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小説「ある定年」⑩

 第10話、
「基金って3階部分のことだろう、だから、これって基金から別枠で上乗せされるんじゃないの」
 江上は10年前まで所属していた業界団体の厚生年金基金の書類を手に取り、首を傾げた。
 書類には「将来、支払われる年金額(見込額)」として、基金年金77万600円、支給開始予定年齢63歳とある。
「そう読めるけど。月額にして6万円強よね。でも、おかしいわ、もらってないけど」
 妻の千香は手元に用意していた江上の預金通帳をパラパラとめくった。
「基金からは2カ月ごとに税引き後、2143円が入金されているだけ。月額1071円ね」
 妻は電卓を叩いた手を止め、右の頬を膨らませた。
「あれっ、特別支給のなんとかって名目で、毎月入金されているよな」
「63歳からもらっている年金ね。日本年金機構から通知がきているわ。特別支給の老齢厚生年金のことでしょう」
「そういう正式名称なんだ。確か、年金の開始年齢が60から65歳に引き上げた時、激変緩和措置として導入された制度だな。それって、いくらもらっているの」
「この通知ね。今年4月から年額129万4305円となっているわ。でも65歳までの誕生月、つまり9月分までの支給だから半額の65万円弱、月換算で11万円弱ってことになるわ」
「そんなにもらっていたかな、月6万円ぐらいじゃなかった?」
「それはあなたが働いていたからでしょ。28万円の壁って聞いたことあるでしょう。65歳未満は年金と給料の合計収入が28万円を超えていたら、超過額に応じで年金が減額されるのよ。ここに書いてあるわ、ちゃんと読んで」
 妻から受け取った通知書には改定前の年金額の欄に、支給停止額52万9754 円、支給額76万9754四円と記載されていた。
「今年4月からは28万円から増額されて47万円に制度変更されたから、年金を全額受け取れるのよ」
「そうか、俺の給料25万円と月額年金11万を足しても36万円で、47万円には届かないからな。それで年金の全額支給ってことか」
 在職時代は給料明細書をにらんで、給料から差し引かれる年金を含めた社会保険料ばかり気にしていた。消えた年金問題もあり、歳を重ねるにつれ、多少、受給額に関心を持ったが、世間並みにどうにかなるだろうとしか考えていなかった。65歳、年金満額受給の資格を得る一方、9月末の定年退職で職を失い、年金の把握は身に迫った最優先課題となった。
「とにかく、まず基金に確認ね」
 妻に急かされ、都内にある基金の事務所に確認の電話を入れた。
「基金独自のですか?うす皮部分はきちんとお支払いしていますが」
「じゃなくて、63歳から受け取れる基本年金の77万円の件なんですが」
「今、ご覧になっている書類は何年に作成されたものですか」
「平成24年となっていますが」
「その後、制度変更があって、国の厚生年金の一部を運用・給付してきた代行部分を国に返上したんです」
「というと」
「その代行していた部分は国から給付されることになったんです」
「それじゃ、どこに尋ねればいいんですか。私の消えた年金を」
「消えた年金ですか?とにかく代行部分は国に返上したので、国ですね」
 年金の仕組みを理解してないため、疑問符が付いたまま電話を切る羽目になってしまった。                             
 日本年金機構から送付される年金定期便を見ると、65歳からの支給年額は老齢基礎年金と老齢厚生年金で約206万円で、月額換算で約17万円。それに3階建て部分の基金の6万円を合わせ、23万円と認識している。現在の給与収入とほぼ同額で、失職してもどうにかやっていけると判断していた。
「とにかく国に聞いてみるよ」
 江上は年金定期便に記載されていた日本年金機構の問い合わせ番号に連絡した。
「年金が消えているんですか。それではお急ぎですね。窓口の予約を取りましょうか」
 若い女性オペレーターが機敏、かつ懇切丁寧に桐生年金事務所の面会予約を取ってくれた。翌日の相談枠が1つ残っており、即座に申し込んだ。消えた年金問題を契機に社会保険庁から日本年金機構に組織替えした甲斐はあったようだ。
 翌日、消えた年金を解明しようと、ファイルに年金定期便、基金からの通知書など挟み込み、ノートとペンを持って桐生事務所で受付した。予約制のためか、順番待ちの相談希望者は皆無だった。10分ほどで窓口に呼ばれた。
 相談員は中年女性で、名札を掲げ、
「葛西です。基礎年金番号の分かる書類はお持ちですか」
 と、手慣れた様子で作業を進めた。
「あの、ちょっと年金で不明な点があって」
「少し待って下さい。えーと、江上さんですね」
 その女性職員はパソコンのキーボードを操作すると、プリンターから吐き出された1枚の紙を差し出した。
「説明しますね」
 A4横書きのコピー用紙に試算結果、現在の年金見込み額212万1026円と記され、その内訳が細かく記載されている。その女性の説明によると、その内訳は老齢基礎年金約71万円、老齢厚生年金が基本年金が約141万円で、そのほか配偶者加給約39万円とのことだった。合計で年額約251万円で、月額約21万円とのことだった。
「あの、この基金の書類にあるある63歳から年額77万円の基本年金はどこにいったのですか」
「あっ、それはこの基本年金に含まれていますね」
「じゃ、別枠で加算されることはないんですか」
「ええ、含まれていますから」
「じゃあ、65歳からもらえる年金は月額約21万円ということですか」
「そうですけど」
「21万円ですか、随分少ないというか、これで老後を生活するわけですか」
「でも、江上さん、21万円受給できるのは多い方ですよ。15、6万円が普通ですから」
 帰宅後、ネットで調べると、確かに決して少ない額ではないようだったが、年金生活の前途に暗雲が立ち込めてきた。妻が65歳になると、老齢基礎年金約70万円が支給されるが、配偶者加算約39万円は打ち切られ、夫婦の総年金支給額は約282万円、月額24万円弱の計算となる。
 2年後、妻と2人、月24万円の生活となる。
「やりくりできないことはないけど、年金だけだと本当、ぎりぎり。老後のために預貯金2000万円って本当ね」
 妻の千香が表情を曇らせた。
                         第11話に続く。


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