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誕生日記念に広島へ行った話

※はじめに
今回めちゃくちゃ長いです。2万字超えています。ご自身のペースで読んでいただけると幸いです。
読み進める際はぜひ下記目次をご活用ください。


そうだ、広島行こう

世間がゴールデンウィーク直前でソワソワしていた4月下旬、私はあることを考えていた。

誕生月の6月に広島行きたい!
せっかくならグランドプリンスホテル広島に泊まりたい!

でも使えるお金は8万円。どうせなら連泊したいけどプリンスホテルを連泊すると最安値でも2.6万円で、新幹線が往復4万円弱だから……。
食費とか含めると8万円じゃいけないじゃん!!

諦めかけていたその時、ふとひとつの考えがよぎる。
新幹線が無理なら夜行バスがあるじゃないか!!

というわけでバスタ新宿から発着する夜行バスを調べた。
すると、あったあった!
『ジャムジャムライナー』が新宿から広島まで夜行バスを運行しているではないか!!

6月でホテルが安めで2泊予約できて、夜行バスが予約できて、他の予定とあたりにくいところ……。あれ? まさに誕生日の週がよさそう!!

こうして夜行バスとホテルを予約し、誕生日記念広島旅行が決まった。

その後はプランニングを進めた。
個人的に絶対行きたいのは原爆ドームや広島平和記念資料館。できたら宮島も行ってみたい。
予算と時間とにらめっこし、次のようなプランを立てた。

6月10日(月)バスタ新宿から夜行バス乗車。車中泊
6月11日(火)9時過ぎに広島着。ホテルへ荷物を預けて昼前にホテル桟橋から宮島へ。昼食に牡蠣を食べ、厳島神社を参拝。夕食はホテルのレストランでブッフェ。グランドプリンスホテル広島泊
6月12日(水)10時前にホテルを送迎バスで出発。広島駅周辺で昼食にお好み焼きを食べ、広島電鉄で移動。原爆ドーム・平和記念資料館を見学。夕方にホテルへ戻って夕食をホテルのレストランで食べる。グランドプリンスホテル広島泊
6月13日(木)プランA・ホテルを14時半頃にレイトチェックアウトして送迎バスで広島駅へ。荷物をコインロッカーに預けた後、広島電鉄で移動し平和記念公園を散策。夕食は広島駅周辺で海鮮料理を食べて、20時頃に夜行バス乗車。車中泊
6月13日(木)プランB・ホテルを11時に送迎バスで出発。荷物をコインロッカーに預けた後、広島駅周辺で昼食をとり、広島電鉄で移動。平和記念公園とおりづるタワーを訪問する。広島駅周辺で海鮮料理の夕食を食べ、20時頃に夜行バス乗車。車中泊
6月14日(金)8時半頃に新宿到着。そのまま電車を乗り継いで帰宅。

プランはこれで決めたと思ったが、知人に広島旅行の話をすると「いいな~、お土産は買わなくていいから原爆ドーム前で毎日やっているはずのガザ連帯スタンディングに参加してきてほしい!」と言われた。
最初は旅程に組み込めないかと思ったが、13日に冒頭15分だけ行くことは可能だったため、夕食の時間を少しずらして行くことにした。

6月10日(月)1日目

バスタ新宿は地味に楽しい

20時半頃、夜行バス発車の1時間前にバスタ新宿へ到着した。
バスは時間になると発車する。電車の遅延も考慮してくれないので余裕を持って到着した。

フラッシュあってすみません

今回はバスタ新宿21時35分発、ジャムジャムライナーJX501便広島大学経由広島駅行きに乗車する。運賃は通常片道8500円だったが、私は窓側指定という枠を予約して9000円だった。
ちなみに新幹線の片道は自由席でも18000円以上、今回は往復の夜行バスで窓側指定しても18000円だったため新幹線の片道分で往復できた。ただし時間は新幹線の3倍かかるが。(新幹線は約4時間に対し夜行バスは休憩込で定時でも12時間以上)

この日のジャムジャムライナーの発車はC8番乗り場。バスタ新宿は日によって発車乗り場が違うらしいので電光掲示板を見て乗り場に注意したい。
ちなみに乗車するバスの前には松本行きや徳島・高松行きなどが出発していった。徳島・高松行きはC7番乗り場とC8番乗り場にそれぞれ1号、2号のように止まっていて、需要の高さを感じた。

暗くてわかりにくいがはかた号

時系列が前後するが、21時頃、テレビ番組で一躍有名になったキングオブ夜行バス「はかた号」がD10番乗り場から出発した。
私は過去にはかた号へ乗車したが、夜行バスに慣れていなかったのでかろうじて寝られた程度の睡眠だった。
今回ははかた号に比べ設備がそこそこなので(はかた号が良い意味でおかしいが)寝られるかどうかの心配があった。

12時間お世話になります

21時15分に徳島・高松行きが発車してまもなく、赤いバスが現れる。そう、これが今回乗車するジャムジャムライナーJX501便広島大学経由広島駅行きだ。ちなみに東京駅始発で秋葉原も経由し、バスタ新宿が最後の乗車地だ。21時20分頃、乗車手続きが始まった。
降りてきた運転手さんに名前を告げ、今夜の座席を告げられる。どうやら8列目の進行方向右側らしい。スーツケースを預けて車内へ。網棚に荷物を置こうと思ったが入らないので止む無く足元へ(本当はいけないが)

水筒やスマートフォンの充電器を出すなど荷物を整理して、仕切りカーテンを閉めてシートベルトをして……なんてやっていたら定刻21時35分になった。車のエンジンがかかり、ゆっくりと加速していく。こうして、12時間の長旅が始まった。

まさかの事態に!?

何のトラブルもなく出発したバスは首都高速をかっ飛ばし……。
と思っていたがなんだかおかしい。
少し動いては止まって、また少しだけ動いて止まって……を繰り返している。

そのまま約1時間が経過した。
出発して1時間ほどで最初の休憩地・海老名サービスエリアに着くと聞いていたが、これではまだまだ先に思える。かといって閉めてあるカーテンを開けて車窓を見るなんて言語道断だ。
そんなことを考えていると、運転手からアナウンスがあった。

現在、首都高速で工事渋滞に巻き込まれています。当初は海老名サービスエリアを出発したら消灯予定でしたが、まだ時間がかかりそうですので22時40分になりましたら消灯します

時刻は22時35分を過ぎたところ。つまり予定外での消灯だ。
そして予告通り22時40分に車内の電気が消された。海老名に着くまでは消えたままだ。

最終的に海老名サービスエリアに着いたのは23時40分頃。要は1時間遅れだ。
この時の私は「1時間遅れか〜。でも到着予定からホテルの送迎バスの乗り継ぎまで1時間半はあるから大丈夫やろ」なんて呑気なことを考えていました。
この後この遅延が響いてくるとも知らずに……。

6月11日(火)2日目

乗り継げなくて宮島高速船に間に合わないかも!?

