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「反省させると犯罪者になります」を読んでみた②

昨日の記事の続き。

今日は、生きづらさと孤独・孤立の話と人とつながることについて。
私たちの活動の根幹〝ひとりで生きる力(つながる力・課題を解決していく力)〟にもなっていることとつながっている。


そして、この話は孤独や孤立、生きづらさにもつながっていく

被害者であれば、あんなに悪いことをしたのに「反省」しないなんて!
と思ってしまうだろう。
私もそうだ、凶悪犯が「反省」していないという報道を見るととても腹が立つ。
しかし、「反省をさせる」というのと、「自ら反省する」というのは少し違うと言うことが本書を読んで分かってきた。
(とはいえ犯した罪を全面的に許せるわけではない)

とにかく、犯罪者がきちんと反省をするためには、まず「反省」ではなく、なぜ、犯罪を犯したのか? を深く掘り下げる自己理解が必要で、その掘り下げは本当に辛いモノらしい。

特に子どもの頃にすり込まれた価値観「ひとりで我慢できる」「弱音を吐かない」「人に迷惑をかけない」など、一見、正しいように思える「しつけ」によって「ひとりで頑張る、ひとに頼らない、弱みを見せない」=「強がり」で犯罪を犯す、または孤立していくと。
例えば、いじめられていることを親に話すと恥ずかしい、迷惑をかけるなどと思って相談できないのも、そのしつけが原因で、誰にも本音を言えずに生きづらさを抱えたまま、孤立していく。家庭や学校に居場所がなければ、悪い仲間たちとつるむようになり、やがて犯罪を犯す。

だからこそ、犯した罪を反省させるのではなく、なぜ犯罪を犯したのか? その根本にある、自分が何に抑圧されてきて、何に怒っているのか? を知る必要があると。
そして、その後に心から「反省」できるのだと。

これは、犯罪者でなくても共通することじゃないだろか?

 「こうあるべき」と育てられた人は、そう育てられていない人、自分の価値観とは違う行動をする人に怒りを覚えるかもしれない。
私も心当たりがまったく無いわけじゃない。(やったこともやられたことも含め)
「なんでできないんだ」「なんでやらないんだ」と、子どもの頃なら心ない言葉で相手を傷つけたかもしれない。その先には、仲間はずれやシカト、いじめ、そして犯罪を犯していたかもしれない。

その感情は「ひとを思うように動かしたい」というエゴイズムなんだと思っていたけれど、ひょっとしたら親からの世代間連鎖ではないか?
そう気付いた時、これは、犯罪者でなくても共通することなんだと腹落ちがした。

「ありのままの自分」を出せる場が必要

本書では、人は弱い。人はひとりでは生きて行けないと繰り返し書いてある。
「ありのままの自分」を出せる場が必要だとも。

私もそう思う。
私たちの活動も「ひとり」と「ひとり」真ん中に「と」が入って人と人をつなぐ意味合いが強い。そういう旗を立てる側でも、心から人に頼って生きられるか? 「ありのままの自分」を出せるか? と言われたら難しい。

泣きたいときに泣き、嬉しいときは心から喜ぶ。
自分の感情に素直になれる。そんな、人になりたい。

そして、それを良しとする〝場〟を作って行きたい。

さらに、「ありのままの自分」で生きられない人に寄り添えるような「「強い人」になりたい。

最近では、人はみんなちがってみんないいと思えるようになったが、どこかで強がっている自分がまだまだいる。
もっともっと自分を掘り、吐き出しをしなくてはいけないのだろう。


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