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届け先のわからない手紙、預かります。小さな島の郵便局長。

「ひとすじ」は、”50年以上ひとつの仕事を続けている”方々を、フィルムカメラを用いて写真におさめるプロジェクト。
個人が自由に仕事を選べるようになり、転職や職種転換も当たり前になった現代だからこそ、その人々の生きざまはよりシンプルに、そしてクリエイティブにうつります。
このnoteでは、撮影とともに行ったインタビューを記事にしてお届けします。

香川県三豊市、本土から船で15分のところに浮かぶ小さな島・粟島。
そこに、「漂流郵便局」という一風変わった郵便局があります。

ここには様々な事情で直接相手に届けることのできない手紙たちが寄せられ、いつか宛先不明の存在に届くその日まで、手紙たちを漂わせて預かっているそう。
そんな不思議な郵便局で局長を務めるのが、中田勝久(なかた・かつひさ)さん。

行き先を失い漂う手紙とそこに込められた思いを、広くしなやかな心で受け止め、送り先の人たちの心の拠り所となる、そんな大きな人です。私自身、一度会ったその日から、「明日も明後日も中田さんに会いたい」「中田さんと話すとほっとできる」そんな思いになったことを覚えています。

漂流郵便局長・中田勝久さん

入学前日に潰えた船乗りになる夢

ー 中田さんが漂流郵便局長になられてからどのくらい経ちますか?
中田さん:この「漂流郵便局」というのは、2013年の瀬戸内国際芸術祭(以下、瀬戸芸)の作品の一つだったんです。久保田沙耶さんという方が当時東京芸術大学の学生だった頃に作られて。
本当は瀬戸芸の1ヶ月の間だけ展示するはずやったんやけど、期間後も残すことになったんですよ。なので、今ちょうど10年くらいやなあ。

ー なるほど...!漂流郵便局の局長を務める前は粟島郵便局の局長をやられてたんですよね?
中田さん:そう、島内にある粟島郵便局で18歳から働いて、45年。最後の17年が局長でした。

粟島郵便局・漂流郵便局合わせて郵便局員歴55年(うち局長歴27年)

ー そもそもなぜ郵便局員になろうと思ったんですか?
中田さん:家が貧しかったし、勉強もできなかったので早く就職したいと思ってて。中学卒業したあと、海員学校を受けたんですよ。1年勉強して船に乗ったらものすごいお金もらえると聞いたんでね。粟島には、日本初と言われる海員学校があって、「島内の家では家族の中に一人は船員がいる」と言われるくらいやったんです。

ー 船員さんになろうとされてたんですね!そこからどうやって郵便局に?
中田さん:学校受かって、いよいよ明日入学式だって時に、身体検査で色盲がわかって。船は色でいろいろ察知するから、色盲は絶対いかんということになって。それを先生から事前に聞いてなかったんやけども、前日にダメやとなって入学することができんようになってしまいました。

ー ええ!前日にですか!?
中田さん:そうです。あの時は本当に、どうしようというので頭がいっぱいになって。で、とりあえず仕事を探さなきゃって言うんで、その後3年くらいは島内外いろんな仕事を転々とやりました。でもやっぱり合わんなあと思ってたときに「郵便局の募集が出てるよ」と母が教えてくれて。今は公務員の4級士に受からないと郵便局員になれないけど、当時は田舎やということで多めにみてくれよった時があったんですよ。それで採用してもらって。その後も本当に皆さんにすごくお世話になって...「自分の人生を郵便局に捧げよう」と思って必死に働きました。

島と郵便局に捧げる人生

ー そこから45年ですもんね...!
中田さん:そうやなあ。必死に働いとったらあっという間に45年経ってました(笑)。

ー 郵便局員・局長時代で一番大変だったことは何ですか?
中田さん:一番大変で、一番思い出に残ってるのは局舎の建て替えをやったときですかねえ。
当時、バブルの崩壊手前で、営業成績の悪いところはどんどん潰していったんですよ。だから、この近くでもね、近隣の志々島、佐栁島、与島、その辺が廃局になっていって。ここもいずれ潰れるだろう、ということだったんだけど、私は絶対に粟島に郵便局を残したいなという気持ちがあったからね。建て替えたところでそのあと何年続くかなんてわかんない、潰れるかもしらんけど、やったんです。

