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「正解」ではなく「自分の意見」をつくっていくプロセスを載せてみる

きっかけと問題提起

災害時は正解探しではなく状況からの判断が必要になる。これが生死をも分けることがあると聞く。
「書いていないから従わない」「書いていないからわからない」と、自分で考えるのではなく反応する人たちが多いのかも?と思った。駅やトイレの張り紙を眺めてふと。

経験と意見

私が行ったいくつかの海外は街の中に最低限のアナウンスしかなかった記憶。情報量が少なく、だからこそ町並みが美しいしデザイン考えられているように思った。これは識字率の高さも影響しているだろうが(私見)海外旅行者の自分の意見を持つことと危機管理意識の高さには話すたびに毎回驚いていた

これは日本の田舎でも感じていました。たとえば、高知県には沈下橋という、川の水嵩が増えると川底に沈む橋があります。 地元の方に「この沈下橋はどれくらいの水量になったら渡れなくなるのか」と聞くと「自分で判断」と。注意書き立てても流れちゃいますしね… 経験値や知識から自分で考え判断する。

いったんまとめ

自分の意見を持ち口にすることや危機管理能力は、頭で考えるだけではなく体を使った訓練で身につきます。今の日本だとわざわざ学ばないと身につかないのかもと。 言葉を見て反応するだけではなく、なぜなのか等考え、自分の意見を口にしたいものですね。

ファクト(事実)からの修正

【修正】ユニセフ 世界子供白書2021 を見ました。識字率の高い国だから駅やトイレ等に注意書きが多いことには直接つながらない判断しました。もっと多様な要素がありますね。文字が読めることの前提があり、注意書きが記されるわけですけれども。

・就学前および初等/中等教育
・非就学児率初等/中等教育修了率
・若者の識字率                                                                 (表11:教育指標)

例と再度まとめ

さまざまな技術のおかげで得られる情報量は格段に増えました。それ自体は悪いことではないですよね。
たとえば天気。天気を知るために天気図を自分で書く方はそうはいないと思います。その分、別のことができますし。
けれど「それ、ほんと?」と適度に疑うことも、忘れないでいたいものです。


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どうしてプロセス載せたの?

想定外のことが起こった時、それでも判断し自分の体を動かせるのは自分だけ。「なぜ自分はそうしたのか」をあとから問うても問われても答えられるように、自分なりの意見を持つようにしています。

(これって、後悔しないために大事なことであったりします)
(他責ではなく自責)

「自分の意見を口にするの早い」と、海外からの旅行者と話して思ったのですね。(過去に海外からの旅行者が半数の宿を経営。20か国以上の人と接しました)

合っているか間違っているかは、あとで調べたらよい。もちろん合っているに越したことはない。けれど、そこが重要ではない。
その場で出された問題を自分なりにかみ砕き、自分なりの意見を出すことこそが価値があるように思いました。

ですので、彼らと話すとき、その意見を日本語で考えてから英語にする手間があって、うまく話せないことが多かった…
けれど、意見がある者の話を一生懸命聞いてくださる。そしてまたそれに対し確認をし、また話が続いていく。そのような豊かな時間の経験があります。

日本にいると、こういう対話の時間は経験することが少ない気がします。このようなことから日々個人訓練している感じを、文字に残してみました。

(今日の見出し画像は、パスと図形で描いた鳥さん色塗り途中) 

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