小説「ある定年」⑮
第15話、
パソコンを立ち上げ、モニターに買ってきたばかりのウェブカメラをセットした。数回、画像と音声をチェックし、本番に備えた。
「第一印象は大切よ」
妻のアドバイスを素直に聞き、江上は紺と黄のレジメンタルのネクタイ、白シャツ、ダークグレーのジャケットを羽織っている。
就職のための面接は大卒後の日栃、10年前の日新以来3度目。13年前、日栃を早期退職後の歌麿調査のための市民団体、それに日新の時も先方からの依頼だったので、就業を前提の顔合わせに過ぎなかった。
地域おこし隊の窓口となった秋田県内の自治体からは新型コロナウイルス感染防止のため、オンラインでの面接が事前通告されていた。現地面接では泊りがけを覚悟しなければならない。コロナ禍で思わぬ恩恵にあずかった。
「江上さん、そろそろ始めますが、いかがですか」
定刻になり、中年の女性の声で呼び出しがあった。
「はい。江上です。用意はできています」
「オンラインは慣れていらっしゃいますか」
「会社でオンライン会議をしていますので」
社有パソコンは内臓カメラで、月1回の支社打ち合わせ会議はコロナ禍以降、オンラインに代わっている。それ以前は会議終了後、会社の費用持ちで飲み会となるのが慣例で、社内事情、社会情勢を伺い知れて有益だった。オンラインは必要事項の伝達に限りがちで、なんとも味気ない。
モニターに面接官3人が映った。窓口となった自治体の担当者が男女計2人、業界団体の男性は1人だった。行政担当者らとは仕事柄、毎日接しており、特に緊張はしない。質問には明確かつ簡潔に答えようと考えていた。
「履歴書等と重複しますが、まず志望動機をお聞かせください」
中央の女性が書類を手に尋ねた。面接の責任者らしかった。
「記者約40年の取材活動と、歌麿調査によるまちおこしの経験を生かし、世界に誇る打ち刃物のPRに努めたいと考えています」
江上は履歴書、職務経歴書の内容をかいつまんで答えた。
「ネット上での投稿サイトを使った情報発信がメーンとなりますが、技術的に問題はありませんか」
右側のごま塩頭に黒縁の眼鏡をかけた男が質問した。
「日常業務として取材、執筆をしてますし、ネットでの情報発信もプライベートで慣れていますので」
「打ち刃物は地場産業の柱で、今後、全世界を視野に販売戦略を展開し、その前提で情報発信を担ってもらうことになりますが」
「ということは、世界公用語となっている英語で執筆し、発信するということでしょうか」
「いえ、それは翻訳してもらえばいいことで」
その男は次いで、質問を続けた
「最初は事務所での事務作業ではなく、生産現場に出向き、職人が生産する様子を見聞してもらいますが」
「当然だと思います。まず現場に立ち返れが、記者のモットーですから。私としてもまず生産現場に足を運びたいと思っていました」
どうも隔靴掻痒、質疑が嚙み合わない。英語についても募集要項には、条件ではなく、日常英会話ができれば望ましい、としか記載されていなかった。
「仮に合格した場合は、単身での移住でしょうか。それともご家族と一緒にお出でになる予定でしょうか」
責任者らしい中央の女性が書類に目を落としたまま尋ねた。
「決まっていませんが、妻も働いていますので、単身の予定です」
この質問も本筋から離れている気がする。契約し、仕事するのはあくまで本人で妻ではないし、質問自体がプライバシーに踏み込んでいないか、などと江上の頭の中に疑問符がちらつき始めた。
すると、また右隣のごま塩頭の男が口を挟んだ。
「大丈夫ですか、不安はありませんか?定年後の六十五歳という年齢で、しかも単身で移住されて」
「幸い持病はなく、健康面に特に問題はありません。単身赴任も経験しましたし、家事全般に不安はありませんが」
「そうですか。ただ、この地域の雪は尋常ではありませんよ。生産現場まで、冬は雪道を走ることになりますが」
「そうですか。それでも地元の方は冬の間、その雪道を通勤なさるわけでしょう。片道どのくらい時間がかかるのですか」
「まあ、4、50分程度は」
そのごま塩男が答えると、左端の丸顔の人の好さそうな中年男が、
「バイバスを使えば20分程です」
と、訂正した。
ごま塩頭の男は手元の書類に目を落とした。面接前、質問内容の事前打ち合わせはなかったようだ。
「アジアには既に輸出を始めたので、今後は欧米にも刃物の魅力を広く知ってもらおうと考えてまして。何かお考えはありますか」
業界代表の丸顔の男が、今日初めて質問らしい質問を口にした。流石、当事者だ。
「既存の情報に付加価値をつけ、新たなストーリーを作り、情報発信することではないでしょうか。まず、もう一度、打ち刃物の歴史などを掘り下げて調査することが大切だと思います」
面接官の反応はない。どうにも一方通行で、話が弾まない。
「業界の皆さんは海外への販路拡大に必死なんです。何か戦略は考えていますか」
また、ごま塩頭の中年公務員が口を開いた。
募集要項はあくまで情報発信で、営業は含まれていない。だから応募したし、1次選考も可としたのではないか。江上は、きちんと釘を刺しておくべきだと考えた。
「先ほども話しましたが、私ができることは地域資源を掘り下げ、付加価値を付けた情報を基に新たなストーリーを作り、発信することです」
「それは分かるんですがね」
ごま塩頭男は言葉を濁した。
江上は腹立たしくなった。
月額2、30万円で、昇給、ボーナスなし。最長3年間の期間限定で、世界戦略を担う広報に加え、営業も兼務できる人材が応募するのだろうか。しかも地域おこし協力隊員の経費財源は、基本、国が負担している。他人の褌で相撲を取るのだから、もっと、控え目であってもいいような気がしてきた。
「最終試験の合否はメールにてご連絡いたします」
チーフの女性が面接を打ち切り、モニターから面接官の姿が消えた。面接時間は30分を超えていたが、江上は無味乾燥で手ごたえを感じることはなかった。
第16話に続く。