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ちりめんからお守りへ。神仏の魂と機織屋の伝統を宿したものづくり

「ひとすじ」は、”50年以上ひとつの仕事を続けている”方々を、フィルムカメラを用いて写真におさめるプロジェクト。
個人が自由に仕事を選べるようになり、転職や職種転換も当たり前になった現代だからこそ、その人々の生きざまはよりシンプルに、そしてクリエイティブにうつります。
このnoteでは、撮影とともに行ったインタビューを記事にしてお届けします。

これまでに、6万1千種類ものお守りの絵柄を織る「松尾織物」。

ちりめんで有名な京都府京丹後市に位置する機織屋(はたおり・や)では、今日も織機(しょっき)が大きな音を立て、忙しなく動いている。自身の体よりもひとまわり大きいその機械を操るのが、この道63年の松尾 信行さん。

百年以上続く、家業である織物業を続けてきた秘訣。ヒントは、自身を新しい物好きだと語る松尾さんの、先を見据え、軌道を調整し続ける姿勢にありました。


ちりめんで知られる丹後

ー 松尾さんは、いつお仕事に就かれたんですか?
松尾さん:18歳の時からで、今は81歳になるので、ほんなら63年になりますね。父も卒業した峰山高校の紡織科っていう織物の学科に入学して、卒業後、家業に就いたんです。親が織物の仕事をしてましたんで、何の迷いもなかったですね。

ー 松尾さんは何代目なんですか?
松尾さん:祖父の代からやってますんで、私で三代目ということになりますね。息子が四代目で、家業も百年は超えました。今はお守りを織ってますけど、元々ここは着物の丹後ちりめんの産地でしたからね。父は着物を織ってました。

ー どんな着物ですか?
松尾さん:昔は、ほとんどの小学校や中学校の入学式・卒業式でお母さんが着物を着ていて。その上に黒羽織というものを着てたんです。父親のお友だちに、「模様が入ったような羽織を作ったらどうだ」と言われたをきっかけに、着物の上に着る羽織を織っていました。それがすごく流行ったもんで。いわゆる絵羽(えば)模様の羽織を2〜3年織ってましたかね。ただ、その後は、着物や帯を見せるために羽織を着ない式服が多くなって、パッとなくなりましたね。

ーファッションの流行が変わったんですね。
松尾さん:丹後で着物のファッションショーもなんかもあったんですけど、やっぱり着物自体の需要が減っていきました。

ー それからはどうされたんですか?
松尾さん:うちは親機(おやばた)で、傘下にいくつか出機(でば)という織り上げてもらう機場を抱えてたんですけど、それも全部ゼロにして。縮小せざるを得ませんでした。昭和42年頃からは畳の縁だとか、ハンドバッグと草履などいろんなものを織っていたんですけども、和装はアカンなあと。そんな中で、織ったものの一つにお守りがあったんですわ。

ちりめんからお守り作りへ

ー 小さなお仕事の一つだったんですね。
松尾さん:最初は何も知らなかったんですけどね。発注されたのでお守りについて調べてみたんですね。そしたら、神社で新しいお守りを買ったら、古いものは「お焚き上げ」いうて燃やすんだと知って。着物はおばあさんが持っていたら、孫の代まで着るもので、お守りは一年に一回変えるもの。織物の中で、お守りはなくならないなと思ったんです。それからは、発注元の親会社がお守りの機屋を探すたびに、うちが引き受けて、最終的に8台ある織機の全てをお守りに変えたんです。

ー すごい決断!
松尾さん:ただ、当時使っていたジャカード織機というのは、穴が空いている「紋紙」という紙を針で読み取って、絵柄を織ってたんですよ。織る絵柄を変えるたびにその紋紙を変えなければいけない。その作業が結構大変だったんですわ(笑)。糸がねじれたら直す作業もある。

ー ずっと気が抜けないですね。
松尾さん:なんとか楽にできないかなって、新しい織機が出たら取り入れるようにしていましたね。今のレピア織機を取り入れてからは、神社さんからも織りが綺麗だと好評だったようで。お守り自体に差が出てしまうので、最終的に他の機屋もレピア織機を取り入れていましたね。

ー 先駆者になったんですね。
松尾さん:新しい機械が好きで。そのくせスマホは持ってないんですけどね(笑)。

アップグレードする織物

ー どのくらいの神社のお守りを織ってるんですか?
松尾さん:数はわからないけれど、全国でうちの会社が一番大きい。絵柄でいうと今まで織ったもの全てをあわせて6万1千種類です。

ー そんなにあるんですか!
松尾さん:今は絵柄も全てUSBですからね。6万1千種類が一つのUSBに入ってますけれど。紋紙だった絵柄が、フロッピーになって。フロッピーだと、一つのフロッピーに一種類のデザインしか記憶されなかったんです。当時は、毎回会社まで取りに行ってたんですけどね。今では息子の携帯に送られてきたものをUSBにコピーしてもらってます。

ー そもそも、お守りをつくる工程が全く想像できなくて。どのような作業をされているんですか?
松尾さん:絵柄を選んだら、染色指図書をみながら、織機に糸を立てて、織り始めます。昔は、8台ある織機を全て稼働して、織りは自分一人、家内が糸を巻いたり手伝ってくれていましたね。今は全て一人で行っているので、4台を同時に動かしてます。絵柄にもよりますけど、100〜200個だったら10分程度で織れちゃいますからね。その間に次の絵柄の糸を準備するんです。

ー 動かしていると頭の切り替えが大変そうですね。糸を間違えたりしないんですか?
松尾さん:あります(笑)。配色間違え。もうわからんから、糸巻の上に全部、色の名前を書くんですわ。ウス紺、コイ紺、ハナ紺…みんな似たような色ですし、照明の下だとわかりづらいんですわ。

