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さくらを見上げながら

 なんでこんな気持ちになってしまうのだろう。

 3日前、新しい職場にご挨拶に伺った。背中を押す日差しは暖いのに、額を分ける風は少し冷たい。冬ではない、でも、春にもなりきれない、中途半端な空気を感じながら、ふと顔を上げたら、頭上の桜はいつの間にか満開になっていた。

 ここの所ところ仕事が忙しすぎて、ゆっくり空を見上げる時間もなかった。そもそも明るい時間に外を歩くのだって久しぶりな気がする。いや、先日選挙に行ったときは昼間に歩いていたよね?って自分の外側の自分が話しかけてくる。そうなんだけど、ね、この2ヶ月の私は、私を生きていなかったから、桜が満開になっていることも、風がどんな温度なのかもよくわかっていなかったんだよ。

 今の職場には2年間お世話になった。二年前、感染症の流行による緊急事態宣言が発令され、生活が全く変わってしまったタイミングでの転勤は不安でしかなかった。新しい職場、人間関係、感染症への対応、訳が分からないことばかりだったけど、精一杯やれることをやるしかなかった。正解なんてどこにもなかった。ただ、その時その時の最良を選んで、探してやるしかなかった。この2年間、それなりの時間があったのに、何かを成し得たと思えず、自分の過ごしてきた時間の意味を考えてしまう。

 桜を見上げながら、歩きながら、異動が発表になってからのここ数日の出来事を反芻する。身に余る言葉や贈り物を前に、こんなにしてもらっては申し訳ないという気持ちが先に立ってしまい、せっかくいただいた物を素直に喜ぶことができなくて、戸惑ってうつむいてしまった。この贈りものに見合うような仕事を、私はしてきただろうか?もっともっと、精一杯、全力で、職場の人たちのために、できることをやれたんじゃないだろうか?

 可愛い後輩たちが書いてくれた手紙には、感謝の言葉や、いまの部署でこれからも頑張る決意が書かれていた。私と彼らの具体的なエピソードを綴ってくれた手紙を読んで、気づかないところで、お互いに支えあっていたんだと知る。
 私が何気なく発した言葉や行動が、誰かの支えになってたり、勇気づけることができていたなら、私がここにいた意味も少しはあったのかも知れない。
 微力ではあったし、うまく行かないことの方が多かったと思うけど、それでも、私を認めてくれて、一緒に働いてくれて、本当にありがとう。

 もっと伝えられたらよかった。今更後悔しても遅いけど、みんなの気持ちに応えないまま、去らなければいけないのが、心残りだ。

 うつむいて、固まっていた、自分の感情の正体が、分かった。
 自分の中にある、感情は、『さびしさ』という名前にふさわしい。

 最終日、私物を片付けに、ロッカー室のドアを開けたら、二年前、初めてここを開けた時の、緊張感や不安感が、ブワァぁぁって迫ってきた。あの日、ロッカーの扉に貼られていた紙の花飾りを、二年間こっそり内扉につけていた。剥がしながら、懐かしさに少しだけ、涙が出た。ロッカーには、もう、次に来る人の名前が貼ってある。中から荷物を取り出して、ドラマみたいに、「ありがとう」って呟きながら扉をしめた。そんな自分にちょっと笑えた。

 異動者の最終日は、花道を作って拍手で見送るのがうちの慣わしで、それは多分とても気恥ずかしいから、最終日は最後まで残って残務処理をした。人気のない真っ暗な帰り道の頭上にも桜の花が満開で、暗闇に光る花びらはすごく、すごく綺麗だった。
 『さびしい』と思えるほどの時間を過ごさせていただいた事に、最後に気づけてよかった。いただいたものに感謝して、続きの道をまた歩いていこうと思う。

 〈補足〉さびしさに気づいた時、浮かんだのはやっぱりこの曲でした。歌詞の一つ一つが今の気持ちにぴったりで…リンクを貼るので、もしよかったら聴いてください。

 BUMO OF CHICKEN  『グッドラック』


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