見出し画像

楽しさの渦の外にいるのが、楽しくて。

今年も今日で終わる。

私は普段からあまりイベントごととかを祝ったりすることも多くないし、年末年始も、美味しいご飯を食べて美味しいお酒を飲むこと以外に大きな区切りとして特に何かやると決めてることも特にはない。

イベントやお祭りなどは大好きだし、なんだかんだお祭り娘と言っても過言ではないくらいそういうときのその活気は、私にとってもとてもとても心が踊るもの。

ただ、私の中にあるその「楽しさ」という定義されるものは、世の中と一緒に盛り上がっているときではなく、世の中が盛り上がる空気感を「傍(ハタ)からみて感じている」ときのみなのである。



・・・

先日久しぶりに、人が数百人集まる大きなイベントに一人で参加してきた。

コンテンツや会場も、主催者の意図がものすごく組み込まれていて、細部まで細かく作り込まれていて本当に愛のある、愛に溢れる最高なイベントだった。

参加している人たちも同じ繋がりの人で、同じ価値観を共有していて、一人一人がとても優しくてとても温かい空気感が漂うイベントだったので、私自身も本当に参加してよかったと思えたし、その場のエネルギーをリアルで感じれることの楽しさも、しっかり感じることができた。

ただ、同時に私が参加しながら感じていたことは

「この楽しい空気感を、参加者の立場じゃなくてもっと遠くから、というか裏側から見れる立場だったらもっと楽しめたのかもしれないな」

ということだった。イベントやお祭りごとをみるときに、私はどうしても職業柄からか、制作側の立場でみてしまう。エンタメをそのまんま受け取ることをあまりしない、というかできないらしい。

テンション高く楽しい!!ワクワク!!きゃー!といったようなエネルギーの渦のど真ん中のような楽しさは、私の中では期待されるほど大きく響かないようだ。

逆に、そうして楽しさの渦のど真ん中で楽しんでいる人たちをハタから見ること(またはその楽しさを作る側、プロデュースする側であること)で、静かに心の中でじわじわ湧いてくる色んな感情を感じている状態の方が、私にとっての「楽しさ」であるということを、身にしみて感じていたのである。

そんな大きな楽しさと感動の渦の中にいる人からしたら、「何冷めた目で来てるんだ」「楽しめないなら来るな」と批判されそうなもの。けれど、同じイベントに関わる人間が増えれば増えるほど、自分が1番楽しいと感じれる役割や立ち位置が関わる人によって異なることも、ごく自然なことなんだなと、今回はとても俯瞰してみることができたのは私にとっての大きな一歩だったように思う。


・・・


世の中は今2022年を終えて、新たに迎える2023年に向けてのこの時間を楽しんでいる。

私はカウントダウンが大きく盛り上がる場所に行くのも興味がないし、大人数で共に年越しを迎えることにもあまり心が震えない。

ただ、そうして楽しんでいる人たちを見ていることはとても楽しくて、そういった人たちをただただ眺めながらニヤついている私がいて、きっと私だけに限らずそうして楽しんでいる人がいるのも決して不思議なことではない。

みんなが今年を振り返って、たくさんの感謝に溢れながらも小さな反省に頭を抱えたり、今年はああだったこうだったと言葉を交わしながら、新たな希望と不安を感じてそれぞれの未来を描いている、そんな空気感がただただ好きだ。

楽しい空気感に満ち溢れるこの時期にだからこそ、いろんな楽しさが溢れていることを感じている私自身に、私はさらに楽しくなっているのである。



2022年も、noteというこの場があることが
私にとってとても心地よくて
心の拠り所であったことは言うまでもありません。

この場で繋がれた皆様
素晴らしい文章で私の心を救ってくださったたくさんのnoterの皆様
そして
私の内側がそのまま露わになったような私のnoteを
読んで受け入れてくださった皆さまへ
心より感謝いたします。

来年も変わらずマイペースに書き続けていきたいと思います。
2023年も、よろしくお願いいたします。


この記事が参加している募集

私は私のここがすき

今こんな気分

いただきましたサポートは、優しい循環になるものに使わせていただきます♡