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共話と対話

先日受講したNHKカルチャーの「100分de名著特別講座」がとてもおもしろかった。

わたしの大好きなEテレの中でも大好きな番組、「100分de名著」の番組プロデューサー・秋満さんが進行し、『平家物語』とエンデ『モモ』をつなぐと題して、能楽師の安田登さんを講師に迎える特別講座。

安田さんの博覧強記ぶりに圧倒されながら、二人の軽妙なやり取りに魅了されながら、めまぐるしく話題がうつっていき、いちいち「!!!!」という言葉にならないユリイカやらアハ体験が去来して、頭も心も忙しかった。


なかなか言語化しづらい体験をしたのだが、どうしても一つ記録しておきたいのが、「共話と対話の違い」について。

わかりやすくまとめられているものがあったので、引用する。

日本語の雑談場面における「共話」と「対話」についてhttp://www.japanese-edu.org.hk/sympo/upload/manuscript/20121017095708.pdf

水谷*(1993)によると、「共話」は話者自身が発話を一旦途中で切り、文を完結させずに、話し相手もその続きを引き取って、「あいづち」や「言いさし」などと伴い、いちいち話し相手とのインターアクションを図りながら、向こう側との共通理解を求める前提とする話し方である。

それに対して、「対話」とは話し手が自分の意見や考え方を前面に出し、「です」、「ます」で完結し、話し相手もじっと話が終わるまで黙って待ち、両者間の意思疎通を目的としない話し方である。(*水谷信子(1993)「「共話」から「対話」へ」『日本語学』12 巻 4 号、明治書院、4-10)


まず「共話」という言葉をはじめて知ったのがよかった。
対話との違いを知ることによって、コミュニケーションがさらにラクに、楽しくなるし、場づくりにも活かせると感じた。

そして次に、「ああ、だからだったのか!」と思い出したのが、「ニューヨーク公共図書館 エクス・リブリス」の中での人びとの「話し方」だった。

直後の感想をこちらに書いた。

一人の人が話し終わるのを待ってから、次の人が話す。
雑談にせよ会議にせよレクチャーにせよ、非常に特徴的に感じられた。
とにかくここではスピーチ文化なんだなぁと思っていた。
おそらく教育の中で徹底的に叩き込まれて身体化されている話法であり、場のしつらえ、という感じがした。

なるほど、あれが「対話」だったのだ。

映画「ニューヨーク公共図書館」は長尺の映画だ。205分ある。つまり3時間25分。その間じゅうずっと「対話」を体験できる。

偶然にも同時期にやっていたことがつながったのがうれしい。
ここでもまたアハ体験。


対して、共話とは。
説明を読んでいると、非常に共感的な話し方にも思える。
しかし、だからこそ割り込みの不快感もあるだろうし、決めつけも生じやすい。

共話と対話の違い、それぞれの良さと難しさというテーマでフラグが立った。これからまた楽しい探究がはじまりそうだ。