海老名サービスエリアを23時55分頃出発、そのまま2日目に突入だ。
その後もバスは遅れを取り戻すために爆走した。

愛知県の長篠設楽原パーキングエリアでは2時20分から2時35分までトイレ休憩。
私はここまであまり寝られず、しかも夕飯が早かったせいでお腹が空いていた。
空腹感を押さえながらトイレを済ませ、再びバスは広島へ向かう。

明るくなってきた

うとうとしていたらバスが3か所目の休憩地に止まる。
3か所目の休憩地・宝塚北サービスエリアでは5時20分から5時40分まで休憩だ。
太陽が昇ってきていて、清々しくも暑かった。

最後の休憩地は福山サービスエリア。
今までの傾向から2時間走れば着くと思っていた。

しかし、宝塚北を出て2時間経ってもまだ到着しない。
「まだかまだか」と心底思っていると、8時頃に明らかにサービスエリアに入る減速があった。
と同時に運転手から恐ろしいアナウンスがある。

首都高速ならびに東名高速の工事渋滞の影響により広島大学、広島駅共に60分、最大90分遅れで到着する見込みです

は?
90分遅れるの?

私は頭の中がパニックになった。
なんせ80分遅れた時点でホテルの送迎バスが発車し、その後の今日の予定が全て崩れる危険性があるからだ。
それがまさか90分遅れの可能性があるなんて!
宮島行きの高速船予約しているのに!!?

到着した福山サービスエリアでパニックになりながらもトイレを済ませる。
この時浮かんだアイデアは2つ。
1つはやむを得ないが今日の宮島を諦めること。
もう1つは乗船を路面電車を利用してかろうじて間に合いそうな広島港に変更すること。
しかしまだ決断するには早すぎると思い、広島大学に到着した時点の遅延状況で決めることにした。

遅れを最小限に抑えてほしいと祈る私を乗せてバスは少しでも早く行かなければと先を急ぐ。

広島大学に着いた。
時刻は9時10分過ぎ。
定刻は8時なので約70分遅れだ。

70分遅れ。
これは微妙なラインだ。
個人的には巻き返せると判断し、かけることにした。

広島大学ではそこそこ降りた。
隣に座っていたおば姉さんみたいな人も降りていった。
最初広島大学なんて需要あるのかな? と思っていたが、どうやらかなり失礼な思考だったようだ。

バスはひたすら広島駅を目指す。
私は「どうか間に合ってください」とひたすら祈る。
信じていた。でも不安だった。
「もし間に合わなかったら……」
その不安をかき消すかのように、バスは広島駅に着いた。

無事広島到着!

時計を見る。10時15分。
ホテルの送迎バスは北口から10時30分発。
今いるのは南口の駅前。
私は確信した。
「間に合う! 予定調和だ!」と。

夜行バスを降りて、運転手に広島駅の方向を聞いて、急いで向かう。
駅構内を早歩きで進み、ホテルのホームページに記載されている乗り場へ向かう。
発車約5分前、慌てて乗車。
無事旅程をリカバリーできた!

いざ、宮島へ!

10時30分、乗客3名(私含む)を乗せてJR中国バスが運行するグランドプリンスホテル広島への送迎バスが出発する。

途中、路面電車の線路を何度かまたぎ、少し道幅の狭い道路を通って、11時頃にグランドプリンスホテル広島へ到着した。
半年前から来たいと思っていた、その願いが今叶おうとしている。
乗り場にはちょうどチェックアウトした人たちが乗車をいまかいまかと待っていた。

フロント脇のカウンターでスーツケースを預け、フロント横の瀬戸内汽船のトラベルデスクへ。
事前に電話予約していた宮島行きの高速船の乗船手続きをした。

トイレを済ませ、コンビニエンスストア脇の出口から出ると潮風と共にうだるような暑さが襲い掛かる。
宮島をそこそこ歩く予定なので倒れないか少し心配になった。

すごい速さでこちらに向かってくる!

11時30分頃、船にしては速いスピードでプリンスホテル前の桟橋に向かってくる船がいた。
今回乗る宮島行きの高速船だ。

下船客が出払った後に乗船。今回は進行方向左側をチョイスした。
若干遅れて高速船はプリンスホテル前の桟橋を出発する。

上の動画は高速船内で撮影した動画だ。
古いカメラで撮影したので画質は非常に悪いが、スピード感は伝わると思う。

動画を見ればわかるがさすが高速船、本当に速い。
約30分で宮島へ到着する。
下船後、帰りの乗船予約を行う必要があるため指定の窓口へ。
いくつかの会社が隣接しているため受付時には注意したい。

広島に来たらやっぱり牡蠣は外せない!!

時刻は12時、ちょうど昼時だ。
まずは昼食タイムにしよう。
今回は目的の店があるのでそこへ向かう。

商店が並ぶ通りを厳島神社方面へ歩いた。
危うく通り過ぎそうだったが目的の『牡蠣屋』を発見。
今回は牡蠣屋定食を注文。

焼き牡蠣

最初に出てきたのは「焼き牡蠣」
シンプルに焼いただけのものだが、素材が良いからとても美味しい!

アツアツの焼き牡蠣に苦戦していると、メインの定食がご登場。

牡蠣めし、牡蠣フライ、牡蠣のお味噌汁、牡蠣ドレッシングで食べるサラダ、その他牡蠣の小鉢が二つ……!

牡蠣! 牡蠣! 牡蠣づくしだ~!!

どの料理も美味しかったが、特に気に入ったのは「焼き牡蠣」だ。
シンプルゆえに素材の味が楽しめた。

ちなみに私は1階のカウンターに案内されたが、2階にも席があるようだ。

厳島神社の大鳥居と対面!

昼食後はそのまま通りを厳島神社方面へ。
少しすると厳島神社の鳥居が見えてきた。

ここが厳島神社!

