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近すぎず、遠すぎず|適度な人との距離感

人との距離感って、とても難しい。最近の私は、無意識に人との「適当な」距離感を意識しているんだな、と今さっき気がついた。

昔の私は、人との距離感が「近い」のがよくて「遠い」ことが悲しいこと、残念なことという捉え方をしていたみたいで。人脈とかでも同じ思い込みをしていた節があって、人との繋がりは多ければいい、少ないとよくない、とかね。

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私は夫と2人ペアで仕事をしていることが多いので、ほぼ24時間夫と過ごしているのだけれど、ここ数日夫1人での出張の仕事があったこともあり、久しぶりに1人での時間を有意義に過ごしてみている。(沖縄の田舎に住んでるのだけど、出張に着いて出てきたので、田舎から比べるととても都会の那覇でフラフラしている)

映画見たり、カフェでこうしてnote書いたり本読んだり、久しぶりにショッピングしてみたり、美術館に立ち寄ってみたり。

1人行動は好きな方で、行き先をあんまり決めずにその時の気分に任せて行きたいところに行くのが楽しい。だけど、私が唯一1人行動の中で悩むことがあって、それが実は「カフェ選び」。それが楽しいんじゃないかい!と、1人行動が好きな人からしたらなんてナンセンスなって思われるかもしれない。HSP要素が結構強めな私にとって、カフェ選びを間違うとそこにいる時間が全てストレスに変わってしまうという大事件につながる。

素敵な店主さんが営んでいる、常連さんたちが仲良くなっちゃうようなカウンターしかないようなこじんまりとしたカフェとかもとても心惹かれて、1人で入ってみたいなあと思うものの、夫と2人でなら入れるのに、1人では入れない。1人行動をしているときって、「1人モード」みたいなもののスイッチが思いっきり入ってしまっているので、人との距離が近いカフェに入って他人と近くで関わることが、とても素敵なことなのに、強いストレスに感じてしまう。

逆に大手チェーン店みたいな、誰に対しても同じ接客しますみたいなすごく冷めたカフェもまた違くて、自分が少し雑に扱われたように感じてしまったりしてそれはそれで心地よくない。早く出てけよ感がヒシヒシと伝わってくる感じも、なんだか好まない。とりあえずなんか飲み物だけ頼んでおけばいていいでしょみたいな(勝手にそんな風に感じているは私だけなんだろうけど)お客さんが多そうなのも、なんだか。

だから、「ちょうどいい距離感」のお店を探すのに苦戦するのだ。狭すぎず広すぎず、混まずにチラホラと人は入っていて、みんな1人の時間を楽しみに来ているようなカフェ。メニューの内容も適度にこだわりがあって、店員さんもすごく踏み込んではこないものの、レジでの会話は柔らかくてカジュアルな感じ。音もうるさくなく、流行りの曲とかでなくさりげなく音楽がかかってるなあくらいのちょうどいいリズムを刻んでて。

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そんなことを感じながらカフェ選びをしていたら、ああこれは私の人との距離感の取り方と似ているなあと、ふと思った。

親友と言われる人たちとの距離感は、こんな感じに近い。いつも連絡とるわけでなく、もちろん会うわけではなく、どんな時も同じ場にいるわけではない。でも、人生を通して何か大きな世界を共有している感覚はある。お互いのことを口を出すわけでもなく、ちょうどいい距離で見守り合う。何かあったらいつでも声かけてね、私もかけるねといった、強すぎないのに安心できる存在感。

もちろん日々人と関わりながら生きてる中で、今集中して関わりたい人とか、逆に今は距離を置きたい人が出てくるのはもちろん当たり前だし、人はみんなそれぞれの人生を生きているのだからそうなるのはむしろ自然で。

その中で、近くもなく、遠くもなく、そしてどちらでもあるような、そんな距離感を私は今求めているみたい。

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