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人のためを装い、自分の利益のためにnoteを書く

先日、「竜真会について」というnoteを書いた。

今の僕にとっては昨日のことだけど、これが投稿される頃には募集も終わってるはず。

「10月の3連休で人生が動き出した」という主宰の経験からの募集開始。

他のみんなにも動き出して欲しいという意図があるのだろう。

それを知った時、「これに乗ってなんか書けないかな」と思った。

そして思い付いたのが、メンバー視点で「竜真会」を語ること。

主宰視点からは何度も言葉にされてきたけど、メンバー視点はコミュニティ内の切り抜きからしか載っていない。

そうなると「いいとこしか載せてないんじゃないの」と思う人が出てもおかしくない。

と、それっぽい理由を挙げてみたけど、本音を言えば参考にして欲しかっただけである。

Amazonのレビューみたいなもの。

販売者は売り物のいいところしか言わないし、情報は一方通行でしか行かない。

だから騙されるってことが起きるんだけど、そこに購入者のレビューが入れば参考になるでしょ。

「思ったほどではない」とか「思いのほかいい」みたいなのは買う前にわかっておいた方がいい。

僕のnoteはレビューの役割である。

まぁレビューにはさくらの問題が付きものだけど、それは自分で判断してくれ。

当事者から言うと、勝手に書いて添削に出した。

だけどそのままOKをもらったので自分の中で「いいな」と思ったものを出した。

さくらではない僕の想いを書いた。

あとはもう「信じるか信じないかは、あなた次第です!」ってやつだね。

で、書いてる時の思いとしては、「お世話になってる竜真会のために」というのももちろんある。

だけど僕ってゲスだから、「この期間限定に乗ってnote書けばたくさんの人が見てくれるのでは?」という利己的な考えが大半を占めている。

あれ「竜真会のために」を装った僕の広告だからね!

人は自分のために動くものだ。

僕を広告するために竜真会紹介noteを書いた僕。
それを利用して竜真会募集を宣伝する主宰。
noteを読んで竜真会の検討をする読者。

それでいいじゃないか。

自分のために書いたものが人の役に立った。

悪く言えば利用されたんだけど、人間関係なんて互いの利用である。

互いに利用し合って、利益が出て、感謝が生まれることほど嬉しいものはない。

出てきた想いが利己的であれ利他的であれ、その想いは表現しないと使われないし使えない。

その表現は世界に必要なのだ。

紹介note、書いてよかった。

ということで終わり!読んでくれてありがとう。いいねやコメントよろしくね。

じゃあ、また。


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