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 原題は“SONG OF THE SOUTH”。1946年のディズニー映画で、のちの『ロジャー・ラビット』のようにアニメと実写を合成したスタイル。
 アメリカの民話研究者ジョーエル・チャンドラー・ハリス(1848~1908)が黒人奴隷たちの口承文学に取材した『リーマスおじさん』物語シリーズを原作とするもので、東京ディズニーランドなどにある【スプラッシュ・マウンテン】は本作を元にしたアトラクションである。
 人気・クオリティとも高く、挿入歌『Zip-a-Dee-Doo-Dah』が1947年のアカデミー歌曲賞、リーマスおじさん役のジェームズ・バスケットが特別賞(名誉賞)を受賞。1956年、72年、84年、86年と何度もリバイバル上映されている。
 しかし後述の黒人差別問題によりディズニーは本作を封印扱いしており、米本国ではソフト化・配信ともなされていない。

日本版VHSパッケージ

本作のあらすじ(ネタバレ注意)
 題名のとおり舞台はアメリカ南部のジョージア州。
 父親と離れて田舎の農場で母・祖母と暮らすことになったジョニー少年は、昔話の素晴らしい語り手である黒人の「リーマスおじさん」に出会う。父のいない寂しさや地元の意地悪な兄弟とのトラブルにジョニーが落ち込むたび、リーマスおじさんはを主人公とする昔話を聞かせてくれるのだった。
 昔話は、知恵の回るウサギが、彼をやっつけようとするキツネとクマのコンビに様々な悪知恵でもって一泡吹かせるという内容になっている。しかしジョニーの母親は、友達の少女ジニーから貰った仔犬をジョニーに返すよう命じたにもかかわらず、実際はリーマスおじさんに預けていたことなどを理由に、次第におじさんを疎んじるようになる。
 そしてジョニーの誕生日、せっかく誘ったジニーが意地悪な兄たちに服を汚され、出席できなくなってしまう。落ち込む2人におじさんはまた昔話を聞かせて元気づけるのだが、結果的にパーティをすっぽかすことになってしまう。遂に母親はおじさんに、二度とジョニーに近づくなと申し渡した。土地を離れようとした彼をジョニーは引き留めに行く途中で暴れ牛に襲われ、大怪我をしてしまう。
 事故を知って駆け付けた父の呼び声にも応えられないジョニーだが、戻ってきたリーマスおじさんのお話の声に励まされ、ついに意識を取り戻す。父親も一緒にここで暮らすとジョニーに告げ、一家は大団円を迎える。
 こうして問題が全て解決し、おじさんと子供たちは、昔話に出て来る動物たちのイメージとともに楽しく歌いながら森を歩くのだった。

 主にジョニー少年らのドラマパートが実写で、リーマスおじさんが話してくれる昔話の部分がアニメで表現されるが、両方のキャラクターが共演する部分もある。ディズニーランドのアトラクション「スプラッシュ・、マウンテン」の題材になっているのはアニメ部分である。

 本作は「黒人差別がらみ」での封印作品として知られているが、黒人を侮辱したり虐待する描写はない。悪役として登場するのはジョニーを目の敵にする悪ガキ兄弟だが、彼らは白人である。
 また、人間キャラクターは全て実写であるため、かつての手塚治虫作品などで問題になった「黒人の特徴を強調された表現(分厚い唇など)」の絵が出てくるわけでもない。
 もちろん、黒人役を演じるのはまぎれもない黒人の役者であり、ペイントによる「ブラックフェイス」をした白人俳優などではない。

