なと見せ給ひそ、ゆめ〳〵とてわたして、是はいさゝかのものながら葉に似たる露のこゝろざしとて、餉むすびたらむやうなるいと〳〵重きものをつゝみくれたり。かくていではぢにおもむいて平鹿ノ郡になれば、福万に在る黒沼をたづねとひてやをらそこにいたりて、吾、みちのくの赤沼より文通ことづてられしといへば、いまだふり袖のきぬ着たる、その容端麗きが出テむかひて其書とき見て、おほあねの事なきをよろこぼひて此男に礼て、こはかろらかの品ながら、ふみ云て給ひし酬しさふらはむとて、おなじさまの一包をくれたり。かくて肆に出て是を銭に代なむといへば、その代独歩身のいかでか持去なむ、にしていきねとてこゝらの黄金に代たり。旅人はひんぐうの身ながら、たちまち福万長者の身となれりといへり。此ものがたりなンどより此処を福万ともいへるか、なほたづぬべし。その二包は山排の金銀なンどにてやありけむかし。また一とせ、南部の歩人行暮て福万に来て泊りなんと、沼後の橋とてさゝや(か=脱)なる橋ある黒沼の辺りに松明ふりて至れば、よき衣着る妹妙女の腰機おりをるを松の火明りに見つゝ、まつ火投捨て魂の身にそはぬこゝちして、身の毛いやだち足をそらに逃帰り、ふたゝび田代に来て宿こひ泊りて、此事話きとなむ。なにゝまれ、よしある沼にこそあらめ。

平鹿ノ郡 十四巻 ○大松川郷 ○田代邑 592頁〔504〕
「雪出羽道 平鹿郡」菅江真澄『菅江真澄全集 第六巻』
内田武志・宮本常一(1976年10月)未来社

これは陸奥の赤沼の姉から、出羽の黒沼の妹への文通です。
手紙を素直に届けて、万福長者になったという幸福譚になっています。
これも「橋姫」ではここで終わっていますが、まだ続きがありますね。

「此ものがたりなンどより此処を福万ともいへるか、なほたづぬべし。」とあるように、これも地名縁起になっています。

また、黒沼で機織りをしている妹の目撃情報が加わっています。
これは『遠野物語』の五四にも似た感じがします。
どちらも機織りをしていますが、まぁ普通みんなやっていることなので、あまり重要ではないのかもしれません。

・『秋田叢書』第7巻,秋田叢書刊行会,昭和3至8.
国立国会図書館デジタルコレクション 275コマ

画像で読めるものがあったのでリンクを貼っておきます
[菅江真澄] [著]『真澄遊覽記』第25冊,[191-] [写].
国立国会図書館デジタルコレクション


おわりに

今回は婦人が手紙を託す幸福譚でした。
と言っても最初の『遠野物語』は、災難を回避して幸福を得た話でしたね。
むしろ『雪の出羽路』が、大変ストレートで悪いところがなく、姉妹の文通というのもほっこりします。

なんだか面白みがないので、最後に「魂の身にそはぬこゝちして、身の毛いやだち足をそらに逃帰り」なんてのを付け足したんじゃないかと邪推してしまいます。

これは余談ですが、最近『菅江真澄事典』が出ました。
稲雄次(2023)『菅江真澄事典』無明舎出版
たまたま図書館の新着コーナーで見かけて知ったのですが、7年前に調べていたときには、まさかこんな本が出るなんて思ってもいませんでした。
熟読する時間はありませんでしたが、パラッと確認した感じ、これは読んでおいた方がよさそうだな、と思ったので、また確認できたら、書き足しておきたいと思います。


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