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繊細さんでよかった。

HSP(Highly Sensitive Person)、最近では繊細さんと巷で呼ばれる部類にわたしはとても当てはまる。実際ちゃんとカウンセリングして診断してもらったとかではないのだけれど、もう体感覚で「あ、ですよね」って感じる。繊細さんの中にもいろんな種類のHSPさんがいるのだけど、大まかにいうと、わたしは全種類の要素をいい意味でも悪い意味でも多く持っているタイプらしい。(気になる人は診断してみてね↓)

今までは、自分で自分の性質をよくわからずに、ただただやりたいように突っ走ってきてしまったこともあって、ものすごくこの「繊細さん」であるという素質を生かせずにきた。のと同時に、「繊細さんである自分」を好きになれないでいた。こんな感覚を持つ自分は人に変だって思われる、誰にも理解してもらえない、気持ち悪いやつって思われるって、心の中で声をあげてた繊細さんの自分に思いっきり蓋をしてきてた。

でも今ではこうしてHSP関連の本とかもたくさん出てきて、HSPですって発信する人とかも増えてきて、「あ!同じ感覚の人ってこんなにいたんだ!」ってすごく安心したし、どこにも属せていない感覚が今までずっとあったから、同じ感覚の人たちがいることがわかって、「繊細さん」という括り、カテゴリーになら私ちゃんと属せてる!っていう新しい自信にもつながった。HSPを最初に世の中に打ち出してくれたどこかの誰かさんには本当に感謝したい。

そして自分にとって、今までは「あ、これ出しちゃダメなやつだ」って思って引き下げてきたものに対して「あ、これからはこれわたしの魅力になってくれる部分だ!」って、声を上げてくれたわたしの感覚を順番にゆっくり認めてあげられるようになってきた。まだまだその感覚が出てきたその瞬間は、「あ…ちょっと待てよ…」と一瞬焦るのだけど、「大丈夫大丈夫」って自分に言ってあげられることで少しずつ繊細さんのわたしが自分の中で喜んでるのが感じられている。

HSPさんの持つ感覚は、正直、非HSPさんには絶対にわからない感覚だ、というのも、わたしが知って安心したことのひとつ。子供を産んだことない人に、出産の感覚、辛さも喜びもわからないのと同じだそう。今までは、繊細さんじゃない人も「わかってくれるだろう」という淡い期待をわたしはしてしまっていた。だからこそ、全く理解してもらえなくて悲しくなったり、共感なんてさらにできるわけないのに共感求めて自分も相手も嫌な思いさせてしまったり。でも、いい意味でそれを諦められてから、『自分は自分』という感覚が強くなって、今までよりも自分で自分を信じて認めてあげることができるようになったと思う。

今までの社会は、繊細さんが生きやすい世の中とはとても言い難いものだったと思うけれど、むしろこれからの世の中は、わたしは繊細さんが中心となる世の中に変わっていくような気がしている。そんな希望を感じている。そしてわたしはそんな生きやすい世の中を作るきっかけでありたいし、何か繊細であることに悩む人たちの希望でありたいなと、いまは改めて思っている。

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