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「プラントベース」とは「選択できる」という選択肢があることなんだなと思った話(最後に質問あり)

こんにちは、一般社団法人 ひとtoペット 副理事の武田です。

突然ですが、あなた今日の夕食は何ですか?


いいですね!
何を食べるか決めたら、スーパーで食材を買いましょうか。

お、今日はキャベツが安いですか?
そうですね、食材は時期によって「高い」「安い」がありますよね。
肉、魚、野菜、お米…………

おお、新潟産ですか。それとも鳥取産、福島産………
なにやら、いろんな産地から食材が集まっているようですね。

と、いうことは、
これら食材を運んでいる人がいて、集めている場所があって、もともと作っている人がいるってことですね。ふむ。

私はこれらの方と直接お話し、地方卸売市場のせり現場を見たり、四万十川から水を汲んでナスに水をあげるというようなリアル体験してきましたが、ついに先日、

鶏を自分の手で絞めて、裁いて、肉にするイベントに参加しました!




なんてこった!
鶏、可哀そう!!ひどいっ!!

って、思われましたか?
私は自分でちょっと思いました。

でも、それで躊躇って鶏が痛くて苦しいのが長く続くのは避けたい、とも思いました。だからできるだけ短い時間で命を絶つ!!という、強い気持ちで臨みました。

(はじめての体験で、上手くいったとは言えなかったことが、心残りです)


イベントはじめに受けた私たちが普段食べている鶏についてのテストにて、
「若どり」と呼ばれる一般的にスーパーに売られている鶏肉が、生後一か月半の、まだピヨピヨと鳴くくらいの鶏であることを初めて知りました。

生後一か月半である理由は、やわらかい肉を消費者が求めるからだそうです。

このピヨピヨ鳴く鶏をどこかで絞めて肉にしている方がいるから、私たちはスーパーで鶏肉を購入でき、やわらかい唐揚げを食べられるんですね。

とはいえ、今は工業化されているのでピヨピヨ鳴く鶏は機械化処理されているとも学びました。どのような方法かはここでは割愛。


私たちは「廃鶏」されるおよそ生後1年半の、卵を産む用の鶏を裁きました。
廃鶏とは、卵の産みが悪くなると処分されること。通常は肉団子やペットフードなどになる。私たちの口にいわゆる鶏肉の形で入ることは基本的にはありません。おもな理由は肉が固いから。

スーパーに並んでいる食材が当たり前に並んでいることは、全然当たり前じゃないんだなと、あらためて思いました。


「可哀そう」は、何に対してなんだろう

さて、私は鶏を自分の手で絞めて、裁いて、肉にするイベントに参加しました。

鶏、可哀そう!!って、私もちょっと思いました。
でも、可哀そうって、一体なんでしょうか。
辞書の意味では「同情の気持ちが起こるさま。不憫に思えるさま」です。

私たちは日々、どこかから来た「何か」を食べて生きています。
その食べている「何か」、はよく考えると、植物から動物まで種類はあれど、すべて命あったはず。

ほとんどの人は、その命を奪う作業は誰かに任せている。
このことを、普段の生活で意識することって、そうないですよね。いい悪いではなくて。

「そんなこと考えたら、何も食べられなくなっちゃう」

そうかもしれません。けれど、だからこそ私たちは「いただきます」と食事の前に口にするのではないでしょうか。

さまざまなものが、あまりにも細切れになって大事なことが見えにくくなっている気がしていて
自分に危機感があるので、口にする食材が作られているところに見に行ったり、リアル体験をしてみています。

実際やってみると、ほんーと大変。
自然素材から肥料からつくって鍬で畑を耕して野菜を作ったり、水をまいたり、鶏を絞めて裁いたり。ほんと時間がかかるんです。(初心者だから時間がかかることは否めない)

やってみた方には通じると思いますが、自分が口にするまでをつくったり加工していると、可哀想ではなく、ありがたい気持ちが湧きあがります。

動植物に対して、つくったり加工してくださる方に対して。
米一粒でも、つくるの、ほんとうに大変なんですって。(しつこい)


「カレーライスをーからつくる」という映画をご覧になったことありますか?