先ほどから歩いていると周りに鹿さんがいる。
人間が近づいてもびくともしない。

見事に頭を捉えられず(泣)

どうやら宮島にいる鹿さんは野生のようだ。
だから優しく見守ってあげよう。

鳥居から少し進むと、ついに大鳥居のお出ましだ。

ベストアングルから撮影できた

天気はまあまあだが、朱色の大鳥居が存在感を放っている。
多くの観光客が足を止めて撮影を楽しんでいた。

そこから進んですぐに拝顔受付所がある。拝顔料をしっかり納めよう。

中はとても厳かな雰囲気で、長い歴史を感じる場所だった。

大鳥居正面のスペースは撮影をする観光客で大行列

境内から大鳥居を撮影。
本当は近寄れるギリギリまで行きたかったが、敷地内の対岸から見ても大行列だったので断念。
お守りも特に買わずに厳島神社を後にした。

立派な五重の塔

入り口に戻る途中で五重の塔が目に入る。
私は神社仏閣に疎いのでよくわからないが、神社に五重の塔があるのは珍しいらしい。

満潮時にしかできない体験を!

来た道を戻っていると何やら小舟が止まっている。
「ろかい舟 大人1500円」と書いてある。

スタッフの人が呼び込みをしている。
満潮時限定です! 大鳥居をくぐりますよ~!!

どうやら小舟で大鳥居をくぐれるという。
しかも満潮時限定で、この日はもうすぐ終わると言っている。
これは乗るしかない!!

というわけで時間にもお金にも余裕があったので「ろかい舟」に乗船した。
乗客は私以外に2組・5名ほど。
人力の舟はゆっくりと沖を離れ、大鳥居を目指す。

舟の上ではガイドさんによる説明があった。
下の写真をよく見てほしい。
これは弥山の方角だが、全体像でとらえると何かが浮かび上がってくると思う。

私は説明を聞いてからそうにしか見えなくなりました(笑)

わかったかな?
実は、観音様が空を向いて仰向けになっているように見える。
わからない方のために説明すると、左側が頭、そこから右へ視点を移し崖崩れしているあたりが目、さらに右でちょっと突き出ている山が鼻、そしてその右が口、さらに右側は身体……、といったように見える。
実は画角をかなり引いたが、これでも身体は一部しか写っていない。ぜひご自身の目で確かめてみてほしい。

では、お待ちかね。大鳥居をくぐるシーンをノー編集・ノーカットでご覧いただこう。

昔の人は厳島神社を参拝するために舟でこの大鳥居をくぐっていたそう。
何度か改修工事をしているとはいえその大鳥居を現代に生きる私たちが舟でくぐるのはどこか感慨深いものがあった。

大鳥居をくぐって厳島神社を海から見る。
既に満潮は過ぎており、だんだんと潮が引きはじめている。
なお、この日はそれでも潮が少ないほうだといい、潮が多いと下の柱は見えなくなるという。

素晴らしいこの景色を見られるのはろかい舟だけ!(多分)

そして再び大鳥居をくぐって船着き場へ戻る。
大鳥居をくぐる際はまぶしいが上を見てみよう。
大鳥居の表と裏に書かれている文字は違うといい、それを一緒に見て確認できるのは鳥居の中心、ろかい舟だとわずか約2秒しかない。
逆光でうまく撮影できなかったので、もし機会があったら両面の文字を写すことに挑戦してみてほしい。

さて、そんな話を聞いていると突然小舟がゆらゆらと揺れ出す。
実はガイドさんが出港前に
「大型の船が近づくと揺れます。その時は、楽しみましょう(笑)」
と説明してくれていた。
まさに今、本州からの宮島連絡船が宮島港に入港するところで、その船によって押し寄せられた波が小舟に襲い掛かっているのだ。
とってもスリリングなのでタイミングが合えば楽しんでほしい(笑)

えっちらおっちらと小舟は進み、20分ほどの船旅は終了した。
ちなみに乗り場は連絡船乗り場から商店街を抜けて、厳島神社の鳥居の手前側にある。
満潮時限定、潮が引いたら終了なのでどうしても乗りたい場合は満潮時刻を調べてみよう。
ちなみに私は13時前に乗ったが、この日は次の便が最終だった模様。

なんかいいアングル

疲れたからホテルでリラックス……のはずが!?

さて、宮島で行きたいところは全て巡った。
本当は15時発の高速船を予約しているが、正直行くところが無いし行きたくても時間が微妙に足りない。
というわけでさっさと高速船でホテルに戻ることにした。

13時55分、予定より1本早めて高速船でグランドプリンスホテル広島へ移動する。

広島港のターミナル(高速船の中から)

途中、広島港に寄港するが意外と降りない。
ほとんどの人がグランドプリンスホテル広島まで乗るようだ。
この高速船の需要はグランドプリンスホテル広島に宿泊している人にあるのかもしれない。

14時30分頃、グランドプリンスホテル広島前桟橋に戻ってきた。
意外にもこれから宮島へ向かう人が2人ほど乗っていった。

桟橋近くの自動ドアからグランドプリンスホテル広島へ。
午前中に預けたスーツケースを受け取り、そのままチェックイン。

実は西武プリンスクラブ会員であり、誕生月であることからレイトチェックアウトが利用できる。
利用の可否は予約状況によって変わるためチェックイン当日にならないとわからないが、今回は比較的閑散期であったこともあり利用できると伝えられた。

今回の部屋はスーペリアツインルーム。4階から10階に位置する部屋であり追加で1,000円払えば海側を確約できるそうだ。
ただし私はぶっちゃけ海側じゃなくても良かったので、確約サービスは使っていなかった。
だから正直どこでもいいやと思っていたし、別に高階層じゃなくても全く問題ないと思っていた。
しかし伝えられた部屋の階層は10階。スーペリアフロアで考えれば最上階である。もちろんもっと高額な部屋はもっと上のフロアになるが。
しかも、部屋に入ってカーテンを開けると……。

カメラのレンズが反射していますね……。すみませんこれが限界でした

ちょっと天気は悪いがオーシャンビュー! 海側!!
え、誕生月でレイトチェックアウトが使えてしかも高階層かつ海側……。
こんな庶民にこんな待遇いいんですか!!?
ありがたく滞在させてもらいます!!

さて、スーツケースを開いて服をハンガーにかけよう……。
あれ? なんかスーツケースが濡れている?
え!!? 化粧水の中身が全部ぶちまけられちゃっている!!?
詰め替えたばかりなのに!!?

