来年はもうこんな風に生きていない
と思って最近は生きている。
人は勝手に次もまた次も永遠にあると錯覚して、大事なことをやりそびれるから。
まぁ、そう思っていても後悔ばかりのぬるい毎日だけれど。
日記を書けない日々が続いた。
梅雨の間はすべてが下り坂で、何かができるとか、そもそも何かをしたいとか、そういう気持ちが遠くに行ってしまっていた。
先は見えず、今を見渡せば暗いことしかなかった。
後ろを振り返れば素敵なものがたくさんあったけれど、それが余計に痛かった。
爪を3回塗り直す間にいろんなことがあった。
5回犬と喧嘩をし、同じ数だけ仲直りをした。
6通の手紙を受け取り、5通の返事を書いた。
4度朝焼けを見て、夕焼けは一度も見なかった。
何人かの人が死んだ。私はその度に長い散歩をした。
人の苦しみは本当に分からない。
さっきまで一緒に笑っていても、今となりにいても。
全部分かったようなつもりでいることによって、どれだけ誰かを損なうことができるか、少しだけ分かった。まだたくさん分からない。
湿った夜に、突然電話が来た。
急に心配になったと彼女は泣いていた。
私は泣かなかった。
ちょうどもうダメかもしれないと思っていた頃だったから、彼女の天性のタイミングの良さにただ関心していた。
何も話せない代わりに何度もありがとうと言った。その響きが電話を切ったあともしばらく喉元に残っていた。
一緒にいるときに人が泣いたことも2回あった。
どんな話をしていたのか、よく思い出せない。不思議だ。思い出さない方がいいんだろう。
2回とも、私は泣かなかった。
泣くときは一人だった。きっかけはなんだって良かった。
映画を観て、本を読んで、思い出して、自転車を漕いでいて、わからなくて、眠れなくて、何もなくて、泣いた。
この梅雨よく雨が降ったように、私や彼女たちも涙もろくなっていたのかもしれない。
映画を観たり本を読んだりする元気もなくなると眠った。
目覚めるたびに心底がっかりした。
夢の世界では痛みはなかった。
眠れなくなると音楽を聴いた。
新しいヘッドフォンを買って、一音も逃さないよう真剣に聴いた。
これまで聴き逃していた音があることを知ると哀しくなった。
きっと今ももっともっと聴き逃している音があるんだろう。
残り一通の手紙の返事が書けるようになった頃、風の匂いが変わった。
抜け出すなら今だった。
例によって徹夜明けのボーッとした頭でランニングシューズを履いた。
何度も足を止めながらも朝焼けのコンクリートを蹴っていると、自分への怒りという稚拙な動機だけで生きていてもいいのかもしれない、と思えた。
書き終わった手紙の返事は、本当すぎるから捨てた。
そのまま夏になった。
日に日に腕の色が黒くなったり、久しく顔を合わせていなかった人たちと普通に美味しいものを美味しいねと言えたり、新しい約束ができたり、そういうことが嬉しかった。
約束ができるというのは、きっと思う以上に幸せなことだ。
しばらく先の見えない日々が続いたからこそ、小さなことでもいいから手の届くところで何かがキラリと光っていてほしい。
「いつかまた」を残したまま終わるのがずっと怖かった。
ぜんぶ、いま、見せつけてやりたかった。見てるか悲惨な世界、いま私たちは幸せなんだぜ。
約束はどんどん増えていい。きっと果たせないことも多いだろうけど、前ほど気にならなくなった。
最後の最後の瞬間まで新しい約束をしたい。
いくつかの記憶。
散り散りと、順番もわからない。
だから日記を書いておけばよかった。
土砂降りの川を眺めていた夜。
向こう岸に見えるひとつひとつの四角い光の中で暮らす人々のことを思いながらとりとめのない話をした。
別の夜には東京湾の光に魅せられた。
ずっと昔に一緒に歌っていた歌は忘れていても身体が覚えていて、朝までみんなで大汗をかきながら歌った。次の日は喉が痛かった。
夜の公園で静かに歌ったこともあった。
持ってきてくれたギターの弦は5本しかなかった。
ラムチョップを頬張りながら熱く政治の話をした。
色んな理由があって私は自分からそういう話をするのをやめていた。彼も同じだと言っていた。ラムチョップに感謝した。
酔った勢いで久しぶりに電話をかけることができた。これまでのことが何もなかったような気がした。
恥ずかしいくらいみっともなかったはずなのに、電話してくれてありがとうと言ってくれた。
とある券があるから誘ったのに、玄関先にそれを忘れた。
待ち合わせるまで気づかない馬鹿っぷりだったけれど、笑ってくれる人でよかった。
前に好きだった人と一年ぶりに会った。
炎天下の公園には休日なのに人がいなくて、買ってもらったアイスコーヒーは2分で空になった。この一年もそれくらい短く思えた。
河川敷で花火をしたときの100円ショップの小さなバケツをベランダに干した。そのバケツを見る度にいつも少しだけ平和な気持ちになる。
明るいうちからビールを飲んだら、切羽詰まったことを陽気に話せた。どうにもならないけど、自分のことを丸ごと笑えた。私もみんなのことを丸ごと笑えてやれたらいい。
そういえばビールなんて飲めない頃から私たちはずっとここの焼き鳥を食べているな、と思った。
車を走らせながら目的地を決めた。
みんなでこれをするのはずいぶん久しぶりな気がした。ゲラゲラと賑やかな車内でこんなに安心するとは思わなかった。
貝を焼いている時、一人が「明日死ぬかもしれないと思って話をしようよ」と言った。いい提案だと思ったけど、上手く笑えなかった。
笑うことが増えて、上手く笑えないことも増えた。
平気なふりをしているうちに、大事な人にさえ何も話すことができなくなった。
お互いにそんな気がしている、大事なことは大事すぎて言いそびれる。
それでも夏の営みは平気なまま私たちをどこかに運んでいく。
そこが明るい場所だといい。
どうかもう少しだけ、みんなで大丈夫の中にいさせてほしい。
私たちはいつだって平気なままヘラヘラと笑っていたいだけなのだ。
やっぱり、きっと来年はこんな風に生きていないと思う。こんな風には決して。
そう思って生きているからこそ、来年もこんな風に生きているのかもしれない。
これは日記のようなSOSのようなラブレター、です。
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