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一コマの青春の美しさ

それは昨日の夕方のことだった。
学び疲れて眠る息子を助手席に渋滞の信号待ち。

ふと脇を見ると
黒いマスクが飛び込んできた。
女子高生が夕日を背に自転車で坂道を駆け上がってくる。

マスクをした女子高生が自転車に乗っている。

そんな光景にわたしはとてつもない美しさを感じた。
いや、確かに美しかった。
見えるはずのない額の汗が煌めき、聞こえるはずのない、弾んだ息遣いが軽やかに聞こえてきた。
黒いマスクがその女子高生の肌の美しさを際立ててるかのように印象深くわたしの思考を刺激していく。
夕暮れの薄暗い空に差し込む紅い太陽の光線。
迷いなく、ペダルを踏みこみ、急な坂を登っていく。
若い。本当に若い。
自分にもそんな時間があったのだろうか。
ふと時間が遡っていく。
自分とは、生きるとはそんな大きなことから、迫りくるテストの勉強をしなければという焦り、そして、どうにも頭から離れないあの人などなど、悶絶するような悩みや不安を抱えながらもそんな状況を楽しむかのように、どこか大人に絶望しながらも明るい未来を夢見ていたあのころ。
きっと彼女たちもそうなのだろう。
いや、そうであってほしい。
わたしにはもう戻れない時間なのだから。
その中に溢れてくる生々しい想いを強く噛みしめて、存分に若さを、その瞬間を謳歌してほしい。

若さは美しい。

自分のみたこの光景を何かで表現がしたい。そんな衝動にかられた。そういえばわたしは映画監督になりたかった。頭の中に浮かぶ映像を表現してみたかった。その夢はいつぞ叶わなかった。
ただ、この時代、やろうと思えばきっとスマホで再現できるのだろう。
書こうと思えばあの情景からなにか物語の一つでもできるのだろう。
でも、わたしは今、それをするだろうか。
いや、しない。それほどの余裕はない。
想像力が衰えたのかもしれない。自分が感じた美しさを言葉で綴ることさえも難しい。
足りない、全てが足りない。
そう、あの美しさを伝えるほどの言葉がわたしにはない。
そして、足りなくてもやってしまうという衝動というパワーも今は無くなっているような気がする。
けれど、それでもあの美しさをわたしは伝えたい。
こうして30分ほど、言葉に喘ぎながら、何とかしてあの美しさを残しておこうと必死になっている。

世界の美しさをただ、誰かと分け合いたいだけなのに、
なにか自分の醜態をさらしながら、はいつくばっているような気もする。
それでも書かずにはいられない。
そう、もうわたしには若さはない。美しさもない。
でも知っている。あの時間の煌めきよ。

自転車の彼女にはきっと「頑張れ」と声をかけるのがいいのかもしれない。
けれどわたしは
美しい。なんと美しい。そんな想いしかなかった。

時間とともに失われていく美しさをわたしはこうやって日々の日常の中に感じ取り、心を震わせ、振り返っていくのだろう。
かつては自分の中にあった若さという美に触れ、ぼんやりと考えるのだろう。

隣で寝息を立てる息子の姿もまた美しい。
そう、命は美しい。
懸命に生きることは美しい。
悩み苦しむことでさえ、そこにいるだけで美しい。

忘れないでおこう
苦しいことや悲しいこと、辛いことが目につく世界だけれど
そう、世界は時としてとてつもなく美しい。
美しさはどこにでも溢れている。






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