さて困った。
この日は珍しく化粧をしていたので必ずスキンケアはしたい。
でもホテルから徒歩圏内で化粧水なんて買えるのか?
しかも送迎バスで広島駅へ行ってもすぐに折り返さなければいけないし……。
途方に暮れてスマートフォンの地図アプリで近隣のドラッグストアを検索した。
すると奇跡的に出てきた! 徒歩30分で行ける!!
私は夕飯まで時間があったのでホテルから歩いていけるドラッグストアへ向かった。

スーパードラッグストア「ひまわり」とシジシージャパングループのスーパー「フレスタ」

炎天下の中を30分近く歩き、ドラッグストアを見つけていつも使っている化粧水を購入。
どうやら6月末で閉店だったらしく、本当にタイミングが良かった。
まあ地元で買うよりは少し高かったが。

ついでにスーパーマーケット併設型かつ地元のローカルチェーンのようだったので「フレスタ」でお買い物。
西日本に来たら必ず買っておきたいお菓子が「カール」だ。
私の母はカールが大好きだが、東日本では販売終了しているため、西へ行ったら必ず買っているし、私も食べている(笑)やっぱりカールは美味しいもん(笑)
あと個人的にはその土地でしか売っていないお菓子類なんかも好きだ。
まあ簡単に言うと「『地域限定』の文字に弱い」ということだ(笑)

そんなこんなで買い物を済ませ、ホテルへ戻る。

信号待ちで路面電車に遭遇

途中、路面電車の線路をまたぐ部分があり、そこでは信号も路面電車と連動して変わる。
だから路面電車が両方向来るとなかなか信号が青にならない。

街中を走る路面電車は古そうな見た目から近代的なデザイン・設備のものまで多種多様だ。
明日と明後日は路面電車に乗るので、一体どんな車両に出会えるか楽しみだ。

ホテルへ帰還し、夕食会場へ行く支度をする。
ネットで調べたら、ホテルのレストランはなるべくスニーカーはやめた方がいいといろんなブログで書いてあったので、今回はスーツケースがパンパンな中パンプスとストッキングを持ってきた。まあ個人的にはパンプスなんて履きたくないが、スニーカー以外で良い靴がこれぐらいしかなかった。

さらに過剰かもしれないがスラックスも持ってきた。
結論から言えばそこまでガチガチの服装をしていた人はあまりいなかった。
まあ私もガチガチかと言われたらそうではなかったけど。

というわけで最上階23階にある「トップオブヒロシマ」へ。
どうやら予約時に「宿泊あり」と申告していたことで部屋のカードキーに予約情報が紐づいていたようだ。機械にカードキーをかざすだけで受付できた。

夕飯は18時に予約していた。
埼玉県でこの時期に18時というとそろそろ陽が傾いてきて日の入りが近いというイメージだが、広島はまだまだ明るい。
夕食はブッフェ形式。豪華な料理なのと店員さんがめちゃくちゃフォーマルだったのでちょっと緊張した。

とりあえず適当にとった。奥にあるのはカニ用のはさみ等。

今回の目玉はずばり「カニ」
食べるのにはだいぶ苦戦したが美味しかった。
他にも様々な料理が並んでいた。

手前はバターチキンカレー

前はこういうブッフェ形式だと普段の2倍ぐらいは食べていたが(食べすぎ)最近本当に食べられなくなった。
普段ならもっといけるが、この日は2枚の写真にあるものとジェラートが小鉢2回分、そしてプチサイズのケーキで終わった。
本当に食べられなくなった。

部屋に戻った後、シャワーを浴びて就寝の準備をする。
本来であればホテル内の宿泊者専用有料浴場「瀬戸の湯」で入浴したかったが、あいにく生理の周期とあたってしまってシャワーで断念した。
そんなこんなで11日は幕を閉じた。
それと同時に20歳最後の日が終わった。

6月12日(水)3日目

誕生日の朝焼け

朝5時半、21歳になってはじめて目を覚ました。
今日は丸一日観光の予定だ。

また余計なレンズが入っています。ごめんなさい

ふとカーテンを開けると太陽がまぶしく照らす。
海と太陽、埼玉県ではどう足掻いても見られない景色。
誕生日の一日がはじまった。

スマートフォンで家族や友人と誕生日のやり取りを交わし、朝7時頃に朝食会場へ向かう。

今朝は昨晩夕飯を食べた「トップオブヒロシマ」でのブッフェ形式の朝食だ。

お茶漬けがおいしかった!

朝は特に食べられなくなった。
まあ前日にかなり食べていたのもあると思うが。
個人的には自分でカスタマイズできる出汁茶漬けが美味しかった。

40分並んだかいがあったお好み焼き

9時50分、ホテルの送迎バスで広島駅へ向かう。
今日はまず広島駅でお好み焼きを食べる。

おいおいさっき朝食食べたばかりじゃん!
そんな声も聞こえてきそうだが、11時開店のお好み焼き屋さんに開店直後に入るのが狙いだ。

10時20分頃、広島駅へ到着。
そのままお好み焼き屋さんがあるekie広島1階へ向かおうとするが……。

まだ入れませーん!

1階へ続くエスカレーターにはまさかのロープ!
どうやら11時にならないと入れてくれないらしい。

今回行きたいお店はekie内にある「みっちゃん総本店」
そのほかにもekieのレストラン街は強豪ひしめく人気地帯のようだ。
正直どこかに行っていてもいいとは思うが、開店のタイミングで入れないとその後の予定が全て狂うので、ワクワクしながら開店の瞬間を待つ。

10時55分頃、下から警備員が昇ってきた。
どうやらこの人がロープを外してくれるらしい。

11時ちょうど、ロープが解放され、警備員先頭でエスカレーターを降りる。
多分エスカレーターを歩いて移動されないように、警備員が先導しているのだと思われる。
公正に移動できるように配慮されているなと思った。

開店2番目に注文できた。
そしてカウンター席に案内される。
店内はあっという間に満席になった。これだから早く来たかった。

ゆっくり待っているとお好み焼きのお出ましだ!

オーソドックスなそば肉玉

今回はシンプルな「そば肉玉」を注文。
結構ボリューミーだが意外とペロリといけてしまう。
でもお腹はいっぱいになる。
つまりお好み焼きって最強の食べ物では!? なんて思ってしまった。

マヨネーズで味チェン!

