「わたしの見ている世界が全て」鑑賞後メモ

 アヴァンタイトルにて描かれるのは、今作の主人公である熊野遥風(森田想)がいつか見た/見るであろう光景だ。誰もいない、売りに出されることが決まったうどん屋と売店を兼ねた実家の中で彼女が座りながら途方に暮れていると外から誰かが呼びかけてきて、それに反応するところでタイトル「わたしの見ている世界が全て」が映し出される。ひとつの世界が終わっていく予感と共に本編は始まる。

 「使えないやつは容赦無く切り捨てていく」というスタンスでベンチャー業界に努める彼女は関係者にも一目置かれるほどに腕の立つ非常に勤勉な人間であるがそれゆえに他者に対して威圧的な側面もあり、物語の序盤の方で彼女は上司に部下からパワハラの告発があったことを伝えられる。その後は会社を離れ独立し新たに起業していくための資金集めなどに奔走し始めるが、そのタイミングと同じくして実家の家業を受け持っていた母が亡くなってしまう。帰省して兄弟全員が集まったタイミングで遥風が提案したのは実家の売却だった。離婚をして実家に出戻っている姉の実和子(中村映理子)、母とともに家業を手伝っていた兄の啓介(熊野善啓)、そして「就職浪人中」の拓示(中崎敏)といった、遥風曰く「社会性のない」彼らの独立を促すためと彼女は話すが、実際には企業のための資金に充てるつもりでいる。


 もう少し遥風という人物の攻撃的な側面に重心を置いて言及していく。彼女のそういった側面を象徴的に表しているのは、他人が生活している領域にいきなり踏み込んでいくというアクションだ。母を亡くして悲しみに暮れている兄弟たちが病室で座椅子に座り込んでいるところに遅れて入ってくる場面や、拓示の部屋にいきなり布団を持ち込んでくる場面などがとても印象的だ。その動作は物理的な領域のみならず精神的なところにまで波及していき、実家を売るか売らないかというメインの葛藤を主軸にしながら兄弟それぞれが抱えるプライベートな悩みに対しても大きく揺さぶりをかけていくことになる。特に啓介が抱える家業と農業を両立出来るかどうかという逡巡はその揺さぶりを描く動作として最もわかりやすいものになっているように思える。あちらとこちらを行き来して両方を維持しようと努めるが、恋人の明日香(堀春菜)にはその無謀さを早々に見透かされる(農作業をしながら啓介に「もうヘロヘロじゃん」とハッキリ言ってしまう場面には思わずクスッとなってしまうが)。

 それに対して姉の実和子は一見落ち着いて家業を回しているようでいて、実はかつてひとりの娘の母として生活していた時代に後ろ髪を引っ張られ続けている。なぜ夫と別れることになってしまったのかについて具体的には言及されないものの、なんとなく逃げてきてしまったというようなニュアンスでその過去や娘の真実(新谷ゆづみ)との距離感が描かれているように思えた。これだけだと実和子に関してはシリアスみが強くなってしまいそうになるがそこにリサイクルショップを営む宮本司(松浦裕也)との関係も重ねて描かれる。そこにおいては基本的にコミカルなシークエンスが続くし、実際笑っている観客が最も多い瞬間でもあった。

 そんなふたりの大きな揺れ動きや遥風の猪突猛進ぶりを見ていたからか故にどこにも踏み出せない人物として描かれるのが拓示だ。外に出ればこの世界や他者に大きく揺さぶられることが分かりきっているからそこへわざわざ踏み出そうとは思えない、しかし他に何をやればいいのかは分からなかったからこそ彼は「就職浪人」という道を選んだのであろうし、遥風が「せどり」という稼ぎ方を(おそらく)冗談半分で示した際にも素直にそれに従ったのだろうというふうに思えた。あとは良くも悪くもお金に対しての執着がないということも関係しているだろう。拓示が修理したプレステ4のコントローラーを遥風が勝手に手に取り壊してしまったときにお金を提示されても納得した表情を見せなかったのは、機械を修理するという行為そのものに価値や喜びを見出していたからであって、その気持ちは終盤のとあるやりとりにおいて最も顕著に表出する。


 遥風が各登場人物たちの物理的ないし精神的な領域に踏み込んでいくことをある種攻撃的なものとしてここまで書いてきたが、その揺さぶりによって兄弟は今まで踏み込めなかった決断に至るわけでもあり、決して批判的なものとしてだけ描かれることはない。けれども遥風が最も信頼している同僚の盛岡憲太郎(三村和敬)が辿る顛末を見る限りやはりどちらかというと厳しさの成分が多く含まれているように思えた。遥風が憲太郎の自宅前まで出向きインターフォンを鳴らしても反応はなく、その中へ入れてもらえないショットは象徴的だ。それが決定的な出来事として描かれることで、今度は遥風の内面が大きく揺さぶられ始める。

 これらの展開を通してやがて浮き彫りになるのは、これが家についての物語であり、人間とは一体どこに住んでいる/住みたいと思っているのかということに対しての問いかけであるということだ。遥風と憲太郎が新しいオフィスの内見に出向いた時に彼女は「この部屋もすぐにいっぱいになるよ」と口にするが、そこを本当に満たすのはモノではなくひとだったのだ。冒頭で映された空っぽの売店のカウンターで遥風はそのことを強く感じていたのではないだろうか。他者の領域に歩み寄る/踏み込むことの難しさ、危うさをこの瞬間に彼女は噛み締める。


 基本的にはやわらかでユーモアに富んだトーンで進行していくこの作品の容赦ないポイントとして、遥風が一度切り捨ててしまった人間はその後二度と登場してこないという点がある。それは始めの方に登場するパソコンのモニター越しの部下とのやり取りやその後の展開が象徴的に示唆している。そしてこの場面はやはり終わり際のシークエンスと対になるように配置されている。「わたしが見ている世界」の言語しか知らない遥風は、その外部に存在する他者へ語りかける言葉をまだ知らない。それでも突き抜けよう、いまここで突き抜けないといけないとその見えない境界に向かって手を伸ばし始めた瞬間にこの物語は幕切れを迎える。これほど清々しいエンディングはなかなかないのではないだろうか。静かに胸を貫く躍動感に溢れている。

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