美術史学習の醍醐味ーDiane Arbus、 Stanley Kubrick、そして奈良原一高
最近写真の授業で紹介された映像が面白かったので、今回はそれについて書きます。
写真家ディアーン・アルバス(1929-1971)
今回の映像で知ったのは、1929年にニューヨークの裕福なユダヤ系家庭に生まれたDiane Arbusという女性写真家(ダイアン・アーバスと日本語ウィキなどに書かれてますが、こちらでの呼び方はディアーンなのでそれに統一します)。
ディアーンの父はニューヨーク5番街にあったRussek'sというデパートを経営していた富豪で、母は社交に忙しい人でした。ディアーン含む兄弟はほぼメイドによって育てられます。1930年代の世界恐慌の狂乱からは全く隔絶された豊かな暮らしながらも、当時を振り返った彼女は「私は全く不幸や災難というものを感じることなく育ち、自分でも非現実としか感じられない非現実の感覚の中にいることが約束されていた。この遮断され隔離された感覚はばかげている上に痛々しく、それはまるで自分が本来持っている王国を長い間継承できずにいるようだった。世界は世界に帰属し、それらを学んでも何一つ自分のこととして経験できなかった。夢や希望がない子供で、ピアノなど何か好きで没頭するものもなく、描かされて絵は続けていたが、私立学校の先生が何を描いても同じ褒め方をするのに身震いすらした。もはや絵具の匂い、絵具のついた筆が紙に触れる音すらぞっとして嫌いだった。ただ毎月好きな写真を自分の部屋の壁に張り替えるのだけが楽しかった。」と述べています。
1941年、ディアーンは、14才からつきあっていた10個上で同じくユダヤ系の彼、アラン・アーバスと18才で結婚します。アランは従軍写真家としてキャリアを開始し、1946年にディアーンと一緒に広告写真ビジネスを始めます。ヴォーグ、ハーパースバザー、エスクアイアなど今でも有名な雑誌のファッション写真撮影をし、ルックという雑誌では、ディアーンはなんと後に世界的映画監督となるスタンリー・キューブリックの先輩として彼を指導したのだそう。キューブリックは2001年宇宙の旅、時計仕掛けのオレンジ、シャイニングなどで有名ですが、実はシャイニングの印象的なシーンで見られる双子の少女は、ディアーンの作品の引用で、彼女へのオマージュとして捧げていたようです(トップ画の右がシャイニングより、左がディアーンの写真作品)。
スタンリー・キューブリック(1928-1999)
アランとの間に二人の子供をもうけつつ、1956年頃よりディアーンは商業写真から身を引いて自己と自分自身の写真表現を追求するようになります。街を歩き、それまでの人生で出会ったことも触れたこともなかったような人々と交流し、彼らのポートレイトを撮り始めました。普通のカップル、老人、中流階級の家族、子供、障害を持つ人、パフォーマー、ストリッパー、ヌーディスト、当時は今よりずっと異端として扱われていた、LGBTQの人々など、「辺境の人々(Marginalized group)」と呼ばれる人々を多く被写体としました。彼女は母親譲りか社交に長けていたようで、撮影時は彼らと常に良好な関係を築けたと言っています。また特に異端とされた人々については、畏怖を覚えつつも、物語に出てくる主人公を引き留めてなぞなぞを出してくる存在のように感じ、とても魅了されたとのこと。彼女は彼らについて、「ほとんどの人間はこれから起こるトラウマ的経験を恐れて生きるが、彼らはトラウマと共に生まれ、かつその人生の試練を既に乗り越えている。彼らは貴族である。」と語っています。このような人々を真正面から、尊敬を持って芸術の主題のモチーフとすることは、当時としては革命的な出来事でした。
彼女は存命中に名声を得た存在で、様々なメジャーなグループ展に参加し、1963年にはグッゲンハイム財団より彼女の仕事に賞が送られ、1967年にはMoMAの”New Documents"というドキュメント写真にフォーカスした展覧会に他二人の写真家と共にフィーチャーされます。こうした華々しい活躍をみせながらも、1971年、ディアーンは手首を切って自殺してしまいます。生前の彼女の写真や活動をまとめようと、娘のドゥーンが動き出すのですが、その時に一役買ったのが、なんと日本が誇る写真家の奈良原一高。
奈良原一高(1931-2020)
