マガジン

  • サイバーパン粉の真髄

    これがサイバーパン粉の真髄。

  • サイバーパン粉の道草

    無邪気なサイバーパン粉。

  • 私の日は遠い

最近の記事

「メイ・ディセンバー ゆれる真実」鑑賞後メモ

 本編が始まって間もないタイミング、本作の中心人物であるグレイシー(ジュリアン・ムーア)が自宅のキッチンにて冷蔵庫を開けた瞬間にスッと不穏なSEが差し込まれたと思いきや彼女が「ホットドッグが無いわ」というセリフを口にする。この演出の物語上における唐突さ、意味のわからなさに最初は面食らって思わず笑ってしまった。けれど、最後まで鑑賞した後で再びこの瞬間を振り返ると、この作品の軸になっているテーマがここで端的に示されていることに気づかされる。要は、何かが欠けていること、理解が及ばな

    • 「フェラーリ」鑑賞後メモ

       40歳のアダム・ドライバーがわざわざ老けメイクを施されてまで、1957年当時に60代後半であったエンツォ・フェラーリを演じているのは何故なのだろう、というところが最初に気になった。実際の理由はわからないのだけれど、そういったビジュアル的に違和感を醸すような演出によって、エンツォの心が人生における若き日のある時点でピークを迎えたと同時に、そこで時間が止まったままでいるような状態がより際立つような効果を生み出しているように思えた。アヴァンタイトルにおいて白黒の映像でレーサーであ

      • 「ソルトバーン」鑑賞後メモ

         遅ればせながら鑑賞。ドスっと胸に突き刺さる一撃。今作の時代設定は2006年となっているため、主人公のオリヴァー(バリー・コーガン)らはミレニアル世代の若者ということになるが、そんな彼らのほとんどが破滅していく様子を観るのは、ギリギリ同じ世代に組み込まれる年齢である自分としてはショッキングなところもあった。フィリックス(ジェイコブ・エローディ)の屋敷における登場人物らのキャラや関係性の構図がジェネレーションの壁を超えて相互理解を深めることの難しさを最初から仄めかし続けており、

        • 「蛇の道」鑑賞後メモ

           洗練されたサスペンス・スリラー映画でありながら、程よい塩梅でユーモアも挟まれる手際の良さ。質のいい刃物がほんの少しの力だけで体内に侵入してくるかのように、作品のトーンは決して重くなりすぎないのにも関わらず鑑賞後にはドープな余韻が忘れがたく残る。外→監禁用の建物→病院→外→再び監禁用の建物、といったような流れでミニマルな場面の展開がなされていく非常にシンプルな構成でありながら、ひとりずつ増えていく登場人物それぞれの思考のすれ違い方は絶妙で、「真実」と「虚実」のレイヤーが積み重

        「メイ・ディセンバー ゆれる真実」鑑賞後メモ

        マガジン

        • サイバーパン粉の真髄
          123本
        • サイバーパン粉の道草
          14本
        • 私の日は遠い
          20本

        記事

          「チャレンジャーズ」鑑賞後メモ

           「興奮」は英語で”excitement”なので、この「チャレンジャーズ」という作品に関しては”This is about the excitement”と言えるだろう。冒頭、メインの登場人物たちであるアート(マイク・フェイスト)とパトリック(ジョシュ・オコナー)らによるテニスの試合の展開に合わせてトレント・レズナーとアッティカス・ロスによる劇伴”challengers”が流れ出すと、否応なしに興奮させられ、今作の通奏低音となるトーンを瞬時に理解させられるようでもあった。興奮

          「チャレンジャーズ」鑑賞後メモ

          「マッドマックス:フュリオサ」鑑賞後メモ

           この作品を観終わって新宿の街に出てみると、身体の平衡感覚が若干狂ってるように感じられたというか、いつもと違う世界に見えた。物体が動くスピード感とかが完全に作品のレベルに持ってかれたせいで道路上を走行する自動車とかを見てもなんだか気の抜けた感じがするような、妙な気持ちになった。ラッパーのjinmenusagiも言っていたように東京の道は狭いし公共交通機関もあるのでそこまで自動車にこだわる必要性もないのだけれど、道端に止まっている車を見て「これがあればしばらくは移動出来そうだな

          「マッドマックス:フュリオサ」鑑賞後メモ

          「関心領域」鑑賞後メモ

           そこには、拍子抜けするほどに「普通の生活」があるだけだった。明らかに不穏な事態が進行しているであろうことが確かな音の響きはあるのだけれど、基本的に今作の軸に据えられているのは労働と生活というサイクルによって駆動するひとつの家庭の風景だ。  作品冒頭の数分間は真っ暗な画面が映し出され続け、ミカ・レヴィによる劇伴が流れ続ける。穏やかな時間の経過とそこにするりと忍び込む仄かな不穏さのイメージとが溶け合う瞬間を音像化しているような印象を伴うこのサウンドに半ば強制的に意識を集中させ

          「関心領域」鑑賞後メモ

          「バティモン5 望まれざる者」鑑賞後メモ

           かつて貧しい市民たちがその手で封建的な体制を打ち崩した革命の歴史を持つフランスの現状にはどのような側面があるのか、この作品によって非常に繊細に描出されている。パリ郊外の一画における行政と市民の対立の構図は、まず端的に旧世紀の封建的社会に逆戻りしているかのような印象を強く我々に抱かせるが、武装しているのは常に行政側の特殊部隊の人間たちだけであり、バティモン5と呼ばれる主に移民系の貧しい人々が多く暮らす地域の人々は今まで通りの暮らしを求めようとするだけでも手錠をかけられ、物理的