半分食べたところでマヨネーズをかけてみた。
ソースとマヨネーズとお好み焼きの具材たちのハーモニーが本当に最強!
40分近く並んだかいがありました。

ちなみにマヨネーズの容器は家庭用の倍近くの大きさでした

多くの人が知らない、本当の「ヒロシマ」

お好み焼きでお腹を満たした後、広島駅から路面電車に乗って原爆ドーム前を目指す。
ちなみに私は路面電車の乗車口の段差が高くてコケてしまった。思っていたよりも高くてびっくりした。
路面電車は意外とスピードが出ていた印象だった。

路面電車に揺られること約20分、原爆ドーム前電停に到着した。
運賃は市内均一で220円だが、私は精神障害者手帳を見せることで110円になった。

ここまでありがとう

路面電車を降りると、目の前には原爆ドームが現れる。

やっと来られた

写真で見るのと現地で見るのはやはり痛々しさが違う。
写真では写っている角度からの情報しかないが、現地だといろんな角度や細かいところまで見える。

こんな角度から見たことありますか。私ははじめてでした

瓦礫が無造作に置いてある。
近くで見ると恐ろしさが増大する。
写真だけではわからないこともある。
いろんなところを実際に見て回るのは大事だと思った。

平和記念資料館のチケットは13時に予約してある。
時刻は12時半前、まだまだ時間が残っている。
原爆ドームをもうちょっとゆっくり見ようとした矢先、あるものが目に飛び込んできた。

これは一体……?

スタンディング? いやそれにしてはパネルが小さい。
日本人向けの説明? いや英語とかで書かれている文章だから違うような……。
隣でおじさんが何か説明している。なんだろう?

私は説明が終わった後、近づいてみた。
すると
「あんた日本人? これ読んでみてよ」
おじさんが1つのフォルダーを手渡す。

読み進めるとそのおじさんが解説をしてくれた。
今回は特別にその一部の写真を撮らせてもらい、公開許可をいただいた。
なお、転載はやめてほしい。

転載禁止

ちょっと見えにくいが、これらは広島平和記念資料館を改修した際に撤去されてしまった展示物だという。
実際これらは資料館になかった。

説明しているおじさんは胎内被爆者だといい、自分で見た「ヒロシマの真実」を原爆ドーム前で雨が降らない限り毎日説明しているそうだ。

先ほどの写真の左上、被爆した人の模型
胎内被爆者おじさんの質問に対し、これは「恐怖を与えるから撤去した」と広島市の担当者は言っていたそうだ。
そしてさらに衝撃だったのが広島市の見解が「我々(=広島市)は事実を伝えるのではなくいかに恐怖を与えずに伝えるかだ」であるということだ。
恐怖なくして原爆が語れるか、とおじさんは怒りをあらわにしていた。
それは私も同感だ。

隠ぺいはこんなところにも(転載禁止)

さらに重要だと教えられたのは「原爆の模型展示」について。
写真上は前の展示物、下は現在の展示物だが、アンテナがなくなっている。
これは広島市の説明によると「いたずらで破壊されないように」とのことだが、本当にそうなのだろうか。

さらにさらに衝撃を受けたのはこの話。

あのアメリカ軍の幹部クラスでさえ!(転載禁止)

これはアメリカの公文書で明らかになっているのだが、アメリカ軍の中でも原爆投下は必要なかったと主張した人がいるそうだ。
しかも、下っ端とかじゃなくて幹部レベルの軍人が。

さらに続けて胎内被爆者おじさんはこう語る。
被爆者の一部はアメリカに対して怒りの感情を向けていない。なぜか? それは日本の仏教における精神『忘れて許せ』があるからだ
かなり突き刺さる言葉だ。

そんな感じで熱心に話を聞いていたら、話の終わり際に「あんた随分熱心だから特別に爆心地と被爆者のお墓のところで説明してあげるよ」と言われた。

爆心地では説明の碑があまりにも簡素であること、被爆者のお墓では爆風があたった面とそうではない面の違い(墓石がザラザラかツルツルか)を教えてくれた。

最後に「これ参考になるから読んで」と1枚の紙を渡される。
そこにはブログへ飛べるQRコードがあった。
そこから飛べるリンクを下に貼っておくので気になった方はぜひ覗いてほしい。
かくいう私もまだまだこれから読み進めるが。

最後に胎内被爆者であるおじさんは私にこう言い残す。

「私ももう80歳近いから、いつまで生きていられるかわからない。このままでは10年から20年経てば広島の原爆の事実が消えてしまう」
「私の話を鵜呑みにしないでほしい。人間は自分が経験したことを『真実』であると決めつける。被爆者の言っていることは全て正しいと思われがちだが、その人が体験したことがヒロシマの全てとは言えない。何が真実かはいろんな情報を得て自分で考えるんだ」

そう、被爆者一人が言っていることが全て正しいわけではないし、裏を返せば胎内被爆者おじさんの話が全て真実であるとも言えない真実は自分の力で見つけるものだ。
この一期一会をきっかけに、私はもっといろいろ知りたい、一つの角度だけじゃなくていろんな角度から物事を捉えたいと強く思った。

そしてその話を念頭に置いて広島平和記念資料館へ向かった。
しかし平和記念資料館はバカじゃないの? というほどに人がいて、展示を見る余裕など全くなく、むしろ下手な場所で立ち止まると周りに迷惑がかかるのではと思うほどに人がいた。イメージとしては超人気アーティストのライブ終了後の退場時の混雑のようだ。
だから平和記念資料館の展示について感想は書けないし、写真もない。

被爆体験伝承講話

平和記念資料館の地下1階では毎日決まった時間に「被爆体験伝承講話」というものが行われている。
私は14時30分からの講話を聴いた。

伝承者は女性の方で、今回は2年前に92歳で亡くなった男性(被爆当時14歳)の被爆体験を聞いた。
男性は被爆してからずっと夏であっても長袖の服しか着ていなかったそうだ。
左ひじの少し上にケロイドが残っていて、被爆者だとわかると就職や結婚で差別されるためだからだ。

どの話も印象に残ったが、私は特にこの言葉が忘れられないし、忘れたくない。
1日違いで自分が死んでいたかもしれない。中学1年生には生贄になってもらった感じがあって生きていて非常に申し訳ない思いがある。もう誰にもこんなことを体験させたいない。だから、核兵器をなくすまで死ねない!