ー その時に建てた局舎が、現在も使われているものですよね?
中田さん:そう。それが3号館で、こっち(現、漂流郵便局)が元々2号館として使われてたとこ。で、3号館建てた当時は、今にも潰れそうということやったんやけど、結局今年(2023年取材当時)で32年続いてます。
25年続けたら、建て替えの時に払ったお金を回収できる計算だったけど、もうそれを大きく超えてますからね。やから、あっちの3号館にも、ものすごい思い入れがあるんよ。

ー ほかの島の郵便局が軒並み廃局になるなか、どうして粟島郵便局は残ったんでしょう?
中田さん:それが全てではないと思うけど、私は「前向きに努力してたら神さんがちゃんと見てて助けてくれる」と思うんです。結果がそういうふうになるんですよ。私ね、特定な神さんは信仰してないけどね、神は信じてます。いいことをしたら、いい結果が出るということ。
具体の背景としては、建て替えた後しばらくして、郵政の方針が全国のネットワークを重視する方向性に変わっていったんですよ。だから、田舎の局も残すような政策になってきた。そういう潮目になるまで、この郵便局が耐え抜いたいうことですかね。

ー 粟島郵便局と中田さんの忍耐勝ちですね...!
中田さん:他にも、厳しいときはたくさんあったなあ。口に出して言えないくらい辛い出来事や時期もありました。
でも、乗り越えてやってきたらね、それがいつか楽しい思い出になるんよね。

楽しそうに郵便局のことを語る中田さん

心は楽しむべし、苦しむべからず

ー 苦しい状況でも、中田さんが強く前に向かい続けるモチベーションは何だったんですか?
中田さん:私の座右の銘はね、「心は楽しむべし 苦しむべからず 身は労すべし 休む過ごすべからず」。(貝原益軒『養生訓』の教え)
辛い時でも何でも、とにかく楽しい方に何とか持って行きたい、それが僕の原動力です。世の中ほっといたら進むようなあれではないけんね。きついけど、より前に、楽しい方に進めなきゃ。
順風満帆で行く人ばっかりはおらんですよね。そんなに世の中甘ないわな。
でも、世の中良い人の方がたくさんいるんですよ。絶対に悪い人より良い人のほうが多いですよ。努力してすぐには良い方向にいかんかったとしても、頑張ったらみんな見とるから。続けとったら、トータルでは絶対に良い方向に行くって思うんです。

ー とっても中田さんらしい座右の銘ですね。漂流郵便局を常設として残したのも、中田さんの提案ですもんね。
中田さん:瀬戸芸の期間内にここに届いた約400通のお便りを見て、この手紙たちは「届けたくても届かない」「誰かに聞いてほしい、解ってほしい」という思いを乗せているから、「このまま廃棄処分させてはいけない」「長く続けることに意味がある」と思って。そこで、久保田さんに「漂流郵便局を個人で継続しましょう」って話をしました。
彼女は「ぜひ!」ということやったんたけど、瀬戸芸の作品を常設で残すと言うのは前例のないことやったから、三豊市の方にも最初は「潰しなさい」って言われて。でも、それに逆ろうて、「これはやる!」いうてね
こんなになるなんて当時は見込みなかったからね、みんなに反対された。でも今は反対しよった三豊市の方から観光チラシに載せたい言うてきて。始めるときは一切市の援助もなかったからね。まあ逆に私も気が楽なんですよ。誰にも迷惑かけんとね。
この場所は残した方が良いな、ということで進めたのが、結果的にこうなった。