          「バティモン5 望まれざる者」鑑賞後メモ

          「悪は存在しない」鑑賞後メモ

           地面の上を引きずられている死体の目線のような、森の中から曇り空を見上げ続ける長回しのショットが続く冒頭の数分間、濃密なカタストロフの予感がすでに充満していた。間延びしているようでいて、時間は経過し続ける、それを証明するように石橋英子によるドローン的なアプローチの劇伴が鳴り響き続ける。序盤の、芸能事務所の担当者らによるグランピング場の開発計画に関する説明会のシークエンスに至るまでの10数分間はセリフも少なく長回しのカットも多いので一見派手な部分はないものの、チェンソーで丸太を

          「悪は存在しない」鑑賞後メモ

          「異人たち」鑑賞後メモ

           人肌の温もりをたしかに感じた。実際に触れたとか、そういう物理的な意味合いではないのだけれど、現実と非現実の混じり合う空間においてそれを実感する2時間だった。作品冒頭、朝日が昇り始める瞬間を一方的に見つめている感覚に陥りかけた瞬間にふっとそこにオーバーラップし始めるアダム(アンドリュー・スコット)のシルエット。静かに日常にフェードインし始める、自分を見つめ返す視線との交わり。実際、ここにこの作品の全てがある。2人以上の人間同士が顔を突き合わせて対話をすると、そこには一定の温度

          「異人たち」鑑賞後メモ

          「オッペンハイマー」鑑賞後メモ

           映画という形態にどれだけ多くの情報量を搭載できるのか、という限界にクリストファー・ノーランは挑んでみたのだろうかと思ってしまうほど、とにかく次々にあらゆるものが視覚と聴覚、そして全身を刺激し続けてくるような印象を受けた。アクション映画ではないが、過去のどの作品よりもハイテンポで物語が進行し、尚且つ各登場人物、特に主人公であるオッペンハイマー(キリアン・マーフィー)の台詞の量も膨大であり、さらにそれに加えて劇伴や細やかなサウンドエフェクトがひっきりなしに鳴っているので、見てい

          「オッペンハイマー」鑑賞後メモ

          「カード・カウンター」鑑賞後メモ

           「同じことの繰り返しだ。どこかへ向かっている気が全くしない」と話すカーク(タイ・シェリダン)に対して、「ああ。ひたすら回ってるんだ。納得いくまでな」と返す主人公のウィリアム・テル(オスカー・アイザック)らふたりの劇中におけるこのやり取りに今作が語ろうとしていることが端的にまとめられているように思えた。ブラックジャックや拷問というモチーフを通して語られるのは、人間があらゆる物事において「負けた」と感じる心の動き、そしてそれを引き起こす根本の感情とは「納得が出来ない」という単純

          「カード・カウンター」鑑賞後メモ

          「デューン 砂の惑星PART 2」鑑賞後メモ

           IMAXの巨大なスクリーンにとてつもなく巨大なものが現れたり動いている様子が映し出され、さらに緻密に構築されたサウンドデザインの音響や劇伴が全身を貫いていく心地よさ。「デューン」自体は非常に情報量の多いSF小説ではあるものの、ドゥニ・ヴィルヌーヴによるそれは映画鑑賞の快楽性を押し出す方向性に振り切っている。個人的には少し拍子抜けするくらいに物語自体はシンプルに見えるようにまとめられているのは、やはり、とにかく全身で映画を浴びることの喜び、そしてそこにこそ「楽園」が生じうるこ

          「デューン 砂の惑星PART 2」鑑賞後メモ

          RAFRAGE / Kamui

           サイバーパンクという過剰さからこぼれ落ちる、ささやかで繊細なKamuiの人間性。というものが「YC2.5」というアルバムから垣間見えるものだとすれば、「RAFRAGE」から立ち昇るのは、現実という殺伐とした世界をベースにしながらも、そこから肥大し始めるひとつの巨大な虚像=強い怒り=RAGEとしてのKamuiなのかもしれない。一曲目のタイトルにも冠されているPlayboi Cartiに対しての印象をKamuiは「曖昧な存在」と自身のYouTubeでの動画において述べていたし、

          RAFRAGE / Kamui

          「ほつれる」鑑賞後メモ

           「冷たさ」についての映画。現代の東京を主な舞台としているが、カメラが切り取る主人公らの暮らすマンションの一室や街の景色、自動車やロマンスカーの鉄とガラスの質感はヒンヤリと冷たさだけを帯びていて、まるでSF映画を見ているような心地がする。全編を通してほぼ全ての人間が「本当に言いたいこと」をストレートに話す瞬間がなく、婉曲的で柔らかさだけを突き詰めた(しかしそれにより遠ざけられる本音は無言のうちに鋭さを増す)会話が積み重ねられていく脚本は見事だと思った。温泉という、誰もが安らぎ

          「ほつれる」鑑賞後メモ

          BAD HOP THE FINAL

           久々にとてつもなくポジティブなヴァイブスに溢れたものを目撃した。特にガチなヒップホップヘッズというわけでもないタイミングから今までインターネットの端っこからひっそりと見守っていた、2010年代以降の日本語ラップシーンを牽引していた存在、BAD HOPによる目の前でのアンセムのつるべ打ちには興奮して頭がクラクラし始めると同時に、ドーム中が、そして俺の横にいる青年がとにかくずっと全力でシンガロングしまくっているその空間は多幸感に満ち溢れていた。演者もすごいけれど、オーディエンス

          BAD HOP THE FINAL