これの意味についてまとめると以下のようになる。
男性は原爆投下前日、建物疎開に駆り出されていた。
建物疎開は男性の学年である中学2年生とその1つ下の1年生が1日毎に交代で行っていたそうで、原爆投下日は1年生の担当だった。
そして、男性は原爆投下日、爆心地から2.3㎞離れた東練兵場でさつまいも畑の草取りを命令されていたそうだ。
原爆投下後、中心街から多くの人が東練兵場へ逃げてきた。中には1年生が逃げてきていたそうで、その子と日陰に隠れてやけどの痛みを和らげようとしていたら目の前でその1年生が「兄に会いたい」と言ってその場で死んだそうだ。

原爆投下が1日違えば、死んでいたのは1年生ではなく2年生の自分だった。
もう誰にもこんな思いはさせたくない。
核兵器を廃絶するまで死ねない。

そう決意していたその男性は、残念ながら2年前に亡くなったそうだ。

大切な人が、大好きな人が、核兵器によって死んでしまう。
そんな未来はもう嫌だ。絶対に核兵器を廃絶しないと!
でも、今の広島市はそんな思いを踏みにじっている。
『人類初の被爆地・ヒロシマ』はこの先一体どうなってしまうのか、21歳の誕生日に考えさせられる観光だった。

複雑な感情を抱きながら広島駅を経由してグランドプリンスホテル広島へ戻る。

グランドプリンスホテル広島と言えば2023年の「G7広島サミット」の会場。
ホテルの敷地はG7関係の展示もあった。

G7のトップたちは本気で核兵器廃絶を願っているのだろうか。
世界の覇権争いで優位に立つために、一般市民の声を犠牲にしていないだろうか。
「G7広島サミットの話し合いの結論はおかしな内容」と怒る人もいる。
G7のトップたちにヒロシマはどう見えたのだろうか。

誕生日の夜に乾杯!

夕飯は前夜と同じく「トップオブヒロシマ」でのブッフェだ。
誕生日の夜に、乾杯!!(一人だけど)

一人だけど乾杯しちゃう(笑)

食べたものは前日とほぼ同じなので割愛する。

部屋へ戻り、改めて今日の出来事を思い出す。
影に隠れた歴史の事実、日本のメディアが報じないこと。
戦争・原爆について知ることの難しさに肌で触れた1日だった。

さあ、明日は広島滞在最終日。
夜は夜行バスが待っている。体力は温存気味でいこう。
おやすみなさい。

6月13日(木)4日目

のんびりするのも大事

前日よりゆっくり起床し、昨晩は寝落ちしてシャワーが浴びられなかったためシャワーを済ませる。

今日はレイトチェックアウトが使えるので14時半までホテルの部屋で過ごし、14時40分の送迎バスで広島駅へ戻る。そしてそのまま平和記念公園を散策して18時から原爆ドーム前のパレスチナ連帯スタンディングにちょこっとだけ参加する。広島滞在最後の食事をekieで済ませ、夜行バスで関東に帰る。

今日はセーブ気味だ。
夜行バスに向けて体力温存でいく。
というわけで午前中はパソコンでこの投稿を少し作っていた。
実は「そうだ、広島行こう」のあたりはこの時に作成していた。

さて、そろそろ昼食のことを考えなければ。
しかし、ホテル周辺は店がホテル内にしかなく、コンビニも歩いて20分ほどにあるだけだ。

ということで予約していないがランチブッフェがトップオブヒロシマであったのでそこで昼食にする。

すっきり晴れていると宮島が見えるとか

実はトップオブヒロシマの席は大体いつも同じ方角ばかりだった。
今回は席に余裕があるということで、全然座らなかった南側をリクエストした。

今日は天気がちょっと悪いが、すっきり晴れていれば宮島が見えるとか見えないとか。

少ないとか言わないで
またカレーかよって言わないで

ちなみに2枚目左側、牛乳のように見えるコップの中身は冷製コーンスープだ。
さすがホテルのレストラン、コーンスープでさえ美味しかった。

今回もあまりたくさん食べなかった。
やっぱりこの旅行期間中は食べ過ぎた気がする。

今更ながらルームツアー!(笑)

さて、昼食を済ませて部屋に戻り、出発に準備をする。
忘れ物がないか、丁寧に確認する。

ここで、今更ながら今回の部屋のルームツアーをしよう。

部屋は23㎡(ホテル公式サイトによる)

部屋の入口から撮影。
ここだけでは部屋の広さはわかりにくいが、一般的なビジネスホテルの倍以上の広さだ。

布団ぐちゃぐちゃじゃねーか

ツインルームなので当然1人利用でもベッドが2台ある。
まあ当然1台しか使わなかったが。
さて、どちらを使ったかあなたにはわかるかな?(すっとぼけ)

二人定員なのになんで椅子が一つずつしかないの?

必要最低限の機能が揃っており、私はあまり広すぎる部屋よりもこれぐらいの方が丁度良かった。

冷蔵庫とコップ・茶葉やコーヒー、製氷機で使う氷入れも完備
トイレ・バスルームも広々として使いやすかった
バスタブ

バスタブや洗面器は私の使い方が悪かったのか水がつまりやすかったので水の流す量は注意した方がよかったかも。
また、これは比較的どんなホテルでも同じだがシャンプー・リンス・ボディーソープは完備だが、洗顔フォームと手洗い石鹸は兼用である。気になる人やこだわる人は普段使用している洗顔フォームを持っていくといいかも。
また、化粧水・乳液などはなかったので必要な人は忘れないように。

オーシャンビューは本当に良かった!

そして、窓からの景色を最後にもう一度パチリ。
実は滞在していた部屋の真下が宮島行き高速船の発着場であり、時々高速船が見えた。
部屋番号は「1066」だったので、もし奇遇にもこの部屋に泊まる人がいたらぜひ見てみては。

プリンスホテルを離れ、広島駅へ

さて、そろそろチェックアウトの時間だ。
名残惜しいが部屋の電気を消して、部屋を後にする。

フロントのある1階へ降りると、チェックインの人たちがそこそこいた。
楽しいステイとなりますように。

チェックインカウンターと書いてある看板をよそに、私はチェックアウトをする。
今回の宿泊費は2泊合計で26,000円。1泊あたり13,000円。
さすがハイクラスホテル。そこそこ値段が張った。

グランドプリンスホテル広島は今年で開業30周年らしい

チェックアウトを済ませ、そういえば撮影していなかったフロント周辺を撮影する。
グランドプリンスホテル広島は今年で開業30周年らしい。
実は今回ホテルでの朝食以外の食事は開業30周年を記念したフェアばかりだった。だからカニやらいろいろあったわけだ。

3日間お世話になりました

エントランスに出ると何やらスーツ姿で「案内」というスタッフ章をつけた人たちがうろちょろしている。

株式会社ミツトヨの創業90周年式典らしい

どうやら株式会社ミツトヨというところの記念式典があるらしく、関係者らしき人たちが続々とホテル内へ入っていく。
送迎バスに乗り込んだ頃、一台の大型バスが進路をふさぐように隣に停車する。
中からはスーツ姿の人たちが続々と降りていた。おそらくミツトヨの社員さんとかなんだろう。
ミツトヨについて後で調べてみると、どうやら精密測定機器の総合メーカーらしい。