漂流郵便局には創設以来届いたたくさんの手紙が保管されている

ー 私もそうでしたが、今やこの場所に訪れるのが目的で粟島にいらっしゃる観光客も多いですもんね。
中田さん:私もここでいろんな出会いがあって、良い思いもたくさんさせてもらった。本当に久保田さんに感謝ですね。
だからいずれは、この場所を久保田さんに無償で譲るつもりです。(現在の漂流郵便局舎は中田さんの個人所有の建物)
それに、今はスマホの時代でしょ?そんな中でやっぱりね、手書きの暖かいお便りに関わるっていうのはありがたいことですよ。

出会う人たちにパワーをもらう

ー たくさんの手紙が寄せられてますが、中田さんは全部に目を通されてるんですもんね。特に印象に残っている手紙はありますか?
中田さん:いろんな出会いがあるんやけどね、娘さんが結婚して子供2人産んだ後に自殺しちゃったって方がいたんですよ。
でも自殺の理由は分からずで、亡くなった方のお母さんは半狂乱になってしまって。お父さんが心配して、こういう場所があるから手紙出してみたら、って言ってくれたらしくて。「あんたがしっかりせんやったら残された孫はどうなるんや」「あんたたがしっかりしなさい」言うて。
そこから、孫を世話して起こった出来事なんかを毎日毎日ね、学校へ行かせて、寝かしつけるまでの事を書いてね。天国の娘さんに、「〇〇さん(娘さんの呼び名)、今日も孫をちゃんと学校にやったよ」言うて、毎日日記みたいにして送ってきて。
(言葉を詰まらせながら)そしたら、辛さはようなくなりません。けど、少し癒される。

ー 毎日ここに手紙を送ることでご自身の痛みをどうにか和らげていらっしゃったんですね...!
中田さん:ある日、そのご夫婦がここへ来てくれたんですよ。で、私も毎日手紙が来よるから知っとったけんね。直接お話できた時はやっぱり感動的やったね。「頑張ってくださいよ」言うてね。やっぱりつらい方がいっぱいあるんです。それをどう乗り越えていくかやね。その、乗り越える力にここがなっとったらいいなあと思うんですよね。でも、ありがたいことにそういう出会いがたくさんあるんですよ。

ー 漂流郵便局という場所の特性もあるとは思いますが、何よりここで全ての手紙に目を通し、お客さんを受け入れる中田さんのお人柄あってこそ、みなさんはこちらに手紙を送られるんですね。
中田さん:私はそんな大したことはできてないけど、でも、私宛のお手紙なんかもしょっちゅういただいて、本当にありがたいです。

ー この漂流郵便局には「自分宛の手紙であれば持って返って良い」という決まりがあるそうですが、今まで自分宛のものを見つけて持って返った方はいたんですか?
中田さん:まあ10年先の自分へ、とかそういうのはたくさんありますよ。

ー 例えば、出し先のお相手が生きてらっしゃるけど、直接届けられないからってここに送る人とかもいるじゃないですか。たまたまこれ自分のだ!って見つけて持って帰られる、とか、そういうのは流石にないですよね...?(笑)
中田さん:それがね、1件だけあったんですよ。
相思相愛やったけど事情で結婚できんと別れたんやけど、「別れても今でもあなたが好きよ」いう手紙がここにきとったんや。
で、その物語が「行列のできる法律相談所」で流れて、見てた相手が「これは絶対俺のことや!」言うてここにいらして、探し出したんですよ。何万通の中から見事見つけ出して、持って帰った。えらいドラマやろ(笑)。
確か4-50代くらいの人やったかなあ、お互いおそらく家庭もあって壊すとかそういうんちゃうと思うけど。まあ、ハートの問題やな(笑)。

ー ここには、本当にドラマのような人生がたくさんありますよね。ついつい時間を忘れて手紙を読んでしまいます。中田さんはいつまで漂流郵便局の局長さんを続けたいですか?
中田さん:そりゃ元気な間はずっと。だから日にちは決めてない。
私はありがたいことに、90になった今も28本中26本自分の歯が残ってて、健康を維持してるんです。そりゃあ、年を重ねてできなくなったこともあるけど、まだ元気なうちはこうやって前向きに楽しくやっていきたいですね。

