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 童話・絵本。「黒人差別問題によるクレームで絶版となった」ことで有名。

 1898年、スコットランド人であるヘレン・バーナーマンが軍医の妻としてインドに滞在中、自身の娘たちのために個人的に制作したもので、原題は“The Story of Little Black Sambo”。のちに世界各国で出版された。
 日本に紹介されたのは実に大正時代に遡り、1953年に発足した「岩波こどもの本」シリーズの第1号が本作であったという。その後も小学館や学習研究社(現Gakken)、瑞雲社など多数の出版社から発行されており、多くの子どもたちに愛された作品であった。

様々なバージョンの「ちびくろサンボ」

 両親から新品のシャツとズボン、靴、傘をひとそろいプレゼントされた少年「ちびくろサンボ」は、お出かけ中に4匹の虎に食べられそうになる。サンボは食べられない代わりにやむなくそれらを1つずつ虎に渡してしまう。悲しんでいるうちに先ほどの虎にふたたび出くわすと、虎たちは「誰が一番格好良く見えるか」で喧嘩をしているところだった。彼らは互いを追い回して木の周りをぐるぐる駆けるうちに、溶けてバターになってしまう。サンボのお父さんはそのバターを持ち帰り、お母さんにパンケーキを作ってもらって、親子3人でお腹いっぱい食べたのだった

 ……という話である。

 日本で問題が表面化したのは、日米貿易摩擦の果てにいわゆる「ジャパン・バッシング」の波が頂点となっていた1988年であった。
 同年7月22日、米『ワシントン・ポスト』紙が「昔の黒人のイメージが日本でよみがえる」と題する記事を掲載した。アメリカで当時すでに差別表現として槍玉に挙げられていた黒人のマネキンなどの意匠が、日本では健在であることを紹介・非難したものである。折からの反日感情の高まりに乗じてタカラの「だっこちゃん人形」や、「カルピス」のマーク(当時は黒人がストローでドリンクを飲んでいるマークだった)などが使用中止となるなど、企業が黒人キャラクターに神経質になる動きが起こってきていた。
 ただし、この記事は『ちびくろサンボ』そのものに触れていたわけではない。
 また、たまたま上記記事の翌日である23日、たまたま当時の自民党政調会長渡辺美智雄が「黒人差別的」な発言をした。

「日本人は破産というと夜逃げとか一家心中とか重大に考えるが、クレジットカードが盛んな向こうの連中は黒人だとか一杯いて、うちはもう破産だ明日から何も払わなくていい、それだけなんだ。ケロケロケロ、アッケラカーのカーだよ」

 これはデザインに関するものではなかったが、この発言がアメリカでも報道されるや激しい反応を引き起こし、「日本の黒人差別」に対する風当たりは一層強くなった。
 この渡辺発言についてアメリカ議会黒人議員連盟会長マービン・ディマリーが竹下首相に抗議の書簡を送り、その中に「サンボ」がアメリカではアフリカ系アメリカ人に対する差別用語とされることも書いた。

 そもそも『ちびくろサンボ』は「イギリス人が書いたインドの話」であり、作品の誕生経緯や虎が出て来るところからも、アフリカともアメリカとも関係の無い作品である(ただし日本版の挿絵は、どことなくアフリカ人を思わせる風体にサンボを描いているものも少なくない)。
 また作品中の「サンボ」の語源については諸説あるが、「現地では一般的な名前だから」というのが有力な説である。

 とにかくにわかに浮上したサンボ問題の勢いに「アテられた」1人の奇人が大阪府堺市にいた。
 有田利二というこの人物は、堺市教育委員会で同和教育に携わっていたが、自分の家族3名だけで「黒人差別をなくす会」なるものを結成し、11出版社に対して『ちびくろサンボ』についてクレームの手紙を送りつけた。
 その後、同会は漫画作品に狙いをつけ、手塚治虫『ジャングル大帝』をはじめとする様々な漫画作品に「ステレオタイプな外見描写の黒人が出る」というだけで、それが黒人への蔑視か否かをまるで考慮せずクレームを入れることを常習とするようになった
 また、同会の「成功」に気を良くした同じ堺市の「堺市女性団体連絡協議会」なるものが今度は【童話・絵本研究会】を設置し、【白雪姫】など昔話の「差別描写」点検に乗り出すという波及まであった。