そんなミツトヨの社員らしき人たちを降ろしたバスが動いた後、続けてこちらも発車する。
14時40分、名残惜しいがグランドプリンスホテル広島を後にする。

そのままバスは順調に走り、15時10分頃に広島駅へ到着。
ここでもミツトヨの人たちが待っていた。

3日間ありがとうございました
バス車内はリクライニングとコンセントがついていた

グランドプリンスホテル広島の送迎バスはJR中国バスが運行している。
3日間、本当にお世話になりました。

平和記念公園散策

ekie2階にあるコインロッカーでスーツケースを預ける。
ここは15時を過ぎていても平日だったためかそこそこ空きがあった。
夜行バスの乗り場側かつ平和記念公園などがある南口は現在再開発中でロッカーが激減していると調べていたのと、帰りはekieの飲食店でご飯を食べるのでいろいろと都合が良かった。

低床車両

今回は低床車両に乗れたため段差がなかった。
ということで原爆ドーム前まで路面電車で移動した。

毎日ご苦労様です

昨日出会った胎内被爆者おじさんは今日も外国人に向けて説明をしていた。
毎日続けるのは本当に大変だと思うし挫折もあり得ると思う。
でも、きっと「このままじゃまずい」という思いがおじさんの中にあるのかもしれない。

動員学徒慰霊碑

平和記念公園の中をじっくり散策する。
まずは原爆ドームにほど近い動員学徒慰霊碑。
ここでは中央手前部分にボタンがあり、押すとこの慰霊碑の説明音声が流れる。
日本語版と英語版、どちらにも対応している。

ちょっと遠いがよくテレビで映るような角度から

次は横断歩道の前にある折り鶴と「原爆の子の像」へ。
ここでは外国人団体がちょうどわさわさいた。

鐘の周りにはたくさんの折り鶴

原爆の子の像の中には鐘と共にこんなメッセージが。

若干反射しています

これはぼくらの叫びです
これは私たちの祈りです
世界に平和を
きずくための

では、その鐘をついたシーンを無編集でご覧いただこう。

いかがだっただろうか。
この鐘の音は原爆の子に届いているのだろうか。
私の祈りは届いただろうか。

さて、そのまま北に進み、次に辿り着いたのは「平和の鐘」

自己を知れ

これもついたので、また無編集でご覧いただこう。

さて、映像で気づいた方もいるかもしれないが、この鐘にはある思いが込められているようだ。

すっごく画質粗いですがわかりますか?

丁度鐘をつくあたり、放射線のマークがある。
おそらくこれはこの鐘をつくことで放射能=核を無くすという意味があるのではないか。
なかなか発想が良いと思う。

国内外問わずいろんな人が鐘をつく

横断歩道を渡って南側、平和記念資料館側へ。

ついにここに辿り着いた

何度もテレビで見た景色。
何度も来たいと願った場所。
ここに来るのが最大の目的だった。
まあ人は多かったが。

過ちを繰り返すことは決して許されない

安らかに眠って下さい
過ちは
繰返しませぬから

脳をよぎる昨日の胎内被爆者の話。
「過ちは繰返しませぬから」
天に上った被爆者たちが今の広島市の態度を知った時、この誓いがどう響いてくるのだろうか。

最後に向かったのは「国立広島原爆死没者追悼平和祈念館」
らせん状の通路を説明を読みながら下り、辿り着いたのは一つの大きな空間。
写真は撮らなかったが、そこにはおびただしい数のタイルで当時の街並みが描かれており、その数は原爆が投下された年に亡くなった死没者の数と一致するらしい。
ここはいろんな思いがこみ上げてくる場所なので、ぜひ一度足を運んでみてほしい。

国立広島原爆死没者追悼平和祈念館を出てちょっと歩くとアジア系と思われる外国人が英語で話しかけてきた。どうやら写真を撮ってほしいようだ。
私は学校で習ったはずの英語がほとんど頭から抜けていたので、どうにかこうにか身振り手振りを交えて簡単な英語で意思疎通をした。
写真を撮って確認してもらうと相手は満足そうだった。

そういえば宮島でも違う言語が飛び交っていた。
G7サミット効果で外国人観光客が増えているというが、それを肌身で実感した広島でもあった。
まあ日本では一部の人がG7サミットの内容に憤っているが。

あらかた周り終えたので、原爆ドーム前広場のベンチに腰かける。
ちょうど胎内被爆者おじさんが撤収作業をしていた。
もう二度と会えないかもしれない。
だから「昨日はありがとう」と伝えておいた。
偶然の出会いだったが、私に衝撃と可能性を与えてくれた人として。

広島と飯能はひとつの思いで

1時間ほど休憩していた気がする。
この投稿の1日目~2日目のあたりを編集していた。

18時ちょっと前、パレスチナの国旗を持った人たちが現れる。
広島本滞在ラストのアクティビティ「広島パレスチナVigil」
つまりパレスチナに連帯するスタンディングアクションだ。

私はこの日のために、飯能の仲間に相談してこんなプラカードを準備した。

これが飯能の思いであり、願い!

私は飯能でパレスチナ連帯の金曜スタンディングに時々参加しているが、そこの仲間たちの思いを広島に届けたいと思った。
ただ、あまり荷物になると大変だったので、寄せ書き式のプラカードがいいなと思い、出発直前の金曜スタンディングに参加した仲間に協力してもらった。

このプラカード、そして広島の方々が持参されたスケッチブックに飯能の思いを書いた。
もし機会があったら毎日夕方にスタンディングしているそうなのでぜひ覗きにいってほしい。
ただしグランドルールがあるのでそこは確認してきちんと守ろう。

夜行バスとの兼ね合いもありスタンディングに参加できたのはたった15分だけ。
でも、それなりに広島の方と情報交換ができた。

Xに載せていただき、その写真使用を承諾してくださいました。
ありがとうございます。(転載禁止)

今回飯能から持参したプラカードは、広島の皆様に託した。
ぜひご自身の目でも見てほしい。

左が私。右は情報交換した小山田さん。(転載禁止)
わかりやすいデザインのプラカードがたくさん(これは私が撮影)

最後の写真以外は現地の方に撮影していただき、使用許諾をいただきました。
なんか、私が撮影した写真よりもめちゃくちゃかっこいいですね(笑)
広島の皆様、改めまして短時間でしたが本当にありがとうございました。

広島最後の夜

スタンディングに参加した後、バタバタ原爆ドーム前電停に移動。
そこからラッシュで若干混雑している路面電車で広島駅へ戻る。

広島最後の食事は瀬戸内の海鮮を食べたいと思っていたので、ekieの中の「サカナカナッテ」という店へ。
海鮮丼を注文し、出てきたのはこちら。

左の丸いのは卵

様々な海鮮が所狭しと乗っていて、いろんな味が楽しめた。
これで2,000円以下!