探検家・関野吉晴さんが武蔵野美術大学で行った課外ゼミの記録。
なんとカレーをつくるのに9か月かかってるんですよ。9か月………

私たちの祖先が狩猟をしていたころは、食材を得るだけで一日が終わったのかなと想像しちゃいますね。

とはいえ、私は狩りをしていた時代に戻りたい、とは思いません。
今の時代だからできることの良さはあると思っています。


プラントベースの考え方を知る


ベジタリアンとかビーガンとか、言葉を耳にしたことはありますか?
私は海外から来たお遍路さんたちから、その言葉をかなり聞きました。
(この詳しい話は別機会にします)

2020年、住んでいた高知県から東京に戻ってきてから都心で飲食店に入ると、ベジタリアンやビーガンが選べる食事が増えていることに気づきました。
2020年オリンピックに向けて東京全体が整備されていたことが関連しているように思いますが(自分調べ)、

とはいえ、普通の食事に比べると、選択できるメニューや種類は少ないなとも思います。これは現状も同じくです。


そんな中、鶏を絞め裁いた肉を手に持ち、その帰りに見つけた本「RiCE」。


「プラントベース」という言葉を初めて目にしました。
20~30代の方が、自分が口にする食材を、口にされるまでのルートをじっくり考えて選択していました。私がこの日学んだ鶏に関してのことも書かれていました。

プラントベースとは、「ベジタリアン」「ビーガン」と固定化するのではなく、「生き方」という言葉が近いのかもしれないですね。

●自分はこれを食べる/食べない。なぜなら、これはこういうところで育てられているから。
●私はこういうお店で食事をする/お金を払いたい。
●こういう生活をしたいので、自分で作る。作っている人から購入する。
●ふだんは肉は食べないけれど、ほかの人が食べていたら食べる。それくらゆるい感じ。

これって、自分の体に取り入れるものを、自分が身に纏うものを、関係性を自ら「選択している」ということかなと。

じゃあ、武田さんはプラントベースになるの?と問われると、これからも肉を食べます。プラントベースの考え方は取り入れますが。

私は一度体を壊していて、かなりさまざまなことをして今に至ります。その結果から、私の体は肉を省く食生活は体に合っていません。

ただ、食べるものは安ければよいという考え方ではないです。
安いということは、どこかで誰か/何かが被害を受けていると思っているから。
サービスにはそれに見合う対価が必要です。そうすることでそのサービスが安定して長く続いていくことで、自分にまた返ってくる。

「そんなの、お金がある人だから言えることだ」

本当にそうでしょうか。本当にあなたが日々使っているもの、食べているものは、ぜんぶ本当に必要ですか?

プラントベースの考えをする方は、こういう「本当に?」をていねいに考えて実践されているように思います。
彼らは植物や動物の命を、適切なタイミングでできるかぎり苦痛少なく奪うことも、自分の口に入るまでの過程として考えているように思うからです。

このことはアニマルウェルフェア(animal welfare : 動物の福祉)につながる考えであるでしょう。また動物観にはアニマルライツ(animal rights : 動物の権利)という考え方もありますが、アニマルウェルフェアとはまた違った考えになると思います。

今回の自分の体験を通し、プラントベースの考え方を知り、自分はどうなのかを考えるきっかけになりました。また、関わった方とお話して、様々な考えの方がおられるなと、改めて思いました。

私はこういう考え方をしています。あなたはそうなのですね。

これが多様性であり、ダイバーシティであり、対話が始まること、ではないでしょうか。


最後に質問です。

あなたが「プラントベース」の食事をしていないのは、何故ですか?

どこかで、お話しできるといいですね。
いつかお目にかかりましょう。


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