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過去に行ったかもしれない

夢だけど夢じゃない。ずっと誰にも言わずいたことを今日初めてここに書きます。

そのころ、私はあまり話さない息子のことをとても心配していた。とはいえ、息子は当時まだ幼稚園の年長さん。今ならこんな男の子もいると思えるのだが、1人目ということもあり、言葉であまり表現しないことに何を考えているのかがわからずに気になって仕方がなかった。あるとき、このころの自分は一体何を考え、どんな思いで過ごしていたんだろうか、そこから息子の気持ちがわかるのではないかと思ったのだ。

ヒントになるものがないか、小さいころ読んでいた本から、そのとき気持ちが思い出せたなら・・・そう考えた私は古本屋に立ち寄った。

そこでは、私が小学3、4年のときにはまって読んでいた漫画を見つけた。ほしかったのは幼稚園時代に読んだことのある絵本でもあればと思っていたが、その漫画がとても懐かしく、全巻そろってはなかったけど大人買いをして読みふけった。
その本というのは、三原順の「はみだしっ子」であり、当時は意味がよくわからず、何度も何度も読み直した漫画だ。中には印象的なセリフが長いこと自分の中にあって、物語の前後を忘れていたために「あれはいったい何が言いたかったんだろう」と、ずっと引っかかっていた内容も謎がとけ、懐かしい気持ちと合わせて、まるでなくしものがパワーアップして届いたような感覚になった。人としての経験値がない子どもでは、幾ら読み返したところで理解などできるわけがなかったんだと腑に落ち、その日はドッと脳が疲れたようで、そのまま眠りについた。

そしてその夜、私は夢を見た。

【大人の私】は、幼稚園の園庭の砂場で遊んでいる【園児の私】を、校門の外から必死で見ていた。園庭はすっかり忘れていたあのころのままで、その景色に感動すらした。
山も、小さなおうちも、プールもそのまま。ほかにも【園児の私】が、走り回っているところや、はとぽっぽ体操をみんなでしている場面も見た。おままごとでは、幼稚園にある少し古いものだけど木のお茶わんがお気に入り、はとぽっぽ体操は最初のほうだけが好き。おとなしい割には自分の意見ははっきりもっている、ただ、言っていいかどうかは悩むらしい、鮮やかに繰り返す過去の自分と、そしてその瞬間の気持ちが流れ込んでくる。今の自分と何も変わらなくて、三つ子の魂百までとはこのことかと感心した。【園児の私】は時々私のほうを見つめていた。

【大人の私】は、保護者的な感覚で【園児の私】を校門の扉の外から見ていたわけだけど、意識だけで飛んできているのなら、園庭の中に入ってそばで見ていればいいのにと、自分の遠慮がちな行動にあとからおかしくなった。

【園児の私】は【大人の私】がたびたび会いにきていたことに気づいていたが、【大人の私】はそのとき、そのことを知らない。姿ははっきり見えないものの、明らかにそれは【大人の私】であり、他の人には見えていなさそうだった。それは数カ月ほどのスパンの中で会いにきていて、1度だけ小学1年のときにやってきた。そのときは家のトイレの中だったので、さすがにこんなところにまで来なくてもいいじゃん!と怒った。結局、【大人の私】が会いにきたのは、それが最後だったと記憶している。

園庭の砂場で、おままごとをしていたときに【大人の私】と会ったのが最初だった。話しかけるには遠いくらいの校門の外に【大人の私】はいた。家では近くにいても、幼稚園ではいつでもそうだ、校門の外から私を見ている。【園児の私】は【大人の私】のことを17歳ぐらいだろうと思っている。それは、17歳ぐらいはもう立派な大人だという印象だっただけで、実際には31、2歳の2人の子持ちであることは【園児の私】にはわからなかった。そして【園児の私】は、そうやって私を見にくる【大人の私】の存在に気づくと、授業参観ばりに頑張るのである。だって、その存在はとても心配しているという気持ちだけが流れ込んでくるから。「大丈夫、毎日が楽しいよ」「いろんなことがあるけど、幼稚園も家も楽しいよ」と心の中で話しかけていた。【大人の私】の心配な気持ちは、自分の息子に対してなわけだけど、これも【園児の私】は知らなかった。

朝、目覚めた自分は全部夢の内容を覚えていた、それと同時に小さいころの忘れていた記憶を思い出した。私が、私に会いにきていた記憶。
自分としては一晩の夢だけど、【園児の私】は日常のふとした瞬間に現れては、私の行動を心配そうに見つめていて、そしてまたふっといなくなる。ある一定の期間、それをずっと繰り返していたという記憶。

子どもはといろんなことを考え判断をし、大人以上にわかっている。それを言葉として表現する、しないは別だし、言葉にするのは経験がないからつたないだけ。だけど結構しっかりしているものだと自分を通して思い出した。私も幼いころはペラペラと話すほうでなかったし、息子の気持ちが少しわかったようで焦る必要はないんだと、心の底から安心したのである。

この経験は一体、何だったんだろう、でも、思いが時空を超えることがあるんじゃないかと私は思っている。

※お話を読んでくださってありがとう。





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