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小説「ある定年」⑲

 第19話、
 窓外を稲刈りを終えた田園風景が流れていく。里山を背景に農家の集落、鎮守の森が点在し、やがて線路と並走する幹線道路に車が行き交い、沿線にはスーパーや衣料品、家電量販店など大型店舗も見える。
 結婚以来、独り旅はいつ以来だろうか。
 結婚後、仕事や子育てに追われ、旅行といえば年1回、夏休みの家族旅行だった。秋田からフェリーで北海道に足を延ばし、飛行機で屋久島に渡り、家族4人楽しい時間を過ごした。子供二人が独立後は妻と春、秋の2回、イギリスや香港、フィンランド、京都、奈良など国内外を旅した。
 思い返すと、結婚後間もなく、36、7年前、妻が娘の奈々子を身籠り、実家に帰省している時だった。
「何でまた三宅島に。急用でもできたのか」
 90歳を超えていた妻の祖父が怪訝そうに首を傾げた。
 当時、三宅島では米軍艦載機の夜間離発着訓練基地化をめぐり、住民の大規模な反対運動が巻き起こっていた。血気盛んな頃で、自分の目で一度、確かめたかった。当時、内勤の整理部で取材を離れ、現場に飢えていたのかもしれない。
 戦中、戦後、食うや食わずの貧しい時代、家族を養うために山間の狭隘な傾斜地で米、野菜を作り、炭焼きで家計を支えていた老祖父にとって、妊婦を抱えながら休日を返上して物見遊山に出かける発想を想像できないのは無理もなかった。
 身重の妻を置いて宇都宮アパートに戻り、バックパックを背負って東京へ向かった。東北線、山手線を乗り継ぎ、竹芝桟橋へと急いだが、生憎、天候不順で欠航となり、すごすごと元来た行程で戻った。そんな、ほろ苦い思い出が脳裏をよぎった。
 線路沿いに民家が立ち並び始めると、電車はホームに滑り込んだ。階段を駆け上がり、駅前に出ると、観光案内所の看板が目に入った。受付で聞くと、安土城跡までは徒歩で20分以上もかかるからと、レンタサイクルを勧められた。
 駅斜向かいのレンタサイクル店で応対に出たのは腰の曲がった高齢の女性で、
「途中、案内板が出てるけど、初めてじゃ迷うかもしれんなあ」
 と、徐に道順をしゃべり始めた。
江上は慌ててノートを取り出し、
「おばちゃん、もう一度、最初から」
 と、聞き直し、書き留めた。
 自転車を乗り出し、指示された通りに最初のミラーを左折した際、店先を見ると、その老女が心配そうに見送っていた。
 独り旅を思い立ったのは、退職後、山口と初めて話した後だった。
 ーー完全燃焼っていうか、やりたいことをやんなくちゃとは思ってるんだ
65歳定年後、残された時間は少ない。自ら発した言葉が胸の奥でわだかまっている。
 建具職人・田辺が睨みつけながら発したセリフも刻まれている。
 ーー俺にはこれしかねえ。好きでやってるだけだ
 日栃の元同僚・加藤の何気ない一言が背中を押した。
 ーーまた飲もうや、次はお前の自分探しの旅を酒の肴に
 曲折があり脇道に逸れながらも世間並みに65歳定年を迎えた。踏みとどまることなく地域おこし協力隊にも挑戦したが、惜しくも選に漏れた。
 まだ家に引きこもりたくない。完全燃焼できる何か、これしかねえと胸を張れる何か、を見つけたい。そう無性に思った。
 自分を見つめ直す一歩がささやかな二泊三日の独り旅だった。先行きの見えない悶々とした日々から一時でも抜け出たい気持ちも多分にあった。
「そう、独りで出かけるの」
 妻の千香は賛同できないことを言外ににじませた。
「65歳で無事、定年退職したし、少し骨休めしようと思って」
「でも、日栃を退職した時は奈々子の留学先だったニュージーランドに私と一緒に行ったわよね。奈々子の様子を見に」
「そうだけど。ちょっと、この先のことを独りで考えてみたいんだ。よくテレビドラマなんかで、行き詰まると、男は独り旅に出るシーンとかあるじゃないか」
「独り旅なんて、女は好きな男にふられて、傷心を癒す時だけね。それも結婚前の若い時だけよ」
「京都、大原三千院、恋に疲れた女がって歌があったけど、そういうもんか。男は女にふられても旅には出ないな。すぐに次の女のけつを追い回すんじゃないかな」
「それは、あなただけじゃないの」
「おい、冗談だ、例えばの話だ」
「つまり、男と女の違いって言いたいのね」
 妻は言い争っても埒が明かないと観念したのか、席を立った。
 今回の独り旅は衝動に突き動かされていた。独りで電車やバスを乗り継ぎ、観光名所を訪ね歩き、夜は居酒屋で郷土食をつつきながら酒を飲む、だけのことだ。胸の片隅で、思わぬ出会いを待ち望んでいるのもまた本音だった。江上は人生の転機につながる、何かをつかみたかった。
 妻の心情も慮って、2泊3日の短い旅にした。次は妻を同伴すればいい。時間はある。年金生活だが、2、3日の国内旅行なら、節約すればどうにかなる。当面、気が向けば2度、3度とショートトリップを重ねてもいい。
 行先はどこでも良かった。人影まばらな地方でも良かったが、敢えて大都市で広場の孤独を感じたかった。京都はコロナ前までは毎年のように妻と訪れており、たまたま大徳寺聚光院で狩野永徳の国宝障壁画が特別公開されていたことも興味を引いた。滋賀は妻と同様、訪れたことはなく、一度、足を延ばそうとも思っていた。
 入国規制が緩和され、本格的な紅葉時期を迎えると混雑することから、江上は10月下旬、小型のスーツケースを持ち、足利を後にした。社用でなく、家族や友人と一緒でもない、気儘な独り旅に胸が躍っていた。時間を気にすることはない。腕時計は付けず、スマホもナビで使う以外は極力、見ないようにした。
 東京から新幹線に乗り、昼前には京都駅に着いた。駅前のホテルにスーツケースを預け、バスの1日乗車券を購入して大徳寺など寺院3カ所を巡った。
 東寺の塔頭の一つ、観智院ではたまたま居合わせた学芸員らしき男と話が弾んだ。
「ここから、講堂、その奥の金堂の甍が真っすぐに並んでいるのが見られるでしょう」
「ええ、綺麗に並んでいますね」
「平安京の唯一の遺構であるということです」
 その男の蘊蓄に、京の都の歴史の古さを改めて知った。
 夜は房州楼の女将・芳野の紹介で、八坂神社近く石塀小路の小料理屋ききょうの暖簾を潜った。
「今の時期は鯛は最高でして」
 研ぎ澄まされた刺身包丁で手際よく切り分けられていく。気風のいい板前は還暦前だろうか。滑らかな舌触りが確かな腕を裏づける。ここにもこの道一筋の職人がいた。旨い魚と地酒でついつい盃が進んだ。
 そして1泊後、2日目の朝9時前、安土駅を目指しJR琵琶湖線に乗り込んだ。そして安土駅で降り、自転車で安土城跡に向かっている。
                         第20話に続く。

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