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成長意欲に押しつぶされる

『成長』と、辞書で調べてみると2つの意味があった。

1 人や動植物が育って大きくなること。おとなになること。

2 物事の規模が大きくなること。拡大。また、内容が成熟すること。

人間には色んなタイプがいるけれど、私は正直「成長意欲」が強い方ではない。ものすごい飽き性ではあるので、結果的に変化してしまっているということはあるけれど、そもそもの成長意欲が強いかと言われるとそうではない。
そしてこの成長の定義を見ると、成長意欲にも色んな種類があるんじゃないかと思った。

・「拡大」を目的とした成長意欲
・「成熟」を目的とした成長意欲

この2つに分かれるような気がする。

そしてもし私に成長意欲があるとするならば、2つ目の成長意欲なことは間違いない。

拡大するという感覚で日常的に何かに取り組むことは、私自身、ほぼ皆無に等しい。それに、拡大していくということになんなら恐怖さえ感じる。拡大が怖い、というのは、どこから来るのだろう。そんなことを考えたくもないくらい拡大が怖い自分にも驚きだ。(今書きながら、そんなに怖かったのかと改めて気づいて震えている)

小さい頃に、(実際のサイズ感も含め)影響力なり、声なり、夢なり、ザ・大きいものというのは私を征服してくると思っていた、ということも原因にはあるのかもしれない。抑圧してくる、と。そのザ・大きいもの自身は、我々小さいものを征服しようとしてるわけではないのだということは大人になってからはわかったつもりだけれど、私自身の弱さが、ビビりが、それを大敵のように捉えていたのかもしれない。

そうなると自然に、私が好むのは2つ目の成熟を目的としたもののほうだ。なんなら成長じゃなくて成熟と言い変えて欲しいくらいだ。「成熟」とは、「上達や、熟練すること」とされている。そうそう、それそれ。その意味でなら喜んで成長したいと思える。規模感の話は、苦手だ。スキルや心身の話になると、すんなり入ってくる。

きっと「成長」をする上で大事なのが、自分にはどちらの成長が向いてるか、得意かをしっかり見極めることなんだろうと思う。そして、成長意欲がそもそもなかったとしても、そんな自分にバツをつけないこと。

どちらの意味での成長だとしても、今の現状の自分にOKを出せていなければ、それは拡大も成熟もしない。というかしないで欲しい!となってしまう。『今』を拡大するか、『今』を成熟させるかなのだから、『今』をそのまんまマルしてあげるところからが全ての始まりだったりするのかもね。

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