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1993.7.12. PM10:17

今から27年前のお話。
夏休み前の暑い日だった。とても静かな静かな日だった。
体育館の窓やドアは全開だったけれど、風もない日だった。
部活の休憩中、自衛隊の飛行機なのか、大きな音で空を横切っていた。
「なんか怖いね。」なんて話していたのを覚えている。
海も静かに煌めいていた。

その夜はどうゆうわけか早く眠っていた。
小さな家に住んでいたのだが、プレハブを建てて、そこと母屋を廊下でつないで、わたしは自分の部屋を持っていた。
田舎なので夜は静かで早い。虫の音を聴きながらすっかり眠っていた。
そんな中、それは突然起こった。
突き上げられるような、押さえつけられるようなものすごい力が寝ていたわたしに襲い掛かってきた。
「何?えっ?」と次を考える間もなく部屋ごと激しく揺れた。
このまま部屋ごと飛ばされてしまう。本気でそう思い、布団にしがみつくしかできなかった。

運が良かったのか、野生の勘だったのか、数日前に無性に模様替えがしたくなり、棚という棚の本や物は、全て床に移動させ本棚の位置も変えて、部屋の真ん中に寝ていた。そのおかげでわたしは倒れたり飛んでくる家具や物の下敷きになることはなかった。

どれくらい揺れていたのか、部屋ごと飛んでいき、もう帰れないと真剣に思った。
なすすべなく、ただ揺れに耐えていたら、突然、揺れはおさまり、一瞬の静寂があった。
それまでのガタガタともゴゴゴというような音もすべてなくなり、シーンと静まり返った世界が一気に広がっていった。まるで、自分だけ別な世界に飛ばされて生きているのかどうかもわからなくなっていた。

きっと時間にしたら数分のことなのだけれど思い出すときは今でも長い時間を感じてしまう。

どこからか無事を確認するような声があちらこちらかしてきて、恐る恐る、外に出たのを覚えている。わたしが住んでいた場所は高台だった。
そして、起きたことが地震だったと認識するまで暫くかかったのかもしれない。さらにこの時、わたしは津波を意識していなかった。
下町と呼ばれている場所から人がどんどん、上がってくる。
パジャマのままやって来た友達に上着を貸してあげたりしていた。
次々と人が上がってきて真っ暗な下町を眺めていた。その中にわたしもいた。
暗闇に目が慣れてくると、ぼんやりと屋根が見える。
ただ、その屋根はどう見ても船のように浮かんで流れている。
あそこは海だったろうか…。
自分では考えつかないようなすごいことが起こったのだと思った。
それがどうやら地震らしい。
ぼんやりと暗闇の中のを見つめていた。
これからどうなるんだろう。と思っていたら、火が付いた。
周りがさらにざわついて、わたしは所在をなくしてしまった。

当たり前のように毎日、歩いていた場所、そこがすべてなくなってしまった。

津波ってあの津波のこと?あれって地震からしばらくしてからやってくるんじゃないの?何もかもがわたしの理解の範囲を超えていた。

やがて暗闇を作っていた空は炎で紅く染まっていった。

わたしの記憶はそこから途切れてしまう。車で一夜を過ごしたのか、それとも一晩、起きて何かをしていたのか、次の記憶は、煙の立ち込める町中を避難所となった中学校へと向かう車の中だ。
本当に何にもなくなっていた。
祖母の声が聞こえてくる。「空襲の後のようだ…。」
この言葉もこの時に聞いたのか、しばらくした後に聞いたのか定かではない。

どれくらいの期間、避難所にいたのか、仮設住宅へと移ったのはいつだったのか、どのように復興していったのか、全てぼんやりとした記憶しかない。
ところどころ鮮明に思い出せる場面はあるものの、いつのどのあたりだったのかは定かではない。

北海道南西沖地震。ご存じだろうか。
阪神淡路大震災がこの地震の1年半後ぐらいに起きているので、記憶にとどめているかたは少ないだろう。
そしてその後も日本では多くの震災、風水害が起きているので、埋もれてしまうのも無理はない。
けれど、わたしはこの時期になるとふと思い出す。

生きている意味ではなく生き残った意味を問い続けている。
特別な使命があったわけではないだろう。
偶然、奇跡的に生き残ったのだろう。
だから丁寧に生きていくことを続けなければいけないのだろう。
そんな答えのないことをひたすらに求めて今日も生きている。

人の弱さ、強さ、狡さ、優しさ、とにかく多くの人という姿を見て感じた時間だった。
自然の力に対し人は無力だ。この地球に生きている以上、それは紛れもない事実だ。
工夫して知恵をしぼり生きていくしかないのだ。
途方もない美しさと容赦のない動き。
それがこの地球のエネルギーなのだと思う。
その中で人は生きているし、生かされている。生き残って、また命をつないでゆく。

あの日、わたしはたまたま生き残った。
だから、今日まで精一杯生きてきた。
そして、また、その時が来るまで生きていく。
生きていることに感謝して、喜んで生きていく。

27年前、確かにわたしは生きていた。
海が好きなのは昔から変わらない。




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