飽きのこない日々と、機械への愛着

ー 神社に置かれているご自身で作られたお守りを見に行ったりはしますか?
松尾さん:行ってみて、よく買います。ついつい他の会社のものとデザインや品質を見比べますね(笑)。

ー 働いていて嬉しかったなと感じる瞬間はありますか?
松尾さん:機械の故障が直った時ですね。

ー 機械ですか!?
松尾さん:機械が故障すると、部品を変えてみたり、スプレーをかけてみたりね。あれでもないこれでもないと、一晩寝かしてみたりしながら試してみるんです。直るとやりがいを感じますね。解決できたことが嬉しいんですわ。

ー 嫌になったり、他のことをしたいなと思うことは...?
松尾さん:ないですね。身体的に大変な作業でもありませんし。しんどいと思ったこともないですし、絵柄もたくさんあるので、飽きることもないですね。機械自体も、私がお金出して買ったんでね、やっぱり愛着もあります。私の友だちのサラリーマンがね、65歳で退職したというもんですから、「何してる?」と聞いたら、「朝起きて、新聞読んで、コーヒー飲んで、散歩して、昼ご飯食べて…」って言うんです。私はあまり趣味がないんで、仕事を辞めてもすることがないしね。特別楽しいということもないですけど、苦痛ということもありませんでね。

ー それでは、この先も機屋さんでおられ続けるんですね。
松尾さん:希望としてはあと3〜4年、85歳くらいまでは続けたいですね。元気で居続けられるうちは。今や、機屋さんを辞めた人も多いですからね。これからやろうと思っても、織機自体を日本で作ってないのでね。

ー やっぱり、織物という伝統工芸を残したいですか?
松尾さん:織物は日本のどこの県でもあると思うんです。江戸時代に絹屋 佐平次(さへいじ)が京都西陣から持って帰ってきた「ちりめん」という技術を、丹後で残してほしいとは思うんですけども。私が知っている全盛期では、丹後の1年間の生産量が1000万反だったんです。それが今は30万反ですからね。需要がなかったら、どうしようもないんでね。

一回ガチャンと織ってなんぼ

ー ちりめん作りから、お着物、お守り作りと流行の影響を受けながら続けられてきたわけですが、始めた当初は、このお年まで続けていると思ってましたか?
松尾さん:思ってましたね。当時からうちの機屋のランクも中の上で、機をやれば生活も不便じゃなかったさかいに、一生飯食えるなと思ってましたし

ー 土曜日の今日も織られていましたが、お休みは土日ですか?
松尾さん:日曜日だけおやすみしてますね。サラリーマンでしたら月給でしょうが、私らのところは一回ガチャンと織ってなんぼですから

ー 休みの日はのんびり?
松尾さん:田んぼが4反あるのでね、昔は自分で稲を植えたりしてましたけれど、最近はプロに頼んでますしね。あ、株はします。

ー 株ですか(笑)。
松尾さん:今は30社くらいの株を持ってますね。30年くらい前から持ってるすき家​ゼンショーホールディングスが一番値上がりしてますね(笑)。すき家が京丹後市にできたんでね、優待を使えると思ったんです。金儲けというよりは、世界や日本の情勢をみたり、頭のトレーニングですかね。そういうつもりでやってます。配当を見たりや優待の利回りで何をやってるかって見るのも楽しいですし。

ー 勝手に、職人気質の方だと想像していたんですが、経営者のような印象も抱いてきました(笑)。
松尾さん:日曜日は、家の近くを車で走るんです。車のナンバーを見て、足すとなんぼになるなって。ついつい計算しちゃうんです。おもしろいし、数字が好きなんですわ。そうやってよく数字遊びをしてるから、家内にも「また、すぐに計算して」ってよく言われます。

編集後記

今回お話を聞いた松尾さんは、カメラマンの中村と、私、新野の共通の友人のおじいちゃんでもある。そのおじいちゃんが、現役でお守りを織っていると聞いて、京都市からさらに北、潮の香りがする京丹後市に初めて訪れた。

松尾さんの第一印象は、物腰の柔らかで淡々とした、研究者のような職人さん。8台の織機が並ぶ作業場を見せてもらいながら、お祖父様の時代からの家業の歴史や織機の使用歴、それぞれの針の数など正確な数値を、よどみなく話されていることがとても印象的だった。

実際に織っているところを見せてもらいながら作業場を眺めていると、糸巻が並ぶ棚にある、手書きの色の名前をはじめ、注意書きなども柱に貼ってある。工夫され尽くされているなと感じる作業場で、フィルムカメラの準備のため撮影待ちしている間も、ノステピン(糸巻き棒)や、昔の工具を持ってきては、積極的に丁寧に説明してくださった。取材でも、織機に愛着があると語っていたが、家業である機屋というお仕事に誇りを持たれていることが伝わってきた。

伝統的な織物だからと言って、「いいものをつくればおしまい」ではなく、いち早く新しい織機を取り入れたり、冷静に時代の移り変わりや商品の特徴を捉えて、次の一手を考えたり。きっとご本人は意識もしていないだろうけど、その行動力と分析力が百年以上の家業を続けている秘訣なんじゃないかと思った。

実は、もう3年前に旅行先で授かったお守りが家にある。もしかしたら松尾さんが織ったのかも、なんて思いながら、お世話になったお守りは神社に返納して、ちゃんとお守りを新調したい。

書き手:新野 瑞貴

松尾織物株式会社
〒629-2504 京都府京丹後市網野町掛津43番地

撮影:中村 創
編集/取材/ライター:新野 瑞貴
監修:後藤 花菜

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