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追い抜かし追い越される人生はもう嫌だ

今でこそ、沖縄のど田舎への移住を果たし、仕事もある程度余裕のある暮らしができるようになって「マイペース」に生きてるように見られるのも増えてきたものの、小さい時からのわたしの中に恐ろしいくらい根を張った「競争心」とやらは、どれだけ葉っぱを刈り取っても縦に横に張り巡らされて、相当しぶとい。

当時は競争社会が当たり前で、微妙にゆとり世代に入っているからと言って、オンリーワンよりナンバーワンが大事だった風潮は社会の強い圧として私たちに乗りかかってきていたことには変わりない。学校でも点数を競い、順位を競い、部活をしても、学校ごとに大会で競い、チーム内で競い、社会に出てからも売上で競い、勤務時間で競い合う、永遠に競い合っていた私たちにとって、今大人になって競い合わない生き方をしろと言われても、そんなのなかなかできることじゃない。

でもそんな社会風潮の中、とても心の弱い子供達が増えてきたのも紛れもない事実。ストレスに打たれ弱かったり、ちょっとしたことで体を壊す、他人となかなかうまくコミュニケーションが取れない、そういう子が増えているという噂は、事実としてあるのだろう。実際、わたし自身もその1人だという自負がある。体こそ強くてあまり風邪をひいたり、引きこもるような子ではなかったけれど、ストレスにすぐやられる割にその競争社会の中でできる人ぶっちゃうもんだから、耐えれないくせにギリギリまで耐えて、大怪我して周りに迷惑かける、そんなことを永遠に繰り返してきた。そしてなんならまだそのトンネルからは抜けられていない。

そういう弱い人が増えてきたという事実そのものが、戦って競って上に行けばいくほど価値が上がる競争社会から、戦うことなくみんな違ってみんないい社会に変容してきている証拠でもある。競争社会で生きていける人そのものの母数が減ってきていることで、戦わずに共生できる社会に強制的に変わって言っているということだとわたしは受け取っているのだけれど。

きっともう、この社会は本当は戦うことも競うことも一切しなくていい世の中に、実はすでにもうなっているんだと思う。「ありのままで生きる」「自分らしさを大切に」「好きなことで生きていく」という一時ブームにさえなったと思われるフレーズさえも、もう馴染み深くなってしまって、そりゃそうだよね、と当たり前すぎてスルーされるようになってしまっている。なのにも関わらず、いまだに競わないと生きていけないと思って辛い思いをしている人がいるというのは、私たちの今までに根付いた考え方が、きっとそうさせているだけ。きっとそうすることしか、知らないだけなんだと思う。

自分の中の根っこを、一気に焼き払うことは相当難しい。一気になくなってくれたらなんて生きやすいんだろうと思うけれど、相当な時間をかけて広範囲に張ってきた根っこを、一本一本丁寧に抜いてあげることが、その社会から抜け出すきっと一番の近道。一本一本、確実に、丁寧に。

日々の中で、人と比較してしまうとき、人より上を目指してしまうとき、このままじゃダメだと自己嫌悪に陥ってしまうとき。そんな時は、その湧き出てしまった気持ちを無視したり、そのまま突き進むのをやめて、一度立ち止まる。そしてしっかりその気持ちを見つめて、そのあなたの出番は終わったのよ、もう役目は果たしたよって、今までありがとねってちゃんとさようならしていこう。

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