 有田が同和教育関係者であることを考えると、このような愚行は、全国水平社が掲げた差別糾弾の本来の精神にもとるものであると言わざるを得ない。

吾々は如何なる代名詞を使用されても、その動機や、表現の仕方の上に於いて、侮辱の意志が―身分制的―含まれてゐる時は何等糺弾するのに躊躇しない。
 然れども、その反対に「エタ」「新平民」「特殊部落民」等の言動を敢へてしてもそこに侮辱の意志の含まれていない時は絶対に糺弾しべきものではないしまた糺弾しない。この点徹底せしめるべく努力せねばならぬ。

全国水平社第10回大会「言論・文章による『字句』の使用に関する件」1931年12月10日

 騒動を受けて各出版社は絶版を決定したが、1989年8月に東京の「子ども文庫の会」が『ブラック・サンボくん』の題で新たに役所を出版したり、径書房から絶版問題を批判的・多角的に検証した『『ちびくろサンボ』絶版を考える』を刊行するなどがあった。

 一方、バッシング側に肩入れした過剰反応を示したのは冬季オリンピックを控えていた長野市であった。1990年10月、同市は図書館や学校、果ては一般家庭に対してまで『ちびくろサンボ』の絵本や「類似した人形」の廃棄を求める通知書を出したのである。
 しかも依頼文の内容は、黒人差別とは直接関係のない部落解放同盟長野県連が申し入れた資料そのままで、市が独自の検討を加えた形跡さえなかった。
 90年8月に『「ちびくろサンボ」絶版を考える』を出した径書房の代表・原田氏は、同年11月13日付『朝日新聞』の「論壇」上で次のように厳しく批判した。

市が刊行したのでもない一般の書物を廃棄(焼却)―まさに焚書―処分せよと言うような権限を、自治体のいかなる機関、責任が、一体どこで、何を根拠に手にしたのだろうか。それどころか、教育機関に対して一般市民の蔵書にまで口を出させ『廃棄処分』を『指導』するよう指令するに至っては、戦時中にさえなかったことではないか

「論壇」1990年11月13日『朝日新聞』

 市側は12月2日、学校・家庭への依頼を撤回し、「指導に行き過ぎがあった」が「『ちびくろサンボ』は差別性をもったものと捉えていることに変わりない」として、問題を「市民が知らない中で廃棄という方法を取ったこと」「個人の財産に立ち入ったこと」に収めようと強弁したという。

 1997年以降、様々な改題を伴っての復刊が見られる。
 北大路書房『チビクロさんぽ』、ルース・インターアクションズ『おしゃれなサムとバターになったトラ』、評論社『トラのバターのパンケーキ』、径書房『ちびくろさんぼのおはなし』、瑞雲舎『ちびくろ・さんぼ』などである。

 なお「小樽温泉入浴拒否事件」で知られる活動家の有道出人(本名をデヴィッド・アルドウィンクルという白人)は2005年、瑞雲舎の復刊に抗議して自身のサイトでパロディーと称し、「ちびきいろじゃっぷ」なるイラストを公開した。

「もしあなたの人種が同様に描写されたら…」とあるが、「もし」も何もサンボは最初からインド人。我々「じゃっぷ」と同じモンゴロイドなのであって、的外れな問題提起と言えよう。

 余談ながら、ながいけん作のギャグ漫画『神聖モテモテ王国』では、本作にまつわる騒動を皮肉り、主人公「ファーザー」に「諸々の事情により名前を明かせない『参謀』」なるコスプレをさせている。

ながいけん『神聖モテモテ王国』講談社

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