ライター野澤もカメラマン中村も中田さんに並んでパシャリ

編集後記

初めて漂流郵便局を訪れたのは、2023年の夏、ちょうどお盆の時期。香川に転勤した友人を訪ねた際に、「雪乃絶対好きだと思う!」と、粟島に、漂流郵便局に連れてきてくれた。大学時代を共に過ごし、今でもよく一緒に旅行に出かけるその友人の嗅覚に「さすが!」と感動したのを覚えている。

粟島に降り立った瞬間の空気感、ゆったりと流れる時間、それでいて観光地になりすぎず、生活が息づいている感覚。あまりにも島の居心地が良すぎて、ついつい到着してからのんびりしていたら、漂流郵便局の閉館時間を調べるのを忘れていて、気づいた時には閉館まで残り5分、その場所から漂流郵便局までは歩いて3分...!「もう諦めるしかないか」と思いつつ、「せっかく来たのだから」という思いで一度行ってみることに。

結果、閉館時間ギリギリに滑り込んだ私たちを笑顔で迎え入れてくださり、その後夢中で30分ほど手紙を読み耽っていたところ(今考えると迷惑甚だしい)、「ごめんねえ。いつもなら時間過ぎても気の済むまでいてもらって構わないんやけど、今日は東京から孫が来とるんよ」と中田さん。「え!!!今何時!?」「そうだ、今世間はお盆なんだ!」などと押し寄せる焦りもありつつ、何より「そんな状況の中で30分も声をかけずに見守ってくださっていたんだ」という中田さんの優しさに驚きと感謝が溢れた。

今回の取材では、もちろん「50年以上1つの仕事をしている人」「漂流郵便局という変わった施設で働く方」という、”取材対象者としての中田さん”に会いに行ったのだが、今思うと、それ以上に「ただ私が中田さんという人にもう1回会いに粟島に行きたかった」というのが本音な気がしている。

このプロジェクトがあってもなくても、私はまた中田さんに会いに行っただろうし、事あるごとに中田さんの顔を見に粟島に、漂流郵便局に行くと思う。そんな魅力が、中田さんにはある。

それがなんなのか、うまく言葉では言い表せないが、真摯に前向きに日々を紡ぎ、粟島に愛し愛された90年の人生が、この温かで何度でも会いたくなる中田さんのお人柄を作っているのだ、と思った。
再訪して、中田さんの人生の話を少し聞けたことで、より一層、私はまた中田さんに会いに来たくなった。
次粟島に行く際は、あわよくば、島の高台で海(航路)を眺めながら、「あの船に乗る人生もあったのかもしれないな〜」なんて笑う中田さんの日常に少しだけお邪魔してみたい。
(図々しいか)

書き手:野澤 雪乃

粟島に向かう船の中で

漂流郵便局紹介

漂流郵便局
〒769-1108 香川県三豊市詫間町粟島1317‐2
入館料:300円
営業日時:毎週土曜日 13:00~16:00(不定休)
公式サイト:https://www.mitoyo-kanko.com/facility/missing-post-office/

漂流郵便局への手紙の出し方
<いつかどこかのだれかに手紙を出したい方は>
以下のことにご了承いただき、郵便局まで送りください。

1)送っていただいた手紙のご返却はできません。
2)手紙の著作権は漂流郵便局に譲渡していただきます。
3)差出人様の住所は不要です。

[送り先住所]はがきやお便りで受け付けています。
〒769-1108
香川県三豊市詫間町粟島1317‐2
漂流郵便局留め

〇〇〇〇〇〇様
(↑いつかのどこかのだれか様)

漂流郵便局に直接投函することもできます。営業時間内は窓口まで、
営業時間外は漂流郵便局入口左側の「郵便受け」にお入れください。

出典:三豊市観光交流局 漂流郵便局

取材/ライター:野澤 雪乃
編集:新野 瑞貴
撮影:中村 創
監修:後藤 花菜

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