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ゆるりと上を向く


昨日の気持ちを引き摺って、縋り付くように手に取った本がある。


「しにたい気持ちが消えるまで」


敬愛している井上新八さんがTwitterで紹介していた本だ。


すぐにKindleで購入して夕方から貪るように読んでいた。

16歳で飛び降り自殺を図り、そこから障害を抱えて生きていくことになった豆塚エリさんのノンフィクション本。

子供の頃から飛び降りに至るまで、そしてそこからのことも、あまりにも重い内容なのに淡々と書かれていて、同情の余地が無い。本人も全く同情というものを望んでないように思えた。

まだ読み終えていないけれど、勝手ながらものすごく生きる勇気を貰える。


幼少期から少しづつ積み重なる我慢に心が追いつかなくなるところも、障害を抱えてなお生きたがる体を感じ必死にリハビリを続ける姿も、そうして少しづつ生活が鮮やかに暖かくなっていくさまに泣かずにはいられず。


エンタメとして摂取しているのではないかとか客観的に見て微妙な気持ちになったりするけれど、弱々している暇じゃあないなと思わせられた。


しっかりしろ、と頬をたたかれたといいますか。



嫉妬についての話も少しだけ出ていて、ハッとしました。

しかし他人を見て苦しくなったり、自分が嫌になって卑屈になったりと、どうしてもそうなってしまうとき、他者ではなく、自分を中心に据え直す必要がある。ゆっくりだけども日々頑張っている自分、支えてくれる何人かの人たち。自分にとってよりよいものは、いつでも自分の中にあり、そばにいる。


「しにたい気持ちが消えるまで」
それよりも手を動かすこと、何かに没頭することのほうがいい。面倒だなあ、嫌だなあと言いながらでもいいから、何かに取り組むこと。できれば、何らかの目的があって、やればいつか終わるものがいい。

そうしている間は苦しみからも虚勢からも解放され、自分自身であるような気がする。再び人と比べてしまって苦しみや嫉妬、自己卑下のモードに入ったら、今まで自分が取り組んできたことに目を向ける。そしてその続きをコツコツとこなしていく。そうやって今の自分を中心に戻していく。

それは祈りに近い行為だと私は思っている。
「しにたい気持ちが消えるまで」




今の自分を中心に戻していく。

これができる人は強いし、信頼できる、と思う。
自分もそうでありたいと思う。

ここだけ読むと「1人で立て」みたいに捉えられてしまうかもしれないけれど、そうでもなく。

むしろ自分の足りないところを知っていて、上手に人を頼れる人が自立している人だという話も出ています。


読み切ってまた考えをちゃんとまとめたい。


連日ぐたぐだで申し訳ないと思いつつも、今日も読んでいただき、ありがとうございます。

下がったら上がるのみ。
おやすみなさい。

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