彼は1970年より4年ほどニューヨークに滞在していたのですが、ディアーンの写真を敬愛しており、彼女が亡くなる1年前にちょうど行っていた講義に参加していました。面白いのが、彼は全く英語がわからなかったから、テープレコーダーをクラスに持ち込み、それを後で家で聞き直せるようにしていたそう。それをドゥーンらに貸したことによって、彼女の写真活動に対するステートメントなどが明らかになり、彼女のドキュメンタリー作成が実現します。これを元にMoMAが作成した映像がこちら。奈良原が撮ったテープはクオリティが低かったため、ディアーンが語っているかのような部分は、文字起こししたものをディアーンの友人が朗読しています。
今回文章にした情報はこの映像や日英ウィキペディアを元にしています。英語がわかる方、間違っている部分があれば訂正しますのでお知らせください。YouTubeは自動字幕生成ができますので、美術好きな人にはリスニング練習にいいかもしれません。特にステートメントなどに興味がなくても、彼女の作品のスライドショーとして楽しめる映像です。
大学時代の友人で奈良原一高が好きな子がいて、その時の私はあんまり写真作品に没入できず軽く通り過ぎていましたが、改めて奈良原一高の作品を見るとめちゃくちゃかっこいいです。シュルレアリスムとクロサワ的世界観と技巧が合体したような…どうやって撮ってるのか知りたい。なんか著作権など色々やばそうなので、一応キヤノンギャラリーの展示のリンクだけ貼っておきます。そして、今年の始めに亡くなられていたんですね。色々不勉強です。ご冥福をお祈りします。
ちなみに全くの考えすぎですが、シャイニングの原作を描いたスティーブンキングが物語の舞台のインスピレーションを得たホテル、その名もスタンリーホテル…奈良原一高の写真中に、どことなく似た物物しい雰囲気の洋館があり、なんとなくご縁を感じました。
課題をやらなきゃいけないのに、なぜか日本語で課題より先に写真家のリサーチをまとめてしまいました。でもやっぱりこうして久しぶりに勉強すると、美術史って改めて楽しい。美術史は、なんとなく大筋を覚えたら、後は好きなとことか偶然興味持ったところを補填していくだけで、枝葉のように別の既知事項とつながっていく。それだけだと普通の歴史と同様だと思いますが、個人的に歴史は嫌いではないけど苦手です。なぜなら、争いごとがまずうんざりした気分になってしまうのと、歴史って基本的に勝利→繁栄→腐敗→争い→勝利…の繰り返し。大体想像が着く、こういうパターン化したものに対する興味がなかなか保てない性質で、ドラマとかスポーツも大体同じような理由で自分の興味を持続させることができません。その点美術史は、「好き」とか「尊敬」とかポジティブな感情を軸として、思いもよらない階級差での交流や時空を超えた技法の伝播で変幻自在に広がりを持つことがある。この予測不能さがとても楽しい。もちろん、美術は確実に権力とお金との関係が切っても切れないので、歴史と密接で歴史を学ばなくては理解できないし、光が強い分その闇も深いものだとはわかっています。ただどうしても、光の部分に魅了されてしまうんですよね。
最後にとってもどうでもいいこと、もう一つ。今回リサーチしていた際、ウィキペディアの奈良原一高の日本語ページが短すぎてびっくりしました。パリやニューヨークでの滞在のことにも一切触れられてない。英語では触れられているけど長さ的には一緒で、フランス語版だけなぜかめちゃくちゃ長かったです。さすが芸術の国おフランス。とはいえ祖国が文字数で負けるなんて、と思ってしまいます。奈良原一高、せっかくあんなにカッコいい日本が誇る芸術家なので、誰か研究してる大学院生とかもっと解説補填してくれないでしょうか…。日本政府、日本学術会議にアホらしい喧嘩売ってないで、もっとこういう研究がたくさんできるようにちゃんとお金出してほしい。これこそがクールジャパンなのに、しょうもない文化にばかりお金を横流しして国の主軸となる大切な文化を滅ぼし、どの辺が保守派なのかと思ってしまいます。むしろアナーキーというかラディカリズムにしか見えない…。私はみんなに左と言われますが、私こそ保守的では?と、いつももやもやしております。
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