小説「遊のガサガサ冒険記」その9
その9、
遊の机の上に宅急便が届いている。差出人欄に父・イリエスとある。帰省した際、出張先で買い求めたお土産を持ってくることはあるが、父が宅急便で遊宛に送って来るのは初めてだった。
硬くずっしりと重く、品名は本とある。カッターで封を切り、取り出した。写真集で、「写真に残された絶滅動物たち最後の記録」、英語表記で「LOST ANIMALS」だった。表紙の写真の一匹の犬に似た動物は威嚇するように大きく口を開け、背中から尻にかけてシマウマのような黒っぽい縞模様がある。
父からの手書きの手紙が挟んであった。
ーー遊へ
先日、2人でガサガサに行って獲物を楽しみにしたのに、結果はブラックバスやブルーギルなどの外来種の魚ばかりで散々でした。ヨシノボリやカマツカなどの渡良瀬川の在来種の魚がこのままでは駆逐されてしまう、と居ても立っても居られない気持ちです。遊も同じ気持ちではありませんか。
仕事帰り、たまたま立ち寄った都内の本屋でこの本に出合いました。読めば分かると思いますが、人間はこれまで多くの動物を絶滅に追いやって来ました。この本には、世界で既に死に絶え、見ることのできなくってしまった動物たちの貴重な写真が載っています。遊がきっと興味を持ってくれるだろうと思って、買い求めました。
ページをめくるごとに、その愛くるしく健気な姿をもう2度と見ることができないと思うと、切なく悲しい気持ちになります。
遊はどう感じるかな。
また一緒にガサガサに行こう。今度は外来種を一匹でも多く捕まえて、駆除しましょう。ささやかな生態系の保護のために。
父・イリエスより
驚いた。まるで胸の内を見透かされているようだ。父は超能力を持っているのかもしれない。学校で始めていじめられた時もそうだ。落ち込んだ気持ちを汲み取って、忙しいのに大好きなガサガサに誘ってくれた。今度は自制の神の途方もないミッションに二の足を踏む心情を察して、背中を押すつもりで写真集を送ってくれたんだろうか。
表紙の写真の犬に似た動物はオーストラリアにいたフクロオオカミ、裏表紙の男の人の頭に乗っているのはアメリカのハシジロキツツキで、拾い読みすると、ニューイングランドソウゲンライチョウ、リョコウバト、クアッガ、キタハーテビーストなどの写真と解説が掲載されている。どの生き物もその瞳に物悲しさを漂わせ、訴える力さえ失ったように生気がない。
じっくり活字を追う。遊は水鳥の話に引き込まれた。
グアテマラの湖に生息していた水鳥、オオオビハシカイツブリ。種として確認されて、わずか60年弱で滅びたという。生態学者ラバスティールが保護活動に精力を傾け、その水鳥の絶滅までの克明な経過が写真数枚とともに紹介されていた。その1枚、水上の大きな巣の上に産声を上げたばかりの1羽の雛が怯えたように蹲っている。最後の1羽だったかもしれない。
衝撃だったのは絶滅の原因だった。
釣り客目当てにオオクチバスが湖に放たれ、カイツブリの主食のカニや小魚を食い荒らし、時には雛を襲っていたとある。
外来種の移入をはじめ、開発で住処となる葦原が減少し、自然災害が追い打ちをかけた。絶滅直前、飛べないはずの10数羽が湖を飛び立った。既に純血種は途絶え、交雑種となっていた。そして、1987年、絶滅が宣言された。
自然災害は仕方ないにせよ、住処がなくなり、餌が減り、雛が殺されたのも、詰まるところ、人間の貪欲のせいだ。
保護活動の成果で一時は200羽まで増えたという。日本のトキやタンチョウ、コウノトリも絶滅の危機をどうにか脱している。何とか救う手立てはなかったのだろうか。
写真集は悲しい話に満ちている。遊の口からついため息がこぼれてしまう。
ーー飽くなき欲望のツケが、いずれ人間自身に降りかかる
あの老人の警告が蘇る。
カイツブリの1種が姿を消しても、一見、何ら変化はなかったかもしれない。湖は満々と水を讃え、豊かな緑を水面に映し出し、人々は日々の営みを今まで通り繰り返す。だが、平穏だからこそ、不気味だ。太古から営々と築き上げてきた生態系が崩れたのは確かで、連携、共存の綻びがいつ、どんな形で噴出し、主犯の人間に跳ね返ってくるのか。
グアテマラのオオオビハシカイツブリの悲劇は対岸の火事じゃない。今、世界中で日本でこの足利で現在進行中だ。渡良瀬川の現状は世界を反映している。カミツキガメまで姿を見せた。水面下で、在来の生き物は刻一刻と死の縁に追いやられている。
(倒壊寸前、最後の柱に手をかけているのでは)
追い詰められているのは渡良瀬川の魚やカメだけじゃない。僕も同じだ。将来、人間の一員として未曽有の環境変化に襲われ、「あの時、手を拱いてなければ」と唇を噛み締めるかもしれない。いじめだって同じだ。後で悔やむ前に、何とかしなければ。
華にも言われた。
ーーいじめも同じ。嫌で大変で悪いことって逃げても逃げても追っかけてくるでしょ、解決するまでは
と。
遊は写真集を閉じて、階段を駆け下りた。
「お父さん、今、電話に出てくれるかな」
映見は夕食の支度の手を休めた。
「お仕事中だけど、遊君からの電話なら出てくれるはずよ。プレゼントのお礼ね。本みたいだったけど、どんな内容だったの」
「滅びちゃった動物の写真集で、とってもいい本だった。人間に追い詰められて死に絶えてしまった鳥や動物の悲しい話ばかりだけど」
何か吹っ切れたようで、溌溂としている。子供はいじめに悩み苦しむと、親に胸の内を知られたくないために、わざと明るく見せたりもするという。それにしては遊の瞳は透き通り、輝いている。夫のイリエスの言うように、親のできることはそっと見守り続けることらしい。
「お母さんが今、メールしてみるから。遊がどうしても用があるからって」
折り返し映見のスマホが着信を知らせ、遊にスマホを手渡した。
「ありがとう、お父さん。いい本を送ってくれて。僕、もっと魚や鳥や動物の勉強をするから」
「それは良かった。またいい本を見つけておくからね」
遊の弾んだ声に、イリエスも映見も安堵した。
その10、に続く。
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