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私は死を恐れてはいない。

死に対する哲学をもっていなければ生きることもままならない・・・

先日、Twitterで米津玄師さんがおっしゃっていた言葉です。

死生観は、誰しも考えておくべきことなのではと思い

今回は、私なりの死生観についてお話したいと思います。

1.きっかけは友人の死

私が死について深く考えるようになったきっかけは友人の自殺でした。

その友人には持病があり、長期の入院生活を送っていました。

体中を襲う激しい痛みとめまいの度に薬を服用し、

その薬の副作用で、常に睡魔と倦怠感にみまわれ、苦しんでいたと

後から聞きました。

その当時16歳の私は、彼女の死を知り、膝から崩れ落ち、

現実が受け入れられず泣き続けました。

「なんで気づけなかったのか」「なんであの子は自ら死を選んだのか」

そう考えているうちに、「死とはなんなのか」と思い始めました。

2.死とはなんなのか

彼女のご両親が、彼女の三回忌の時に仰っていた

「彼女は周りに苦しむ姿をみせまいとしていた。最期まで優しい子だった」

という言葉が未だに忘れられません。

ご両親はそう思うことで、彼女の死を受け止めれてるのだと思います。

彼女の死をマイナスに捉え続け、自責していた私は衝撃でした。

死は必ずしも、悪やマイナスとは結び付かないのだと

ご両親の姿から学びました。

とはいえ、やはり、死は悲しいものです。

ただ、悲しいとマイナスはイコールではありません。

3.善悪の基準

よく「善行に努めれば、死後極楽浄土に行けて、畜生道に落ちなくて済む」

と仏教の世界ではいわれます。(宗派による)

では、この「善行」とは、いったい誰基準なのでしょうか。

モラルやルールを守ることを善行とするならば

例えば、

「DVの加害者から逃れるために刺したDVの被害者」は悪なのでしょうか。

「家族や愛する人を守るため、暴漢を刺した人」は悪なのでしょうか。

私は悪ではないと思っています。

つまり、善悪の基準とは時代環境、個人の価値観によっていくらでも変わる

ということです。

だとすれば、「死はかならずしも悪とは限らない」のではないでしょうか。

また、死にたいと思うことは、心のSOSの1つですが、

そう考えること自体は、悪いことではありません。

そしてそれを発信することも、悪いことではありません。

自己承認欲求を満たすことで、自己破壊衝動や自殺願望は、

ある程度抑えることができるという心理実験の結果もあります。

(ただ、発信の仕方を考えることは大切です。)

カウンセラーである私のところにも、「死にたい」「消えたい」とメッセージがきます。

(※この死にたいと消えたいには明確な違いがあります。簡単にいうと

死にたいは、この世からいなくなりたい。
消えたいは、この場からいなくなりたい。

という表現の仕方が一番しっくりくるのではと思います。※)

私はそのメッセージこそが、心の叫びであり、助けを求めているのだと思って接しています。

つまり、死にたいと口にすることは、どこかで生きたいと願っているのです。

生と死は常に表裏一体で、

死について考えると、どのように生きればいいかがみえてきます。

4.私なりの死生観

私は死ぬことに恐怖はありません。

人間だれしもいつかは死ぬときがくるし、そうなったときに足掻くよりも

受け入れたほうがよいと考えているからです。

とはいえ、死ぬのは嫌です。

天寿全うして死ぬのなら話は別ですが、そうじゃないのなら

死にたくはないです。

「恐怖はないけど嫌だ」という一見矛盾しているようにもみえる価値観を持っています。

でもそれでいいんです。整合性なんて自分の価値観や哲学には必要ないから。

嫌だから今を後悔ないように全力で生きようと学ぼうと思えます。

つまり、自分なりの死生観を持つことは、

死に対してだけではなく、今をどう生きるかに繋がってくるのです。

5.著名な死生観

スティーブ・ジョブズが語った、死についての話は有名です。

「毎朝、鏡の中の自分に問いかけてきた。

「もしも今日が人生最後の日だとしたら、今日やろうとしていることをやりたいと思うだろうか?」と。

NOと答える日が何日も続くようであれば、何かを変えなければならないということだ。
時間は限られているのだから、誰かの人生を生きて無駄にしてはいけない。
こうあるべきだという既成概念に囚われる事は、他の人間の考えに従って生きているのと同じだ。
自分がもうすぐ死ぬという事実は、大きな決断をする手助けをしてくれる、人生で最高のツールだ。

外部からの期待、プライド、恥をかいたり失敗したりすることへの怖れなど、ほとんど全てのものは死と向き合うと消え去る。

そして本当に大切なものだけを残してくれるんだ。」

つまり、死は物事を思考し決断するうえで、重要な価値観でもあるのです。

6.まとめ

いかがでしたか?

賛否両論あるとは思いますが

あくまで個人の価値観なので、参考程度に🌸

これを読んでくれているあなたが、

死生観を考えるきっかけになれれば幸いです。

「永遠に生きるかのように学べ、明日死ぬかのように生きろ」📖ガンジー


最後まで読んでいただきありがとうございました🍃

hitoe💋







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