 では何がいけないのかというと【差別の透明化】――すなわち「黒人と白人の仲が良すぎる」のが気に入らないというものである。

 全米黒人地位向上協会(NAACP)代表であったウォルター・ホワイトは「奴隷制の美化されたイメージを存続させる」「美しい民話を使って奴隷と主人の関係に牧歌的な印象を与えており、事実を歪めている」と声明を発した。ちなみに当時ホワイトは本作を視聴しておらず、見たメンバーからの伝聞で話している。
「どうせ生々しく差別や虐待を描いても叩くんだろう」と思われるかもしれないが、その通りである。生々しく差別を描いたバッシングを受けた『マンディンゴ』などの作品も普通に実在するので、要するに「とにかく俺達が目を付けたらダメなんだ」ということである。
 ちなみにネット上で一部「黒人と白人が対等であるかのような描写」が批判対象となっていると書かれているが、実際にはそのような描写ではない。奴隷制度こそ消滅しているものの、黒人たちはメイドや使用人としてジョニーを「ぼっちゃま」、両親を「サリー様」「ジョン様」、祖母を「大奥様」などと呼びならわしており、ジョニーの家の実質的な権力者であるサリーには逆らうことはない。上下関係そのものは厳然とあることは描かれている。
 そもそも本作の人間関係はほとんどジョニーを中心に描かれている。当時の全ての黒人が「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」式の憎悪を、奴隷制になんの責任もない幼い子供にまで向けていなければならないとするのはそれこそ人種偏見であろう。
 さらには、黒人が楽しそうに歌うのがステレオタイプだという批判さえもある。周知のとおり、ディズニーアニメにおいてはあらゆるものが楽しく歌うのだが。

 事実、本作の封印は黒人によっても疑問視されており、復活させる署名運動の発起人はウーピー・ゴールドバーグその人(もちろん黒人)である。
 ディズニーの黒人アニメーターで『トイ・ストーリー』『ノートルダムの鐘』などに携わったフロイド・ノーマン氏、また「アンクル・リーマス博物館」で働く黒人女性も復活支持を表明している。
 だが2020年にウォルト・ディズニー・カンパニーの定時株主総会で会長ボブ・アイガーは「今の時代状況に適切でない」と配信を否定している。そればかりか、テーマパークの「スプラッシュ・マウンテン」のアトラクションまでも改装で無くしてしうと声明まで出しているのである。


 なぜディズニー自体が、こうまで本作を嫌うのであろうか。それはここまで紹介した、巷間言われていること以外に理由があるかもしれない。
 本作にはジョニーの母親サリーが語る、次のような台詞がある。

サリー「私はジョニーを素直で正直な子に育てたいと思っています。でもあなたの『お話』はそれを難しくするわ。当分あの子にはお話はしないで頂いた方がいいのかも」

リーマス「いや、お話には害はありませんよ……」

サリー「子供は混乱するだけです。あなたが良いと思っても、あの子はまだ幼いのよ」

リーマス「サリー様……」

サリー「あの子にはもう二度とお話はしないで」
(略)
サリー「私がいけなかったの。あなたがお話をやめられないのは分かっていたのに……こんなことは言いたくないけど、今後一切、もうジョニーに近づかないで頂戴。お分かりね? あの子に絶対近づかないで」

 リーマスおじさんは嘆息し「悪いものならそんなに、語り継がれるもんか……」と独白する。
 そしてしばらく後、リーマスおじさんが追い出されたと知ったジョニーは飛び出して行って牛に跳ねられる事故に遭う。そして意識不明のままおじさんの「お話」に再び救われて大団円に至るのである。

 このように、本作のストーリーはフィクションの「悪影響」を問題視する母親が無理解から子供の不幸を招き、再びおじさんの物語の魅力によって救われるという筋立てになっている。
 この「無理解な母親」の姿は、まさに本作を「歴史を子供に誤解させる」「差別を助長する」とバッシングした人々と重なるものである。また、ディズニーが頻繁に媚びているポリティカル・コレクトネスもまた「子どもに偏見を植え付ける」この母親式の悪影響論を前提としたものである。
 本作を復活させる、あるいは肯定すると、そうした人々に改めて喧嘩を売り返すことになりかねないのである。

 なおリーマスおじさんは、Netflixオリジナルアニメ『パラダイス警察』に「ディズニーによって金庫に監禁されていた昔の差別的キャラ」の一人として客演している。

アニメ『パラダイス警察』


参考リンク・資料:

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