夕飯を済ませた後、ロッカーの荷物を引き取ってバスの乗り場へ移動する。
バス乗り場前にはセブンイレブンがあったのでここで明日の朝食を調達する。

バス乗り場からはオリオンバスとジャムジャムライナーが短い間隔でそれぞれ出発するため、乗客を誘導する係員がいた。
「どっちですか?」と聞かれたので「ジャムジャムライナー」と答えると「じゃあこちらに並んでください」と既にかなり列が伸びている方へ並ぶ。
どうやら広島駅からだとジャムジャムライナーの方が需要があるようだ。

荷物整理でもたもたしていると赤色のバスがやってきた。
あぁ、ついに帰る時が来たんだ。
今夜の席は進行方向右側の後ろから2列目。またずいぶん嫌なところを指定された。後ろの方って酔いやすいからな……。まあ座席指定を受ける代償としては軽い方だが(笑)

そうこうしているうちにバスの発車時刻となる。
20時10分、3日間滞在した広島を離れ、一路新宿へ向かう。

いろいろあったけど、なんだかんだ楽しかった。
でも、いくつか心残りがあるからまた来たい。
そう思う私を乗せて、バスは広島大学を経由して広島を離れていく。

22時15分頃、福山サービスエリアで20分間休憩。
こうして新宿に向かいながら、日付が変わっていくのであった。

6月14日(金)

寝ては起きて、寝ては起きて……

宝塚北サービスエリアに着いたのは日付が変わって1時頃。
ここでも20分ほど休憩した。

次は4時頃に長篠設楽原パーキングエリア。
ここは設備が簡素なためか15分で出発。

そして6時35分、関西から東京方面へ向かう夜行バスが大体休憩地に使っているイメージがある海老名サービスエリアで最後の休憩。
周りにも様々な夜行バスが止まっていた。

海老名を出た頃はもう外はかなり明るくなり、カーテンを閉めて電気も消えているバス車内も少し明るくなる。
そしてバスは本行程最後の難関、首都高速の朝ラッシュに挑んだ。

そして旅は終わりへと

私は通勤ラッシュがあるから30分以上遅れるのは仕方ないと思っていたが、意外にも遅延は15分~20分ほどで済んだ。
8時45分、12時間半の乗車を終え新宿へ到着する。
この後バスは秋葉原まで走るが、ほとんどの客は新宿で降りていったみたいだ。

長かったけどなんだかあっという間だった

さようなら、ジャムジャムライナー。
また乗るかどうかはわからないけど。

さて、新宿駅からJRで池袋駅へ向かうが、私は何を勘違いしたのかうっかり新南口ではないところに出てしまった。

ラッシュだから人が多い!

まあでもこんなステキな写真が撮れたからいいや(笑)

人の多い駅構内をかき分け、埼京線のホームに向かう。
ちょうど8時53分に始発の大宮行きがあるようだ。

とここで危ない場面が。
ホームへ降りると既に電車がいた。
「ヤバい!」と慌てて乗ったが、ラッシュと逆方向にしては混んでいる。
電光掲示板を見た。間違えた。これは新木場行きだから逆方向だ。
間一髪で気付いたので慌てて下車。危うく渋谷へ向かうところだった。

大宮行きは隣のホームからだった。
新宿止まりで来た電車が大宮へ折り返すべく慌てて発車準備。
3分ほど遅れて新宿を発車した。

埼京線なのでわずか1駅で池袋に到着する。
埼京線の車内でスマートフォンから西武線の特急券を購入した。
今回グランドプリンスホテル広島でかなりポイントが貯まったのでどうせならタイミングも合うので特急で帰ろうと思ったのだ。

実家のような安心感

宿泊を伴う旅行をして西武線の池袋駅へ戻ってくると実家のような安心感と同時に「終わってしまう」という喪失感みたいなものもこみ上げてくる。

9時30分、特急ラビューちちぶ号で飯能を目指す。
車内では8月に予定している講演会の資料作りをしていた。
というか、これがしたかったのでラビューを取った。

ラビューだとやっぱり早い。
池袋駅から20分ほどであっという間に埼玉県に入る。
そして、池袋駅から約40分、広島駅から約14時間、10時10分頃、無事飯能駅に帰還した。

何度も安心する

改札を出て、年金支給日なので銀行でお金を降ろした後、見慣れた街を歩く。
見慣れたはずなのになぜかなつかしくなる。たった3日間しか出ていなかったのに。

自宅には10時40分頃到着した。
本当に長かったけど、どこか短いとも感じている。
まずは暑いからシャワーを浴びよう。荷物整理はそれからだ。

最後に

私の投稿としてはかなり文章量が多かったが、ここまで読んでくれて本当にありがとう。そしてお疲れ様。
今回の旅のまとめを書くのでもう少しお付き合いいただきたい。

今回、本当は前の太平洋フェリーみたいに分けるつもりでいたが、夜行バスがあったのと話が全体的につながっていたからどうしようと思った結果、いっそのこと全部ひとつにしてしまえ! ということでこんな超大作が出来上がった。

今回の広島旅行は楽しかったが、一部悔やんでいることがある。
まず生理でホテルの温泉に入れなかったこと。こればかりはしょうがないのでまたリベンジしたい。
後は新幹線で行けなかったこと。今度は10万ぐらいお金をためて、新幹線で行きたいと思った。

反対に、良かったこともある。
ひとつは広島の現実を知ることができたこと。胎内被爆者の話は忘れたくないと思った。
さらに言えば宮島でろかい舟に乗れたのも良かった。あれも偶然だったが良い体験だった。
あとは広島でパレスチナ連帯スタンディングをしている人たちに飯能からも連帯するという思いが届けられたこと。私は虐殺に反対しているのは広島だけじゃないぞという思いを届けたかったが、無事にプラカードを託すことができて良かった。

そして、長崎や沖縄といった戦争でかなりの被害を受けた地域にも足を運んでみたいと改めて思った。
いつか叶えたい。まだまだ行きたい、学びたいことがたくさんある。
今だからこそできることをたくさんしたい。
動けるうちに、自分の目で見て、聞いて、知って、考えて……。
私なりの「見解」を考えたいと強く思った旅行だった。

私の目に映ったものは、必ずしも真実ではない。
もっと多様な視点から物事を見る重要性を再確認した。

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