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【『日出処の天子』毎日新聞捏造報道事件】

日出処の天子ひいづるところのてんし』は、1980~84年に白泉社『LaLa』に連載された、山岸涼子による歴史ものの少女漫画。聖徳太子とその腹心である蘇我蝦夷の関係が中心に描かれ、歴史漫画の傑作として現在まで有名である。
 特徴的なのは『聖徳太子伝暦』などに遺る超常現象的な逸話を排除せずに太子を一種の超能力者として描いたこと、なおかつ蘇我蝦夷に対して密かな恋愛感情を抱く同性愛者とした大胆な設定である。

 連載も終盤を迎えた1984年1月24日付『毎日新聞』夕刊に「法隆寺 カンカン『えっ、これが聖徳太子?!』」と題する記事が掲載された。以下、記事全文。

法隆寺 カンカン
「えっ、これが聖徳太子!?」

少女向け漫画、釈明求める「信仰の対象を冒とく」

 聖徳太子をモデルにした少女向けコミック漫画で、太子が女性ふうのなまめかしい姿で登場する(単行本)『日出処(ひいづるところ)の天子』が中、高生の人気を呼んでいるが、その内容を知った奈良県生駒郡斑鳩町聖徳宗総本山法隆寺(大野可円管長)は、「わが国の仏教興隆に尽力し、寺の信仰の対象である太子を冒とくするものだ」とカンカン。近く同宗派の不況などについて話し合う教学会を開き、出版元の東京千代田区西神田三の六の四(梅村義直社長)への抗議を含め対策を話し合う。
 『日出処の天子』は同社発行のコミック雑誌『ララ』に五十五年四月号から連載、現在も継続中で、五十五年八月には単行本化され、これまでに八巻刊行された。十数万部が売れたロングセラー。
 作者の山岸さんは、ナゾめいた幻想的なタッチの登場人物の描写が持ち味で昨年講談社漫画賞を受賞。中、高校の女生徒を中心に、若いOLまで圧倒的な支持を得ている人気女性漫画家。
 漫画は、古代史を舞台に。聖徳太子が、蘇我・物部両氏の権力闘争の中で、呪力と才気で、次第に人望を集めていくというストーリーだが、若い女性の顔立ちの太子と、蘇我蝦夷(えみし)とのラブシーンなども描かれている。
 法隆寺は、この雑誌、単行本を取り寄せ、内容を検討した結果、史実とフィクションが混同し、興味本位過ぎる――など、寺の関係者から批判が続出、「放置できない」と意見が一致した。
 高田良信・同寺執事長は「聖徳太子は、私たちの信仰の対象であるばかりか、十七条憲法を制定、仏教興隆に尽くした歴史的にも偉大な人物。中学生ら多感な少女向けの雑誌に、同性愛の太子を連載、誤った太子像を植え付けられては困る」と怒り「出版社に釈明を求めたい」と話している。

史実だけでは漫画はできない
 これに対し作者の山岸涼子さんは出版社を通じ「梅原猛さんの法隆寺に関する著作などを参考に、私のイマジネーションで描きました。だれもが知っている聖徳太子の意外性を狙ったもの。史実だけでは漫画はできません」と、言っている。
 小森正義・白泉社『ララ』編集長の話 史実をベースにはしているが、漫画だからフィクションは入る。同性愛シーンなど、少女向けコミックでは常識だし聖徳太子への冒とくなどとは考えていない。

 このときのことを山岸涼子氏はのちの『LaLa』同年4月号で『M新聞始末記』と題する1ページ漫画で述懐しているが、この記事については友人の電話で初めて知って驚き、裁判になった場合は費用捻出のため自宅を売却する覚悟さえしたということである。

 ここで疑問を抱いた読者は正しい。
「山岸涼子自身、友人の電話があるまで記事の存在を知らなかったなら、後半の反論は毎日新聞から山岸氏が取材を受けたものではないのか? 一体、いつどこで誰にした発言なのか?」

 答えは「そんなものはない。事実無根である」

 山岸氏は翌25日に毎日新聞から謝罪電話を受けたというが、事実無根なのは山岸涼子の反論だけではなく、LaLa編集部もである。
 そして、なんと法隆寺側もこの記事の内容は預かり知らない話であり、漫画の内容は把握しておらず、抗議の意思もなかったというのである。このことは同月中に法隆寺側が正式コメントを出している。
 つまりこの記事全体がまるごと創作であったというのだ。
 幾らなんでもそんなことってある!?と思うのが普通の感想であるが、それがあったのである。

本件についての謝罪文(『毎日新聞』1984年2月4日)

 こんだけかい!と思うかもしれないが、この謝罪文でさえ、当時の新聞がする謝罪記事としては異例に丁寧なものであるという。
 これは弁護士を交えて作者側が要求し、法隆寺からも働きかけがあった結果だという。

 宗教に関係のある歴史上の人物などを扱った創作作品について、その作品を攻撃したい無関係の者が勝手に「信仰への冒涜」と噴き上がるも、実際の宗教関係者は彼らの思惑に反し寛容な姿勢を見せるという現象がしばしばある。
 漫画『増田こうすけ劇場 ギャグマンガ日和』には、歴史人物をパロディにした回が多数あり、聖徳太子を含め大半を極めて情けないキャラクターで描いている。しかしこの漫画とすら2019年、法隆寺と同じく太子ゆかりの大寺院である四天王寺が、コラボイベントを行っている。

増田こうすけ『増田こうすけ劇場 ギャグマンガ日和』(集英社)

 2021年にフェミニストが攻撃した地域活性化キャンペーン【温泉むすめ】にも、「隠れキリシタン」をモチーフとしたキャラクターに、関係者自身はまったく問題視していないにもかかわらず抗議文を送り付ける者が現れた。
 自身の売名や嫌悪感の正当化のため、他者の信仰心を創作作品への攻撃に利用しようとする者は後を絶たない。真に宗教を冒瀆しているのは、むしろこうした行為の方であると言えるだろう。

参考リンク・資料:

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